泡沫の恋
家を出た頃には外は薄暗くなっていた。

冷たい北風に体を縮こませて寒がる愛依の手をギュッと握ると、愛依は嬉しそうに俺を見上げてふふっと笑った。

イルミネーションを見に行く前に少しショッピングでもしようと言う話になり、駅直結のファッションビルに入った俺達はお揃いの猫のキーホルダーを買った。

少し可愛すぎる気がして悩んだけど通学バッグにお揃いで付けたいと懇願され受け入れることにした。

愛依は絶対つけてねと何度も念を押す。

そんなにお揃いの物が欲しかったのかと尋ねると、賢人が私の彼氏だってみんなに知ってほしいからと真面目な顔で言った。

俺と愛依が付き合ってることなんて同じ学年の人間ならほとんどが知っているだろう。

それなのにどうして愛依がそんなことを言うのか俺には分からない。

なんか不安なことがあるのかって聞いたら愛依は首を横に振って「ないよ」って笑った。

その笑顔の裏に愛依の不満があることになんとなく気付いていたけど、それ以上聞こうとはしなかった。

折角のクリスマスを台無しにしたくなかったし、それ以上に俺は愛依と今のままの良好な関係を保っていきたいと思っていたから。

外が暗くなると、駅から歩いて行ける大きな公園に向かう。

地元では有名なイルミネーションスポットで、公園内が様々な色のLEDライトで彩られる。

ひとつ空いていたベンチに腰掛けて俺達はぼんやりとイルミネーションを眺めた。

北風が吹き愛依が体を震わせたのに気付いて俺は首に巻いていたマフラーを愛依の膝にかけた。

「ありがと」

「寒いよな。大丈夫?」

「平気。賢人といれば寒さなんて吹っ飛んじゃうし」

「いや、俺といたって寒い時は寒いでしょ」

「そんなことないよ。こうやってしてれば寒くない」

愛依は繋がれている手のひらにぎゅっと力を込めた。

ー―だから、ずっと一緒にいて。

直接言われたわけじゃないけど、愛依の考えていることは手に取るように分かる。

寒さで鼻を赤くして微笑む健気な愛依の姿を可愛いと思う反面、わずかにその気持ちが重いと感じる。

ずっと一緒にいたいと思う気持ちはあるけど、俺にはサッカーに力を入れなくてはいけない事情がある。

うちには愛依のように簡単に予備校に通えるほどの金銭的余裕はないし、親にもスポーツ推薦以外での大学進学は厳しいと告げられている。

妹の亜子も『お兄がうまくやってくんないと、あたしが大変なんだからね!』と釘をさされている。

愛依が勉強を頑張って大学に進学するように、俺もサッカーを頑張らなくてはならない。

そのプレッシャーは日に日に強くなり、時々胃の奥がギュッと痛くなり食欲がなくなることもある。

「賢人って年末年始は部活休みだよね?一緒に年越ししない?近くの神社でハッピーニューイヤーって言いたい!」

愛依の話が止まらない。

「初詣も行きたいし、一緒に初売りにも行きたい」

「愛依は勉強はしないでいいの?」

年末年始に部活がなかったとしても、家の近くのグラウンドで自主練はするつもりだった。

年を越した後も4日から部活が始まる予定だし、遊ぶ時間はほとんどない。

「年末年始はさすがにしないよ。受験までまだ時間あるし、息抜きしなくちゃ」

笑顔の愛依に心の中でなにかがささくれ立った。

愛依にまだ時間があっても、俺にはない。

一分一秒、無駄にはできない。俺がこうして愛依と過ごしている間にも、サッカーの練習をしているチームメイトがいるということに焦りを感じる。

「賢人も今日みたいにサッカーから離れることも大事だと思うよ」

「どういう意味……?」

「サッカー推薦で入学したのも、2年でレギュラーなのも賢人だけなんだよね?だったら、そんなに根詰めなくても大丈夫だよ」

余裕をなくしているところを愛依につきつけられたような気分だった。

今までは、心の片隅でレギュラーを外されることはないというおごった考えを抱いていた。

そんな傲慢さを顧問には見抜かれていたんだろう。だから、警告を受けた。

部員のレベルも上がりいつレギュラーを外されてもおかしくな状況に今の俺はいる。

それどころか、顧問には女にうつつを抜かしているとすら思われている。

「あのさ、多分、今の俺は愛依が思ってるよりもヤバい状況だから」

ぽろっと口から零れ落ちた弱音を拾いあげるように愛依が「大丈夫」と微笑んだ。

「賢人は頑張ってるもん。絶対に大丈夫」

なんの根拠があって大丈夫と言うのか俺には分からない。ただ、愛依にそう言われると何故か無性に腹が立った。

「なんで大丈夫って言えんの?愛依はサッカーのこと分かんないでしょ?」

「だって、朝早くから夜遅くまで練習してるし」

「そんなの俺だけがやってることじゃない。それに、今日だって翔太とか他の奴らは自主練してるし。クリスマスだからって遊んでんのなんて俺だけだよ」

今日は愛依を楽しませる日だって決めていたのに、俺は感情的になり言わなくていいことまで口走っていた。

「だって今日は一日休みだって言ってたでしょ?」

「部活が休みってだけでみんなは自主練してる」

「……え。じゃあ、賢人も本当は自主練したかったの?」

愛依の顔がみるみるうちに曇っていくのに気が付いて「もうこの話はもうやめよう」と言葉を切った。

「クリスマスだから……私のせいで賢人は今日練習できなかったの?」

「そうじゃなくて……。ていうか、マジでもうやめよう」

「本当はそう言いたいんでしょ?」

「だから、もうその話はいいって」

突き放すような言い方になり慌ててフォローを入れようとすると、愛依は俺を非難する様な目を向けた。

「本当は昨日デートする予定だったんだよ?でも、賢人は来てくれなかった。でも、今日なら一日一緒にいれるからって。そう言ったのは賢人だよね?」

愛依の目にみるみるうちに涙が溜まっていく。

「ごめん……」

「謝らせたいんじゃないよ。だけど、サッカーが出来ない理由を私だって言わないで欲しい」

愛依は両手で顔を覆った。

「私は今日、賢人と会えるのをものすごく楽しみにしてたよ。朝早く起きて髪巻いたりいつもよりオシャレして……。でも賢人は違ったんだね。私ひとりだけが舞い上がってたんだね」

震えたその声が俺の胸に突き刺さる。

「私の存在って……賢人の邪魔なのかな?」

「違う、そうじゃな――」

「苦しい……」

顔を覆っていた両手を開いてしゃくりあげるような声を上げた愛依の目から大粒の涙が溢れて頬を伝った。

「苦しいよ、賢人……」

顔をくしゃくしゃにしている愛依を見ていられなくて俺は頭を下げて謝った。

「本当にごめん……」

何に対しての「ごめん」なのかもはっきりしないぐらい、俺は無意識のうちに愛依を傷付けていたんだと気が付いた。

でも今の俺には謝ることしかできない。

情けなく響いた俺の謝罪の言葉に愛依は返事をしなかった。

その代りにバッグから取り出したタオルで零れ落ちる涙を必死に拭っていた。

強い北風が吹き、愛依の膝の上のマフラーがふわりと舞い地面に落ちた。

寒さで震え出す両膝を愛依がぐっと両手で押さえつける。

『朝早く起きて髪巻いたりいつもよりオシャレして……。でも賢人は違ったんだね。私ひとりだけが舞い上がってたんだね』

全部、俺の為だったんだ。それなのに、俺は。

何かを言おうと思っても、言葉にならなかった。

輝くイルミネーションが照らし出した愛依の泣き顔から逃げるように、俺は愛依からそっと目を逸らした。
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