政略結婚は純愛のように〜完結編&番外編集〜
 明るい光を感じて、由梨は薄く目を開く。とても気持ちのいい目覚めだった。
 よく覚えていないけれどいい夢をたくさん見たような、とにかく幸せな気分だった。
 なんだか起きてしまうのが惜しい。温かいベッドの中で、もう少しこうしていたかった。
 だって今日は確か日曜日のはずだから……。
 でもそこで、あれっと思いぱっちりと目を開く。隣を見るとそこにいるはずの隆之の姿がなかった。
 身体を起こし時計を見ると、午前九時を指している。

「私……?」

 少し混乱して由梨は呟く。昨夜の記憶が曖昧だからだ。どうやって自分のベッドに入ったのかもわからなかった。

「確か昨日は……」

 隆之がみやげとして結婚式の日に出された銘柄の日本酒を買って帰ってきてくれた。

『リベンジをさせてもらう』

などという彼の言葉に、由梨は一瞬たじろいだが、夕食自体はふたりで穏やかに囲んだ。由梨の作ったおでんを美味しいと喜んで、たくさん食べてくれたのが嬉しかった。
 そしてそのあと、リビングへ移動して……。
 そこで由梨は考え込む。
 確かはじめはいつものように、由梨の日本酒うんちくを彼に聞いてもらっていたはず。でもその先が、まったく思い出せなかった。
 どうやってベッドまで来たのだろう?
 由梨が今着ているのは、昨日着ていた部屋着のまま。もしかして、いやもしかしなくても、この状況。

「私、またやっちゃった……?」

 リビングで寝てしまったのだろうか。
 百歩譲ってそれ自体はよしとしよう。自宅で飲んでいたのだから。
 でも昨夜隆之は『リベンジする』と言っていて……。
 ……それにしても、彼はいったいどこに行ってしまったのだろう?
 由梨は急いでベッドを出て寝室を横切る。そしてリビングへ続くドアを恐る恐る開いた。
 ソファに座る隆之が振り返って微笑んだ。

「おはよう、よく寝たな」

 その笑顔がなんだか少しわざとらしい、そんな風に感じるのは由梨の思い過ごしではないはずだ。

「おはようございます……」

 彼の元へ歩み寄り由梨は応える。まるでいたずらをして見つかった子供のような気分だった。

「あの……私、昨日……」

 手をもじもじさせて、上目遣いに彼を見る。するとその手をぐいっと引かれて、あっという間に彼の膝の上に閉じ込められた。
 隆之がこれまた胡散くさいくらいに、にっこりとした。

「由梨、我が家では、しばらくあの酒は禁止だ」

「なっ……!」

 やっぱり、と由梨は思う。
 昨夜由梨は、晩酌中に寝てしまったのだ。そしておそらく、彼はそれを……根に持っている。
 隆之がにっこりとしたまま、彼にしては珍しい少し嫌味な言葉を口にした。

「由梨、俺は昨日あの夜の"やり直し"をしようと言ったんだ。"再現"してくれとは言っていない」

「だだだだって、た、隆之さんがあのお酒を飲もうって言ったんじゃないですか」

 まるですべて由梨のせいだと言わんばかりの口ぶりに、由梨は一生懸命反論する。
 べつに飲み過ぎたわけでもないのに、由梨がああなってしまったのは、やっぱり酒のせいだろう。
 だったらわざわざ買ってきた隆之にだって責任があるはずだ。
 隆之がさも残念そうにため息をついた。

「あの甘い香りをさせる由梨をどうしても抱きたかったのに」

 心底悔しそうに舌打ちまでしている。そんな彼を見ていたらなんだか急におかしくなって思わず由梨は噴き出した。

「もう、隆之さんったら!」

 おかしくてたまらなかった。
 会社では本当に穏やかで、寛大で、忍耐強いリーダーとして、皆に慕われているというのに、由梨との"こういうこと"となると、急に大人気なくなってしまう。そんな彼がおかしくて愛おしい。
 隆之が目を細めた。

「寝ている君に襲いかからなかった優しい旦那さまに感謝するんだな」

「ふふふ、ありがとうございます。でもおかしい!」

 笑いが止まらない由梨の頬に柔らかいキスが降ってくる。
 視線を合わせてふたり笑い合った。
 隆之が由梨を腕に抱いたまま、やや大袈裟に眉を寄せた。

「それにしても、あの酒を婚礼酒として売っているのは、どうなんだろう。今度酒造の主人に会ったら、ちょっと言ってやろうかな」

「ええ⁉︎ ちょっとってなんですか。隆之さん」

 由梨は目を丸くして、慌てて声をあげる。

「変なこと言っちゃダメですよ!」

 なんといっても隆之は、この地方の地域経済を率いているリーダーなのだ。その彼にクレームじみたことを言われたら、酒造の主人は間違いなく震え上がってしまう。

「絶対にダメですよ!」

 言葉に力を込めて由梨は言う。
 隆之が眉をあげた。

「でも感想を言うくらいはいいだろう。あの酒は確かに美味い。でも婚礼酒にぴったりかと言われたら疑問だと。現に俺は二回も失敗した。その体験談を……」

「いいい言っちゃダメ! 絶対にダメ!」

 由梨はぶんぶんと首を振る。
 由梨だって、同じ商社の企画課に所属しているのだ。今後その酒造の主人と顔を合わる可能性は十分にある。

「ぜぜぜ絶対に、やめてくださいね!」

 真っ赤になって念押しすると、隆之が肩を揺らしてくっくと笑う。そして由梨を優しくソファに押し倒した。

「どうしようかな」

 見下ろす彼の瞳にいたずらっぽい色を見て、ようやく由梨はからかわれたのだと気が付いた。

「もう」

と言って彼を睨むと、ニヤリと笑う隆之にそのまま唇を奪われる。

「ん……」

 その先を予感させる口づけに、由梨はすぐに夢中になる。
 相手を圧倒するような彼のキス。
 まるで食べられているような心地がする。
 唇が離れて目を開くと、由梨が大好きな彼の瞳が、至近距離から見つめている。
 気高き狼のアルファの瞳。

「由梨が俺の気持ちに応えてくれるなら、なにも言わないことにする」

 でも囁く内容は、やっぱり大人気ない言葉だった。

「……今からですか」

 くすくす笑いながら由梨は尋ねる。

「今すぐだ」

 ニヤリと笑みを浮かべて言い切って由梨の答えを待つことなく、彼はまたキスを落とし始める。
 暖かい朝の日差しが、幸せな夫婦の休日を見守っていた。
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