エリート外科医との政略結婚は、離婚予定につき~この愛に溺れるわけにはいきません~
今も目を合わせるだけで精一杯で、母が今日のために用意したワンピースのしわを何度も手で伸ばしている。

「遥香ちゃん」
「あ、はい」

碧の声に、珠希は再び視線を上げた。

「この間、俺と一緒に演奏を聞かせてもらった女の子だけど、覚えてる?」
「は、はい。もちろん覚えています」

珠希は即座に答えた。

「まだ入院しているんですか?」
「ああ。でも来週はじめの診察で問題なければ退院が決まると思う。当分の間は地元の病院でリハビリを続けることになるけど」

碧はにこやかな笑みを浮かべ、答えた。
遥香の退院がよほどうれしいのだろう。

「それは、よかったです。遥香ちゃんも喜んでるでしょうね。でも、地元って……」
「実は遥香ちゃんは初めから白石病院で診ていたわけじゃなくて、事故の直後に運び込まれた地方の病院から転院してきたんだ。かなりの重傷を負っていて、頭部にも外傷があったから、設備が整っているうちの方がいいだろうって判断でね」
「……まだ小さいのに、大変でしたね」

珠希は表情を曇らせた。
八歳の子どもが半年も入院しなければならない大けがを負ったのだ。
本人にも家族にも相当の苦労があったはずだ。

「この先もできればうちで経過をみたいけど、わざわざ通ってもらうのは大変だからね。今後は最初に運ばれた地元の病院で、リハビリも含めお願いすることになってるんだ」
「なるほど」

聞けば遥香の地元は新幹線で一時間以上の距離にある地方都市。
病院が変わるのは仕方がない。
クリスマスイベントで会えないのは残念だが、遥香が無事に退院できそうだとわかり、ホッとした。

「遥香ちゃんのことで、和合さんにお願いがあるんだ」

碧は遠慮がちに言葉を続けた。

「お願い、ですか?」

碧は小さくうなずいて、テーブル越しに珠希に身体を寄せた。


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