媚薬

再び



「いらっしゃいませご注文は何にされますか」

夏はできるだけ平静を装い、いつもと変わらない様子でにこやかに注文を聞いた。

「久しぶりだね。ウイスキーをロックでお願い」

かしこまりましたと夏は彼のウイスキーを準備する。

その間におつまみを出したマスターはそれとなく彼に質問をした。

「お仕事帰りですか?」

「そうですね、最近は仕事が忙しくて、なかなか時間が取れません」

「お疲れさまです」

初めて会うお客様に対して質問をするのはタブーだ。それを承知でマスターは訊ねている。

「仕事で近くに来ることが多くなったので、この辺りで良いバーを探していました。ここは雰囲気がよく落ち着けますね」

「そうですか、有難うございます」

マスターはうんうんと頷きながら、いつもの営業スマイルで、どうぞごゆっくと感謝の気持ちを伝えた。

数分話をするだけでマスターは人を見抜く。お酒の飲み方もそうだが、例えばおしぼりの置き方、トイレの使い方。姿勢やファッションセンス。

彼はマスターから及第点を得たようだった。

ウイスキーを彼の前に出すと同時に、新しい客が二人入ってきた。そして女性客の常連さんがやってきた。

店が少し忙しくなり、彼と話をしなくて済むと夏は少しホッとした。

常連の女性客はマスターに気があるらしく、いつもはカウンターの奥の席でお店が暇な時にマスターに相手をしてもらっている。
今日は初めて見る客の彼を見つけると「お隣、よろしいですか?」と尋ねた。

連れがいる場合を除き、こういう時に断るのは客同士気まずくなる。空いている席に座るのは客として、もちろん自由だからだ。

「どうぞ」

愛想よく答え、彼は腕時計に目をやった。




二杯目を飲み終わると彼は夏を捕まえた。

「話があるから時間は取れる?」

夏はドキッとした。やはり声をかけてこられた。

「後、一時間ほどで終わります。部屋で待っていてください」

会計のとき、部屋の鍵をそっと彼に渡すと、ありがとうございましたと言って送り出した。
< 13 / 36 >

この作品をシェア

pagetop