アラサー女子やってたら、知らないうちに母親になっていました。
第二十章 何でも鵜呑みにして本気にする僕
中2から小説を書き始めた僕はその大分前の小5の時、夏休みの宿題でマザーテレサさんの伝記を読んで、読書感想文とした。マザーテレサさんは僕からしたらかなり偉大な方で、僕はあの方のようには到底なれないと思っていた。でも、読書感想文と言うだけあって、真面目に書いた。元々作文は嫌いではなかったし、勉強と言う2文字に恨みを抱く僕としては唯一嫌では無い宿題だった。そしたら、なぜか、先生の独断と偏見で学校が出している文集にクラス代表として作文が載ったらしかった。母親は特に喜んだ。
そして地元の公立の挨拶が出来ない学校に入れられた。女子は女の先輩には挨拶しないと呼び出されるからと女の先輩には挨拶するが、男の先輩には挨拶しない。僕は勘違いして男の先輩にも挨拶していたら友達に「周りはしてないよ」と言われて辞めた。男子は挨拶を一部の先生と親しい人にしかしなかった。
そんな学校だったので、生徒に募集した中から選んだ挨拶標語を看板にする企画が僕が中1の時から行われていた。
それが中2の時、選ばれた。両親は喜んで制服姿の僕を看板の横に立たせて写真を撮った。人を滅多に褒めないたぬきが喜んでいたせいか、担任の先生に褒められたせいか、大好きな母親が喜んでいたせいか分からないが嬉しかったし、少し自信にもなった。
高校に入り、サンリオが大好きな僕はサンリオの某サイトに入会した。そこで季節の俳句大会があり、春の部に数秒?十数秒?秒で書いた俳句を応募した。ほんとに、軽い気持ちだった。
だが、グランプリを取ってしまった。友達にも祝福され、自分の文章の得意さに少しづつ気付き始めた頃、占いをする友達の貴永兄ちゃんと出会い、文才があると言われた。貴永兄ちゃんは何かあるとすぐ「俺文章苦手だから」と僕を頼って電話をかけてくる。そんなこんなしてる内に自分を文才家なのでは?と勘違いするようになってしまった。母も作文が得意だったらしく、表彰された事もあったらしいので私の遺伝だと言い張る。僕の文才を褒めてくれる人は居ても否定する人は居ないので、小説家なんてやれたらカッコいいだろうなぁと思うようになった。
そしたら、ゆうちゃんが家に来てくれた。神様が選んでくださった、神様からの授かり者。ゆうちゃんが中絶された子だと知った時、真っ先に思ったのが、「神様は僕が下手でもアホでも小説を書くから命の大切さを日本人だけにでも僕のこの作品を通じて教えようとなさってゆうちゃんを託してくださったんだ」そう勘違いして、小説を書くことにした。英語どころか日本語が苦手な僕には外国の方に命の大切さを訴えるのは難しいけど、日本の皆さんには知って欲しい。命の尊さ。
こんな僕でも母親になれた。子供は神様の許可が無いと親の所に行けないらしい。
神様は僕を信じてゆうちゃんを託してくださったんだ。そう思うとゆうちゃんを大切にしなきゃと改めて思うし、神様から頂いた使命がこの小説なら僕が仮死するまでこの物語は書き続けるだろう。
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