愛憎を込めて毒を撃つ

第十話

◆興信所に依頼してから半月が経った水曜日(八月下旬)
〇新村家の寝室(夜)

珍しく早くに帰宅した和寿と、ベッドに並んでいる里乃。
しかし、自ら和寿とは距離を取るようにして、ベッドの隅で寝ている。
不意に和寿が上半身を起こし、里乃の肩に手をかけて自分の方へ向かせると、キスをする。
里乃は驚きのあまり目を真ん丸にし、ぞわっとした感覚に包まれる。
次の瞬間、和寿が里乃の名前を呼びながら、里乃のパジャマの中に手を入れ、胸を掴むようにする。
里乃は咄嗟に両手で和寿を押しのける。

里乃「やっ……!」
和寿「……っ」
里乃「あ……っ、ごめんなさい……」
和寿「いや……俺こそ、急にごめん……」
里乃「……」
和寿「……里乃」
里乃「ごめんね……! 私、今日は頭が痛くて……!」
和寿「……そうか」

ふたりの間には気まずい空気が流れ、和寿は寝室から出ていく。
リビングに行ったようだったが、里乃はフォローしようとは思えず、全身を包むような嫌悪感で吐き気を催し、なんとか堪えたものの顔は真っ青だった。

里乃(急にどういうつもり……? 今までたまに軽いキスをするくらいで、ろくに触れようともしなかったくせに……。今日は潤の奥さんと会ってないはずだから、その代わりなの?)

里乃は唇を噛みしめ、涙をこらえる。
なかなか寝付けない里乃の元に、一時間ほどしてから和寿が戻ってくる。
里乃は布団で顔を隠すようにしていて、ふたりは目も合わせず会話もしない。
和寿がベッドに入ると、さきほどよりもずっと激しい嫌悪感が沸き上がり、それが和寿への拒否反応だと自覚する。

里乃(……そっか。私も、もうダメだったんだ……)

キスをしただけで気持ち悪かった上、和寿に触れられるのも心底無理だと気づき、夫婦として修復するのは不可能だと実感する。
和寿が眠ったあとで、里乃はリビングに行ってひとりで涙を流すのだった。



◆翌日
〇興信所(昼)

並んで座っている里乃と潤の向かい側に、調査員。
昨日のうちに興信所から連絡があり、里乃はちょうど仕事が休みで、潤は昼休みに会社を抜けてきた。
調査員から不倫の証拠が渡される。

調査員「十六日間で、ふたりは七回会っていました。そのうちホテルに行ったのは五回、残りの二回はここに写ってる喫茶店で昼食を摂っただけでしたが、ふたりの行きつけの店のようです。新村さんの旦那様は外回りのときに使うことが多く、氷室さんの奥様はよくランチで使うようです。以前の会話の内容からも、恐らくここで出会ったのかと」
潤「そうですか」
調査員「先週は月水金の夜と土曜にも会ってましたね。新村さんの旦那様は午前中は会社にいましたが、昼過ぎにホテルへ行かれました。氷室さんの奥様は、そのあとすぐに同じホテルに入っていき、三時間半後にふたりで出てきました」
里乃(そんなに……)
調査員「喫茶店はホテルの近くにありますが、古い店構えでお客さんは少ない。人目につきにくく、昼間に堂々と会えたのも納得できます。まぁマスターはなんとなくふたりの関係に気づいてる様子でしたが」

その後も、調査員からふたりの行動が報告されていき、バーで仲睦まじくする写真なども見せられる。

調査員「以前、氷室さんから依頼を受けたときは、もう少し警戒した様子もありました。ホテルには別々に出入りしたり、離れて歩いたり。でも、今回別々に入ったのはこの日一回だけで、あとは普通にふたりで一緒に出入りしてました」

里乃は覚悟を決めていたのにショックが大きく、言葉が出てこない。
しかし、証拠はもう充分で、調査員からも「これだけ揃っていれば言い逃れはできません」と言われる。
潤の昼休みが終わるため、ふたりは興信所を出る。

潤「大丈夫か?」
里乃「……うん」
潤「一緒にいられればいいんだけど、ごめん」
里乃「どうして潤が謝るの? 私は潤がいてくれてよかったよ。ひとりだったら、きっと今も興信所に依頼することさえできないままだったと思うから……。私は大丈夫だから会社に戻って。ほら」
潤「……うん。気をつけて帰れよ。また連絡するから」

里乃は軽く手を振り、潤を見送る。
そのまま駅に向かう途中で目に入った公園に入ると、小さな子どもを連れた母親たちの姿を目にする。

里乃(……いいな。私もあんな風になれると思ってたんだけどな……)
里乃「……っ」

里乃の瞳から大粒の涙が零れ、嗚咽が漏れる。
不倫の現実を突きつけられ、調査結果を見て、和寿に嫌悪感を持っているのに、脳裏に浮かぶのは和寿との幸せだった日々。
憎しみが大きいのに、愛情がなくなっていないことが悔しくもある。

里乃(なにがいけなかったの……? どこから間違ったの……? 和寿は私に対してずっと不満があったの……?)
里乃「嘘つき……。私を幸せにしないといけないって言ったくせに……」
里乃(いったいいつから不倫してたの? 潤の奥さん以外にも不倫相手がいたの?)
里乃「なんで私がこんな思いしなきゃいけないの……」

里乃は、調査結果が入った封筒を皺がつくほど強く握る。
離婚を決めたつもりだったが、涙が止まらない。

里乃(どうして泣いてるんだろ……。悲しいから? 苦しいから? 潤の奥さんへの嫉妬? ふたりが憎いから……?)
里乃「……全部か。それでもまだ愛情がなくなりきってないなんてバカみたい……」

色々な感情が混ざってしまい、里乃はベンチに座ったまま顔を伏せるようにする。
夕方になるまでその場から動けなかった。



◆翌週の火曜日(八月末)
〇新村家のリビング(昼)

里乃のスマホに潤から電話がかかってくる。

潤『この間、大丈夫だった?』
里乃「……なんとかね」
潤『すぐに電話しようかと思ったんだけど、ひとりで考えたいかと思って』
里乃「うん。おかげで決心がついたよ」
潤『……これからどうするんだ?』
里乃「離婚しようと思う」
潤『そうか……』
里乃「うん」
潤『こんなこと訊くのはあれだけど……本当にそれでいいのか? まだ旦那のことが好きなんだろ?』
里乃「正直、よくわからない……」
潤『……』
里乃「不倫を知ったときはちゃんと愛情があったし、調査結果が出た日も夫への愛情はあったからすごく傷ついたけど、最近は憎しみの方が強くて……。でも、憎み続けるのももう疲れちゃったの」
潤『わかるよ。俺もそうだったから……』
里乃「うん……。それにね、少し前に夫にキスされて体に触れられたとき、心も体も拒絶してるのがわかって……もう修復は無理だって気づいた」
潤『……一緒だな』
里乃「そうだね……」

少しの沈黙のあと、潤が静かに告げる。

潤『里乃に提案があるんだけど』

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