竜帝陛下と私の攻防戦
 翌日。
 高級感ある石で出来た調理台の上へ並べられた野菜や果物、肉と魚介類を前にして、佳穂は用意してもらったエプロンを水色のワンピースの上から着けた。
 ワンピースの袖を捲り、手を綺麗に洗ってから調理場で働く料理人達へ頭を下げた。

「さて、やりますか」

 テレビで見たことがある料理対決番組のキッチンスタジオ並みか、それ以上の広さがある調理場で料理を作るのは緊張する。
 ワンピースとエプロンの裾を翻して、佳穂は食材の確認に取りかかった。
 調味料だと教えてもらった硝子瓶に入った焦げ茶色の液体をティースプーンへ垂らして口に含んだ。

「お醤油? これは魚醤に近いかな?」

 帝国では珍しいという布袋に入った米を一掴みし、手のひらで転がして確認する。

「お米は、もち米に似ている?」

 次に、見た目は赤カブ、中身は大根な野菜を輪切りにして一噛りして首を捻った。

「うーん、大根みたいな味?」

 大根の代わりに使おうと皮を剥くため包丁を握った佳穂の側へ、切った野菜を入れたボウルを持って料理長がやって来た。

「姫様、切り終わりました」
「ありがとうございます」

 綺麗に皮を剥かれた野菜と料理長を見て、佳穂は愛想笑いを返した。
 自分より年上の男性から姫様と呼ばれるのは抵抗があり、佳穂は名前で呼んで欲しいと頼んだのだが……料理長と料理人達は顔色を悪くしてちぎれんばかりに首を横に振った。

「陛下の許可なく姫様の名を口にするなど、そんな恐れ多い真似は出来ません」

 今にも倒れそうなくらい青い顔色の彼等に無理強いするわけにもいかず、佳穂は姫様と呼ばれるのを受け入れるしかない。

「次は、これの皮を剥いて切ってください」

 見た目は人参、切った色は橙色よりも緑色に近い不思議な野菜を渡す。

「姫様、この出汁の作り方は……」

 皇帝陛下の舌を満足させるため、馴染みの無い和食を知るためだろう。
 料理人達からの質問と、遠巻きに見ている下働きの人達の視線を一身に浴びて、佳穂は引きつりそうになる口元を何とか笑みの形にして答える。

(これは、もの凄く疲れる)

 馴れない設備と注目を浴びる緊張感に満ちた状況に、包丁を握る手を震えさせながらどうにか料理は完成した。



 小規模な晩餐会を開けそうなくらい広々とした皇族専用の食堂の中央に置かれた、部屋と比べたらこじんまりしたテーブル。
 テーブルに頬杖を突いて待っていたベルンハルトの姿は、お行儀が悪いよりもお腹を空かせご飯を待ちわびた少年みたいで可愛いと感じ、佳穂は笑いそうになる。

 頬杖をついたままベルンハルトは視線を動かし、蒼色の瞳が佳穂の方へと向く。
 給仕係がベルンハルトの前へ、次々と皿を並べていく。
 しかし、彼の視線は料理には向かず佳穂から離れない。

「御待たせしました」

 周りを見習って一礼すると、ベルンハルトは片手を差し出した。
 近くに来いということかと判断して、佳穂はベルンハルトの傍らまで歩み寄る。

 豪華絢爛な食堂は、世界を隔てた我が家での食事風景とは全く違うけれど、彼との距離は四人用のテーブルで食事をしていた時と同じくらい近くになった。

「炊き込みご飯、マチルの煮物、菜っ葉の胡麻和え、だし巻き玉子、吸い物です。炊き込みご飯は薄味にしています。では、ごゆっくり?」

 話の途中でベルンハルトに手首を掴まれた、語尾は疑問形になってしまった。

「何処へ行く?」

 普段は頭一つ分以上身長の差があるけれど、今のベルンハルトは椅子に座っているため佳穂よりも少しだけ目線が低い。
 見上げてくる蒼色の瞳の中に、困惑の表情を浮かべた佳穂が映り込んでいるのが分かって、どきりと心臓が跳ねた。

「何処へって、調理場へ行って片付けをしてくる、よ?」

 正直に答えたのに、ベルンハルトの眉は不満そうに寄せられ、語尾が疑問形になる。

「片付けは他の者にさせて、お前も共に食事をしろ」
「私も? 此処で一緒に食べるの?」
「彼方では食事は一緒食べていただろうが」

 言い終わるや否や、ベルンハルトの腕は佳穂の腰へと回されくるりと彼の腕の中、膝の上に座らされた形で捕らわれてしまった。

「拒否するというならば、このまま俺の膝に座って食べさせてもらおうか」
「一緒に食べます!」

 膝の上に乗せられた驚きの言葉を口を開く前にとんでもないことを言われ、引きつった顔で即答すればベルンハルトは愉しそうに笑った。


 渋々、我が儘な皇帝陛下の向かいの席へ座り、佳穂は自分で作った炊き込みご飯を口に運びながらベルンハルトの反応を伺う。
 煮物を咀嚼して飲み込んだベルンハルトはふわりと表情を綻ばせた。

「これだ。このカホの作った料理を食べたかった」

 食材と調味料を確認しながら調理したとはいえ、彼の口に合ったようで佳穂はホッと胸を撫で下ろした。

「良かった。料理長さんにも作り方を教えて、味も確認してもらったからこれからも食べられますよ」

 へにゃりと佳穂が笑った瞬間、ベルンハルトが持つ箸が止まった。

「……味見、だと?」

 低い声の中に刃のような鋭さを感じて、佳穂は思わず小さく「ひっ」と悲鳴を漏らした。
 壁際に立つ給仕係や侍女達も、不機嫌になった皇帝の声を聞きビクリと肩を揺らす。

「俺以外の男が、カホの作った料理を食っただと?」
「ベ、ベルンハルトさん?」

 ベルンハルトを中心にして空気が張りつめていき、室内の温度が下がっていく。
 側に居るだけで消耗させられるような圧力を放つベルンハルトは、底冷えするくらい冷たい冷笑を浮かべた。

「始末するか」
「えっ? 始末って?」

 軽い口調で物騒なことを言い出すベルンハルトは、佳穂が慌て出したのは心底愉しい様子でニヤリと口角を上げた。
 彼は“冷徹、冷血皇帝”と呼ばれているのだと、お喋りな侍女から聞いたことを思い出して佳穂はぎゅっと下唇を噛む。

「もう、ベルンハルトさん以外の男の人には作らないから、酷いことをしないで」

 真面目で人の良さそうな料理長が自分のせいで、しかも下らない理由で処罰されるのは酷すぎるし、佳穂が罪悪感に耐えられない。
 絶対零度な圧力を放つ皇帝陛下に意見するのは恐ろしくて、半泣きの眉尻を下げた情けない顔で真正面を向いてベルンハルトを見詰めれば、彼は満足そうに頷いた。

「明日は、カホの作ったガトーショコラが食べたい」
「は?」

 唐突なリクエストに、すっとんきょうな声をだしてポカンと口を開けた佳穂の様子が面白かったのか、ベルンハルトは堪らず声を出して笑いだした。


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