政略結婚は純愛のように〜完結編&番外編集〜
ふたりの朝
 枕元の携帯がブブッと振動するのを聞いて隆之の意識が浮上する。
 うっすらと目を開けると、窓の外はまだ真夜中のように真っ暗だ。
 携帯の画面を確認すると時刻は午前五時、夜明けはもう少し先だ。

 隣にはくーくーと可愛い寝息を立てて眠る由梨。その頬に隆之は吸い寄せられるようにキスを落とした。

 柔らかな温もりと、甘くてどこか懐しいような香りが隆之の心を満たしていく。

 これ以上ないくらいの幸福な目覚めだった。

 まだ結婚したばかりの頃も、隆之はこうやって彼女より少し早く起きていた。

 突然結婚させられた相手と同じベッドで眠っていることを彼女があまり意識しないように、彼女が起きている時はベッドにいないように心がけていたのだ。

 だったら別の部屋で寝ればよかったものをと、自分でも思う。この屋敷に空いている部屋なんていくらでもあるのだから。

 でもどうしてもそうする気になれなかったのは、朝起きた時に隣にいる彼女のこの寝顔を見られなくなるのが嫌だったからだろう。

 自分でもおかしくなるくらいに、はじめからずっと隆之は彼女に夢中なのだ。

 額にかかる黒い髪に隆之はそっと指を絡める。サラサラとした感触が指先に心地よかった。

 すると由梨が「うーん」と可愛くうなって猫のように丸くなる。隆之は思わず笑みを漏らした。

 心の底からくつろげる場所。

 愛する人同じ場所で眠ることが、これほどまで幸せなのだということを、隆之は結婚してからはじめて知った。
 そのまま愛おしい彼女を腕に抱いてまた眠りにつきたい気分になるが、それはぐっと我慢する。
 今から準備しなければ出勤時間に間に合わなくなってしまう。

 まだ夢の中の由梨を起こさないように慎重にベッドを出ると、リビングへ行き、暖房を着ける。今から着けておけば由梨が起きてくる頃には部屋全体が暖かくなっているはずだ。

 そのままバスルームへ行き熱いシャワー浴びて頭をハッキリと覚醒させてから戻ってくる。独身時代から続いている習慣だ。

 次に隆之が向かうのはキッチンだ。

 冷蔵庫を開け中を確認すると、ここのところ由梨が気に入ってよく飲んでいるカボチャのポタージュスープの作り置きがあるのに目を止まった。
 週末に彼女自身が作った物だ。
 これを温めてパンとウインナーがあれば朝食としては十分だろう。
 今朝はこれで決まりだと思い、隆之はさっそく準備を始めた。

 とはいえ、隆之自身は朝食は食べない。

 これも独身時代からの習慣なのだが基本的にはコーヒー一杯飲むだけだ。
 だからこうして朝食の準備をしているのはすべては愛する由梨のためなのだ。

 始まりはTOBのための東京滞在から戻った日だった。
 極度の緊張から解放されて気が抜けたように貧血を起こした由梨はその日はそのまま早退し、隆之もそれに付き添った。
 そして一番大事な時にそばにいられなかった罪滅ぼしをするように、その日の夕食は隆之が準備したのである。
 とはいってもせいぜいが作り置きしてあった冷蔵庫の中のものを温めて並べただけなのだが、その間由梨がゆっくりとベッドの中にいられたのは事実で、ならばできる範囲でやれることをやろうと、その時に決めたのである。

 あまりつわりはないけれど、とにかく眠いと言う彼女が朝ギリギリまで寝ていられるようにこうやって朝ごはんを準備するのが隆之の新しい習慣だ。

 そして。

 隆之は、オーブン横のカゴに積んであるりんごをひとつ手に取った。
 この季節、特に美味しいりんごをデザートに添えると、彼女はとても喜ぶ。

「ふふふ、美味しい」

 にこにことして嬉しそにう食べる彼女を思い浮かべながら隆之はりんごを剥きだした。

 本当は、身重の身体で企画課のハードな仕事をこなす彼女が心配だった。

 体力的にきついことや、大変なこと、なにもかもを彼女の世界からひとつ残らず取り除いて真綿で包むように守ってやりたいというのが本心だ。

 でもそれは、彼女自身が望んでいないということも隆之は知っている。
 
 彼女は自分の足で立ち、進むことを望んでいる。
 ならばそれを全力で支えるのが、夫である隆之の役割だろう。
 そんなことを考えながら隆之は器に入れたりんごをテーブルに置く。
 あらかたの準備は整った。
 あとは彼女が起きてきたら、スープを温め直すだけだ。
 寝室へ戻りベッドを覗き込めば、由梨はまだすやすやと寝息を立てている。
 幸せな夢を見ているように口元が微笑んでいるのが愛おしい。

 その頬に優しく口づけを落としてから、隆之は彼女の耳元に唇を寄せて、口を開いた。

「由梨、朝だぞ」
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