暑すぎる…
モネはフルートに息を吹き込みながら、首筋を伝う汗の不快感に集中力が奪われていた。

夏休みが始まってまだ1週間だというのに、
酷暑に酷使されたエアコンはあいにくの絶不調で、
近隣の住人への配慮とかで締め切られた音楽室はまるでサウナのようだった。

あ、やばいかも…
視界が白く濁って、世界が回る。
「モネちゃん!?」
ヒナちゃん先輩の焦ったような声を聞きながら、意識が落ちていった。
ああ、フルート…ぶつけなくてよかった…

気が付いた時には白い天井だった、なんてありがちな感想を抱きながら体を起こす。
どうやら誰かが保健室に運んでくれたみたいだ。
冷房がしっかり効いた部屋で休んだおかげかすっかり復活したようで立ち上がって、ベッドを囲んでいたカーテンに手をかけた。
「…せんせー?」
「お、モネじゃん!何、サボってんの?」
カーテンを開くと、思わぬ見慣れた顔と声に思わずフリーズする。
ぱちぱちと瞬きして、努めて冷静を装って口を開く。

「…そんなわけないでしょ、アンタこそ何やってんのよ」
「ん?スライディングしたらめっちゃ血出てさ~監督に行って来いって怒られた」
けらけらと笑うショウの足に目を向けると確かに先生が大きめのガーゼを張り付けている。

「はい、これで良しっと、
牧田さんはどう?音楽室で倒れたって聞いたから熱中症だと思うんだけど、気持ち悪いとかない?」
先生がショウの手当てを終えてこちらを向いた。
「はい、大丈夫そうです。」
「そう?でも今日はもう帰ったほうが…」
「何、モネ倒れたの?」
ショウが会話に割り込んでくる。
心配そうに向けられた視線に、私は顔に血が集まってくるのを感じて思わず両頬を手で押さえる。
「べ、別に暑かったのもあるけど、ちょっと酸欠になっただけだから!」
「いや、でも顔赤いし、今日は帰ったほうがいいんじゃねーの」
立ち上がったショウが近寄ってきて、こちらに向かって手を伸ばしてくる。
あと少しで額に手が触れる、というところでガラリと控えめな音がして保健室の扉が開かれた。

「失礼します。あの、モネちゃんどうですか?」
「樋口先輩!」
伸ばされていた手がすぐにひっこめられて、ショウは満面の笑顔をヒナちゃん先輩に向かって歩いていく。

「あ、ショウ君、どうしたの?…足痛そうだね」
ショウの足に目を向けた先輩が眉を下げた。
「いや、全然大丈夫ですよ!」
心配されたショウが嬉しそうに頬を染めているのを見て、
ドキドキとうるさいくらいに音を立てていた心臓はすっかり落ち着いてしまった。
へらへらした笑顔を見ていたくなくて、先生にお礼を言って扉に向かう。

「それで今度の大会出れるかもしれなくて…」
一生懸命話しかけているショウの言葉を遮って先輩に声をかける。
「ヒナちゃん先輩、音楽室戻りましょ」
「モネちゃん、でも大丈夫なの?無理しないほうが…」
「全然大丈夫ですから、行きましょ!」
先輩の腕を引いて保健室を出る。
「おい、モネ」
後ろからかけられた不機嫌そうな声を早く遮りたくて少し乱暴に扉を閉めた。

スタスタと速足で廊下を進む。
「ショウ君モネちゃんのこと心配してたね」
ヒナちゃん先輩は一緒に音楽室に足を進めながら、なんだか嬉しそうにくすくす笑う。
「心配?…何のことですか」
「だって必死にモネちゃんのこと呼び止めてたじゃない」
ヒナちゃん先輩の言葉に、思わずため息を吐いて首を振った。
「あれは、ヒナちゃん先輩との会話を邪魔したから怒ってるだけですよ」
「そんなことないと思うけどな…」
困ったように笑う先輩は本当に可愛くて、自分との差にさらに気分が落ち込んだ。

「あ、そうそう
合奏はエアコンが直ってからにしようって、
今日はあとは教室でパート練になったけどヒナちゃん大丈夫そう?」
黙った私を気にかけてか、先輩が話を変えてくれる。
「大丈夫です。迎えに来てくれてありがとうございます。」
暗い気持ちを飲み込んで、笑顔で答えた。


練習を終えて玄関を出た時にはもう19時を回っていたけれど、
未だ夕日が赤く輝いていてじわりとした熱気が肌にまとわりついてくるようだった。
「ヒナちゃん大丈夫?一緒にバスで帰ったほうがいいんじゃない?」
「本当に大丈夫ですって、自転車持って帰らないと明日大変ですし」
一緒に玄関を出たヒナちゃん先輩が心配そうに言うのを、笑顔で断る。
「…そう?じゃあ気をつけて帰ってね」
「はい、お疲れさまでした」
手を振って先輩を見送って、自転車置き場に足を向けた。

「おい」
鍵を差し込んで、スタンドに足をかけたとき後ろから声をかけられた。
振り返ると不機嫌そうな顔をしたショウが腕を組んで立っている。
「…なに、ヒナちゃん先輩ならバスで帰ったわよ」
ショウはさらに顔をしかめて首を振った。
「お前さ、倒れたくせに一人で帰るなよな、
一人の時にまた倒れたらどうするんだよ」
そう言うと、自転車の前かごに入れていた私の鞄を勝手に持ってすたすたと歩いていってしまう。
「えっ、ちょっとショウ!」
とりあえず自転車を戻して、慌ててショウを追いかけた。

「あーバス出たばっかだな、まあそのうち来るだろ」
バスの時刻表を確認したショウはバス停のベンチに腰掛けた。
私は少し隙間をあけて隣に座る。
ちらりと隣を伺うとショウはいつもと変わらない様子でスマホを見ていた。
黙っていようか少し考えて、おずおずと口を開く。
「あのさ」
「んー?」
ショウはスマホから目線を逸らさずに返事をする。
「あの…もしかして、私のこと待っててくれた…?」
横目で様子をうかがっていると、ショウはちらりとこちらを見てすぐ逸らす。
「…そうだけど」
そういったショウの耳は夕日で照らされていてもわかるくらい真っ赤に染まっていて、
私はその熱が移ってしまった。
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