龍神様の贄乙女
 男は龍神の祠の傍から躊躇なく川に足を踏み入れると、自身の腰ぐらいの深さの所で歩みを止めて、
「悪く思うなよ?」
 言って、山女の顔を一瞥するなり手足を縛られた彼女を横倒しのままそっと川面に下ろした。
 手を放す間際、もぎ取る様に口枷(くちかせ)を外してくれたのは、せめてもの良心だろうか――。

 雨でびしょ濡れだったとは言え、絶えず流れている川の水は思ったよりも冷たくて、成す術もなく沈んでいく身体からどんどん体温を奪われる。
 拘束なんてされて居なくても元々泳げない山女は水底へ向かって沈んで行きながら、水を掻き分けて岸辺へ戻って行く里長の息子の背中をぼんやりと見送った。
 置いて行かないで!と叫びたくとも、半ば水に沈んだ口では悲鳴を上げる事すら許されなくて。

 実際、辰に突き放され、里からも拒絶された山女には生きる術なんてない。きっと、遅かれ早かれ死ぬ運命なんだろう。

 でも――。

 そうは思っていても息苦しさに耐えられなくて、まるで地上に出たミミズ(地竜)みたいに水中でくねくねと身をよじって必死にもがいた。
 焦る余り開いてしまった口の中に、ごぽごぽと水が入り込んで、身体がどんどん重くなる。意識が……遠、ざか、る……。

『辰様……!』

 そんな中、山女はまるで助けでも呼ぶみたいに声にならない声で辰の名を呼んだ――。
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