素顔のきみと恋に落ちるまで
 数日後。仕事終わりに課のみんなで集まっていたのは、会社近くの居酒屋。今日は同じ課の女性社員の送別会だった。
 送別の理由は、結婚。今どき珍しい寿退社というやつだ。
 三十四歳、彼氏いない歴十年とでもなれば、結婚なんてまったく縁のないもの。ぶっちゃけ興味がない。……というのは建前で、こうやって目の前で幸せを振り向かれると、正直辛い。羨ましいを通り越して、全身にダメージを受けて心はボロボロだ。ついこの間も、同期が産休に入ったばかりだというのに。

「退職しちゃうのは寂しいけど、お幸せにね」

 なんて笑顔を振りまいているが、自分でもわかるくらいに顔がひきつっていた。
 胸の内にある、どす黒い気持ちがバレないように、席を立つ。
 トイレの個室の扉を閉めると、ふう、とひと息ついた。

 ……戻りたくないな。

 立て続けに他人の幸せ話を聞いて、さすがに心も荒んでくる。
 こんな自分に嫌気がさしてため息をつくと、隣の個室から出てきたであろう女子たちのヒソヒソ声が聞こえてきた。声からして一人は赤沼さん、もう一人は派遣社員の女性だった。

「あーやっぱ羨ましいですよね、寿退社って」
「わかります〜。今どき専業主婦とか、旦那さんどれだけ稼いでるんだろ」

 二人が手を洗ったあとは、カチャカチャと音がし、化粧も直しているようだった。
 どうしよう、このタイミングで出て――

「こうなったら足田さんポジション目指すのもありかも」

 鍵を開けようとしたタイミングで、思わず自分の名前に手を止める。
 勢いよく切り出したのは、赤沼さんだった。

「課長って、典型的に仕事できる女性って感じですよね」
「そうそう。仕事もできて人望も厚いってすごいですし。見習わなきゃ」

 盗み聞きしていることに罪悪感を覚えながらも、こうして裏で褒められていると、嬉しくてつい頬が緩んでしまう。
 同時に出て行くタイミングを見失ってしまい、そのまま待っていると、先ほどとは打って変わって低いトーンで話し始めた。

「でも、結婚できなくても彼氏くらいは欲しいですよね。誕生日、一人で旅行するのはちょっと……」

 えっ……。

「ああ、毎年一人旅行してますもんね。最近は本人から言わなくなったけど」

 これは、私のことだよね……?

「いくら仕事ができて独身謳歌してても、寂しいものは寂しいんですかね……」
「うーん、足田さんくらいになるとあまり気にしなさそうだけど」
「さすが、仕事に生きるって感じの方ですもんね」

 いやいや、寂しいけどね。ものすごく。仕事に生きているんじゃなくて、仕事しかないのが正しいのだけれど。

「やっぱり仕事だけの人生は嫌だな。私もさすがに彼氏に結婚迫ってみようかな……」
「えー赤沼さん彼氏さんいるんですね! どんな人ですか?」

 再びキャッキャと楽しい会話になり、二人が出て行く。
 ドアが閉まり、誰もいなくなったことを確かめると、大きくため息をついた。

 まあ、そうだよね……。いくら仕事ができたって、寂しい女ですよ、私は。
 敢えて言わなかった一人旅のことも、課のみんなにはお見通しのようだ。
 途端に虚しい気持ちに襲われ、今すぐ消えたい衝動に駆られる。けれど送別会だって仕事の延長なのだからと、切り替えて席に戻った。
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