恋をするのに理由はいらない
 呆然としている暇などなく、俺はすぐに動き出す。関係各所への連絡、スケジュールの調整、記者発表の準備。俺はそのままクラブハウスで指示を出した。
 メンバーたちは帰って行くのか廊下に足音が響いている。だがそこに、いつもの明るさはなく、話し声はほとんど聞こえない。すでに監督の耳には情報は入れてある。メンバーたちには、澪が怪我をしたことが伝ったのだろう。

 入れ替わるように、戸田さんが戻ってきた。

「……帰りました」

 少し硬い表情でそう言う戸田さんの隣には、項垂れている萌が立っていた。同じ合宿に参加していた萌が、澪が怪我をした瞬間を見ていないはずはない。
 戸田さんが誘導するようにその背中を支え近くにあった椅子に座らせる。座った萌は俯き、背中を丸め膝の上に両手で握り拳を作っていた。

「な……んで、澪さんが……」

 肩を震わせ、萌は振り絞るようにそう言う。拳めがけて雫がポタポタと落ちていくのが、少し離れた場所に立つ俺からも見えた。

「……私が……代わりになれば……」

 嗚咽を上げる萌の前に戸田さんは屈むとその手を握る。

「それは違うだろう? 萌が代わりに怪我をしていたら、澪は同じように悲しんだはずだ。こればかりは仕方のないことだ。これからどうするか、それを考えるべきだ」

 慰めるように手を握り、諭すように顔を覗きこんでいる。萌はその言葉にゆっくりと頷いた。
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