大嫌いの先にあるもの
「春音!」
そう呼ばれた気がして、立ち止まった。
周りを見ると、通りの反対側に黒須が立っていた。

嘘……。
追いかけて来てくれた。

両手を口元にあて、信じられない気持ちで黒須を見た。
さらに信じられない事に黒須が歩道と車道の間にある柵を飛び越えて、こっちに向かって来た。

広い道路が重なる交通量が多い交差点なのに。
ハラハラしながら見ていると、タクシーが黒須に向かって走ってくる。

危ない!
タクシーが黒須の前で急停車した。

心臓が飛び出るかと思った。あとちょっとでタクシーに轢かれてた。
死んでいたかもしれない。何を考えているの!もうっ腹立つ。

こっちの通りに渡って来た黒須の元へ走った。

「危ない事はしないで」
黒須の胸を叩くと、いきなり抱きしめられた。甘いコロンの香りと熱い体温が伝わってくる。胸が締め付けられた。

こんな風に抱きしめられる所を何度も想像していたけど、これは現実?それともいつもの妄想?

通りを歩く人たちと視線が合って、妄想でもなく現実なんだってわかった。
六本木の人の往来が多い、こんな大通りで抱き合ってるなんて、段々恥ずかしくなってくる。

黒須は全然離してくれる気配はない。
本当にどうしちゃったの?なんかいつもの余裕がない気がする。

「ひ、人が見てるよ」
困り果てて口にすると、さらに強く抱きしめられたからびっくり。
本当に黒須どうしちゃったの?何があったの?

「く、黒須」
黒須の意図がわからず不安になる。
切れ長の二重がこっちを向く。

見た事のない熱い目をしていた。
怖い。こんな黒須、見た事ない。

鼓動がますます早くなる。
心臓が強く締め付けられる。

「どうしたの?」
視線が重なった瞬間、心も強く黒須に抱きしめられた。
抵抗しなきゃいけない。そう思うのに近づいてくる瞳を逸らせない。

あの夜と同じように唇がゆっくりと重なる。
胸が震えた。何も考えられなくなる。また流される。

これじゃあ、この間と同じだ。
ダメだ。

右手に力を入れて、黒須の頬を引っ叩いた。
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