まもなく離縁予定ですが、冷徹御曹司の跡継ぎを授かりました
「ご無沙汰してます。どうされたんですか」

 人当たりのいい彼は満面の笑みで近づいてきて、私も知った顔にホッとした気持ちになる。

「すみません、突然押しかけてしまって。これもしよかったら皆さんで」
「ああ、ありがとうございます。言ってくださればお迎えに上がりましたのに」

 ちょうどすぐそばで買ってきた飲み物を渡すと、周りにいた従業員の皆さんがペコペコと頭を下げてくるのに応える。その間ちらちらと一哉さんを探したけれど姿はどこにも見えなかった。

「社長ですよね。ちょうど外出してしまって今日はもうお戻りにならないかと」
「そう、ですか。あ、いいんです、私が勝手に来ただけなので」

 仕事の邪魔はしたくないとあえて連絡をせずにきた。だから私が京都に来ていることすら知らないから当たり前なのに少しだけ残念だった。

「こちらがお泊りのホテルです。フロントには伝えておきますのでそちらでお待ちになっていてください」

 名刺の裏にさらさらと何かを書き始めたかと思ったら、ホテルの名前を渡されてうろたえる。

「えっと、勝手に聞いてしまっていいんでしょうか」
「何をおっしゃいます。ご夫婦じゃないですか」

 不思議そうに言われ慌てて笑顔で誤魔化した。

 彼からしたら私たちは本物の夫婦なんだ。

 忙しなく仕事に戻っていく光井さんにお礼を言ってすぐに乗り込んだタクシーの中で、これが夫婦の当たり前なのだとしみじみ実感した。

 そうは言ってもやっぱり契約夫婦には越えてはいけない境界線というものがあって、勝手に彼の部屋に入って待つなどできるわけがなかった。


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