恋をするのに理由はいらない
 茹だるような暑さの続く真夏だとは思えないくらい、ここは心地よい。
 並んで水に足をつけ、規則的に聞こえる水の流れる音に耳を傾ける。木々の間を縫ってそよぐ風は緑の匂いと天然の冷気を運んでくれていた。

「気持ちいい……。ずっとここにいたい……」

 パシャパシャと水と戯れながら、しみじみとした口調で澪は言う。

「だな……。現実を忘れるな」

 俺も同じように水に足をつけながら答えた。

「なんか……外の世界は、こんなに広いんだなぁ、って思っちゃう」

 木々の隙間から見える空を眺めて、澪はポツリと言う。

「世界相手に戦ってたのに?」

 少し寂しそうな横顔に投げかけると、澪は視線を下ろした。

「私は……、カエルだったなって、思い知った。大海を知らない憐れなカエル……」

 澪は自虐的にも取れる言葉を吐き出す。そんな澪の肩を、俺は自分の元へ引き寄せる。

「大海を知るのは、いくらでも間に合う。まだまだ人生長いんだから」

 澪の頭に顔をつけ、俺は悟すように言う。

「そう……だね。ずっと、自分は選手としていつまで保つんだろうって考えてたから、人生そこで終わっちゃうみたいに感じてた。けど、よく考えてみれば、人生まだまだだもんね」
「あぁ。俺だってまだまだ知らねぇことは山ほどあるからな。一緒に……知っていこう」

 俺の肩にコテンと頭を乗せると「……うん」と小さく澪は言った。
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