泡沫の恋

春野愛依side

春野愛依side

あと一人終われば次は私達の班の番だ。

初めての乳しぼり体験に心を弾ませながら順番を待っていると、突然春野と名前を呼ばれた。

その声は間違いなく九条だった。

「うん?」

振り返って首を傾げる。

あまり表情豊かじゃない九条の顔には何故か余裕がなく、少し困ったように眉間に皺を寄せていた。

何かあったのかなと不安になったのも束の間、九条は言った。

「俺が写真撮るよ」

意外な言葉に面食らう。

「いいの~?ありがと!」

思わず笑ってしまった。

写真を撮るよっていうだけのためにあんな顔をするなんて。

牧場のスタッフに呼ばれた山上君と三花が二人で牛に近付いていく。

私と九条は隣の牛のところへ案内され二組に別れて乳しぼりが始まった。

「九条、先やっていいよ」

「おぉ」

手順を一通り教わる私達。

親指と人差し指でしっかりと輪を作って根元を握る。

次いで中指、薬指、小指を順番に握っていくだけでお乳が飛び出してくるらしい。

九条は動じる様子もなく牛の乳を搾る。

「あらっ、上手!初めてじゃないのかしら?」

「初めてです」

牧場の人が驚いたように声を上げるのにも動じない九条が少し面白くて思わずフッと笑ってしまった。

写真を撮りたい気持ちをぐっと堪えて私は乳しぼりをする貴重な九条の姿を目に焼き付けた。

そして、ついに私の番になった。

スタッフのおばさんが違うスタッフに呼ばれて「ちょっと続けててもらえる?」と声をかけて離れていく。

「えっと、こうして……」

教わった通りにやろうとしてもなかなかうまくいかない。

九条のを見ている限り簡単そうだったのに……。

「九条、全然できないんだけど……」

スマホを構えていた九条は私に歩み寄ると、そっと私の背後に腰を落とした。

そして、流れるような動きで私の手の甲に手のひらを重ね合わせた。

「結構強く握らないとでないから」

「そ、そうなの……?」

私の頭の中はもう乳しぼりどころではなくなっていた。

「こ、こう?」

「そんな感じ。もう少し強く握れる?」

私の手と九条の手が触れ合っていると思うだけで心臓がはち切れんばかりに鳴る。

九条の手は自分の手とは全然違うし、想像していたよりもずっと大きくて温かい。

ドキドキという心臓の音が九条に聞かれそうで恥ずかしい。

九条の言う通りに指に力を込めるとようやく成功した。

「わ……!で、出た!!すごい!!」

思わず声を上げると、九条はハッと我に返ったみたいに私から手を離して、再びスマホを構えてたくさんの写真を撮ってくれた。

「お待たせ!!どう?うまくできた?」

「はい!ありがとうございました」

おばさんが戻って来たタイミングで立ち上がると、おばさんが九条にそっと手を差し出した。

「せっかくだし、記念写真撮ってあげる。はい、並んで?」

「え……」

でも、九条が嫌がるかも……。

九条に目を向けると、「撮ってもらおう」と進んで牛の前に向かった。

「いいの?」

「ああ」

苦手だって言ってたのに、どうして?

照れ臭くなりながらも嬉しくて私は満面の笑みを浮かべながら両手でピースサインをした。


そのあと牧場を出ると、私達は海鮮丼の美味しいお店に入りお腹を満たした。

店を出ると、男子二人は近くにキッチンカーが止まっていることを目ざとく発見する。

九条と山上君は海鮮丼だけでは満たされなかったらしくキッチンカーにケバブを買いに行ってしまった。

「ねえね、これ見て?今日一番嬉しかったかも」

私はおばさんに撮ってもらった写真を三花に見せた。

「えっ、めっちゃいいじゃん。つーか、アンタ達お似合いだわ」

「九条カッコいいよね……」

長身ですらりとした細身の体型。さらには小顔。

さっぱりした清潔感のある容姿の九条は人目を引く。

現に今キッチンカーに並んでいる九条の後ろの他校の女子高生たちが九条を指差してキャッキャと盛り上がってる。

前の人かっこよくない?ヤバいよね。

彼女たちがそんな会話をしていることが手に取るように分かる。

「ていうかさ、愛依は九条とどうなりたいって思ってんの?」

「……そりゃ付き合いたいって思ってるよ」

三花の言葉に私は照れながら答えた。

「じゃあ、自分から態度とか言葉で示さないと。なんとなくだけど、九条も自分からグイグイって感じじゃないと思うし。なんとなく奥手な感じする」

「そうなのかな……?」

「なんとなくね。ただ、九条って女子に人気あるからさ」

「だよね……」

後ろの女子達が九条に声をかけようとしてソワソワしているのが分かる。

早く買って戻って来てほしいな……。

九条の後ろ姿に念を送っていると、九条が振り返ってこちらを見た。

すると、後ろの女子達も一斉に九条と同じ方向を見つめる。

私は自然と手を挙げてブンブンっと九条に向かって手を振った。

早く戻って来てよ、九条。

九条への好きが大きくなればなるほど、私はどんどん嫌な女になっていく。

付き合ってるわけでもないのに九条が他の女の子に見られてるって思うだけで胸の中が苦しくなるんだ。

九条はわずかに首を傾げた後、私に向かって手を振り返してくれた。

女子達が落胆した表情で私から目を逸らす。

ホッと胸を撫で下ろしている私の隣で三花がポンッと私の頭を叩いた。

「大丈夫?なんか泣きそうな顔になってるぞ」

「九条のこと好きになってから毎日楽しいし幸せな気持ちになるけど……辛いときもあるよね」

恋って綺麗なだけじゃない。こうやってドロドロで黒い感情に包まれてしまうこともある。

「それが人を好きになるってことだよ」

三花は私を励ますように微笑んだ。

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