媚薬
秘書の木下さん
そんなある日、彼の仕事が忙しくなり出張も増えるという事で会社から秘書の木下さんという人が家にやってきた。彼女は彼の片腕として10年もの間傍で彼の仕事の手伝いをしている女性らしかった。
夏の記憶にはないが、公私共にお世話になっている人らしく、家の手伝いにも何度も来てくれているようだった。
私が入院している時も、東京で暮らしている時も海斗さんの身の回りの世話をしてくれていたようだ。
「私は長い間社長の秘書としてあらゆる事に同行していました。奥様の事故の時にはそれはもう見ていられないほど辛そうでした。私は社長の全てを傍で見てきました」
木下さんは挨拶もそこそこに話し始めた。
眼鏡をかけた知的な容姿から真面目な性格がうかがえる。身なりもきちんと整えられていてキャリアを積んだ仕事のできる女性なんだろうと一目でわかる奇麗な人だった。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
自分の今までの状態が酷いものだったことを改めて痛感した。ただ謝るしかない。
「あなた、本当に記憶をなくしたの?調子よく彼を独り占めしたくてわがままを言っているんじゃないの?」
急に木下さんの態度が豹変した。彼女の目は怒りに燃えている。
「……えっ」
「大事な中国の案件もほったらかして、日本へ帰国したし、仕事をしなければいけない時にあなたの世話で引っ張り回されて、正直こちらとしてはあなたは煩わしい存在でしかないです」
悪意すら感じるその様子に恐怖心が沸く。
何でも気兼ねなく彼女に頼むと良いと海斗さんは言っていた。今日は海斗さんの代わりに病院まで付き添てもらう予定だった。ひとりで行けると言ったのに道中何かあったら困るからと、海斗さんが木下さんに付き添いを頼んでくれたのだった。
「……そうです……よね」
責められるのも当然であることはわかっている。夏の肩が震えだした。
「そろそろ社長を解放してさしあげたらいかがですか?」
痛い。頭が痛い。
夏は両手で頭を抱えた。耐えられないほどの激痛がはしり、座っていられなかった。
「……あの時死んでいれば良かったのに」
夏はバタリと床に倒れ込んだ。遠くで木下さんの呟く声が聞こえた。