訳あり精霊と秘密の約束を~世話焼き聖獣も忘れずに~

13 言霊を聞くもの

 海音の怪我はひどいもので、その場にいた葵とアキラは慌てて医者へ連れて行こうとしたらしい。
 けれど金色に輝く巨大な豹が海音の前に仁王立ちして、触れることを許さなかった。その間に何もない所から現れた不思議な男が、海音を抱えるなりふらりと消えてしまったという。
 後でセネカにその話を聞いた海音は、どう説明するか頭を抱えることになった。
 実際のところ、海音はシルヴェストルにセネカの家へ連れて行かれ、そこで手当てをしてもらった。
「魔の言霊が子どもたちにとり憑いたんでしょう。言霊が集まる場所には悪い言霊も引き寄せてしまいますからね」
 海音の体に出来た切り傷や打ち身を手当てしながら、セネカは海音に教えてくれた。
「森の生き物たちはマナトに親愛の情を示そうとしたんでしょうけど……」
「間が悪かったということでしょうか」
「お前も悪いのだぞ」
 手当ての間中側を離れなかったシルヴェストルは、憮然とした様子で言った。
「狩りなど惶牙に任せておけばいいのだ。金も十分与えているだろう」
「す、すみません。武術の訓練になると思って」
「だからなぜ訓練が必要なのだ。公国はそんなに危険な街か」
 そうではありませんと言葉を重ねるが、シルヴェストルの不機嫌は収まらなかった。
「まさか傭兵などになるつもりか」
「あ、あの。ですが」
「否定せぬのか」
「まあまあ」
 セネカが眉をハの字にして宥めにかかる。
「海音も疲れていますから。少し寝かせてやりましょう」
 シルヴェストルはまだ言い足りないようだったが、包帯で巻かれた海音の体に目を走らせると、仕方なさそうに目を伏せた。
 セネカは手当てを終えると、穏やかに精霊に話しかける。
「葵には私が海音を預かっていることを伝えておきます。今晩は様子を見たいので、ここでお世話しても構いませんか?」
「……任せる」
「ありがとうございます」
 海音はうとうとし始めていた。日が暮れてもうかなりの時間になる。疲れが体を眠りの世界にひきずりこむようで、まだ小さな子どもには辛かった。
「シヴ様、すみませんでした……」
 瞼を持ち上げようと必死になっている海音の額に、精霊の大きな手が触れた。
「もういい。寝ろ」
 それ以上何か言うことを許さなかったので、海音は脱力感に従って眠りに落ちて行った。
 夜中に何度か、近くに気配を感じた。セネカが見に来ているのかと思ったが、それにしては人の匂いのようなものがない。
(シヴ様だ)
 何か言いたいことがあるのだろうか。そう思って海音が身じろぎすると消えてしまう。
(やっぱり怒っていらっしゃるのかな)
 ため息をついて、海音は膝を抱えた。
(みんなにも、マナトだってことはばれちゃっただろうし。僕がもっと強かったら、悪い言霊に憑かれたみんなを止めることもできたのにな)
 やはり自分が弱いことがいけないような気がする。
(それにしても、動物たちがあんな声を持ってたなんて)
 思い出すのは、か細い女の子の声。聞いたこともないほど儚くて、優しい声だった。
(あの子、どうなったんだろう……?)
 小枝のように細い足に深く矢が突き刺さっていた。引き抜いて止血をしたが、すぐに血で布が染まった。
 まだ生まれて数ヶ月だろう。そんな幼さで矢に貫かれた痛みに苦しんでいるかもしれないと、海音は眠っていることができなくなった。
 そっと寝台を抜け出して部屋を出る。家の中は静まり返っていて、セネカも眠っているようだった。
「……どこへ行く」
 縁側から下りようとしたところで、肩を掴まれた。心臓が飛び跳ねるくらいびっくりしたが、振り返った先に見慣れた精霊の姿があってほっとする。
「なぜお前は大人しく寝ていない。いつも勝手なことばかりする!」
「シヴ様、声が高いです! セネカさんが起きてしまいます」
 慌てて海音がシルヴェストルの口を塞ぐ。その海音の手首を掴んで、精霊は剣呑な調子で言葉を続ける。
「どこへ行くのだ。出て行くつもりなら先に言えと前にも言っただろう」
「ち、違います。その、昼間の小鹿が気になって」
「小鹿?」
 怪訝な目をして精霊が問う。
「矢傷を負った子がいたでしょう。あの子がどうなったのか、見に行こうと思って」
 海音が目を伏せると、シルヴェストルはようやく海音の手を掴む力を弱めた。
 苦々しい表情でため息を一つついて、彼は言う。
「母鹿の元に帰った。今頃は眠っているだろう」
「大丈夫……でしょうか?」
「それはあの鹿の生命力次第だろうな」
 シルヴェストルは海音の体を反転させて、元の部屋へ誘導する。
「お前が気にすることではない。お前は人の子なのだから」
 何気なく言われたことだったが、海音はその言葉に口元を歪める。
(シヴ様は小鹿の子のこともちゃんと知っていらっしゃった。僕が気軽な気持ちで狩りなんてしてしまったのに)
 遊び半分で狩りに行くのはやめよう。海音は胸に刻む。
 部屋に戻っても、なかなか海音は眠りにつくことができなかった。






 三日間、海音は箱庭で休むようにシルヴェストルに命じられた。
 異変に気づいたのは箱庭に戻ってきた日の朝食の席だった。
 海音は大好きな果物を口に運ぼうとして、思わずそれを取り落とした。
「海音? どうした」
「あ、ありがとう」
 側で寝そべっていた惶牙がくわえて海音の手に果物を戻す。
 海音はもう一度果物を口まで持っていったが、手に吸い付いてしまったかのように口の中に入れることができない。
 自然と震えだす手を他人のもののようにみつめながら、海音は果物を葉の皿の上に下ろした。
(聞こえる。生き物の言霊が)
 途端に、自分が今までどれだけの命を無意識に殺してきたかを考えて、海音は胸が苦しくなった。
「ごめん。食欲、ないみたいで」
「そっか。まあ無理するな。横になるか?」
 海音は頷こうとして、向かい側に座るシルヴェストルの視線に気づく。
 緑髪の精霊は射抜くような眼差しで海音を見ていた。海音が隠そうとしたことなどすべて見抜いてしまいそうな、鋭い目だった。
 海音は食事の席を立つことを詫びてから、いつも寝室に使っている部屋に入っていった。
 心地よい草の絨毯に寝転ぼうとして……海音は動きを止める。
 背中に草が触れようとした時、また感じた。何を言っているのかまでは聞き取れなかったが、名も無き植物の声が耳に木霊した。
「石の上に寝るのか? 硬いだろ」
「い、いいんだ」
 海音は石の床にそのまま体を横たえて、毛布を頭まで被った。
「こら。何隠れてる」
 海音が遊んでいるように見えたのだろう。惶牙は笑いながら毛布をめくって横に寝そべる。
「……海音?」
 けれど不自然なほど青ざめた海音の顔を見て、惶牙は眉を潜める。
「どこか苦しいのか? 医者に行くか?」
「う、ううん。ごめん、眠るね」
 海音は慌てて目を閉じて惶牙に背を向けたが、心臓は大きく鳴り始めていた。





 三日目になっても水しか口にしない海音に、惶牙とシルヴェストルは事態を察知した。
「聞こえるようになっちまったか」
 惶牙はぐったりと寄りかかる海音の頬に、心配そうに顔を寄せて言った。
「精霊様や聖獣がほとんどものを食べないのは、こういうことだったんだ」
「ああ、俺たちも聞こえるからな。生き物の声が」
「それなのにいつも僕の食事につきあわせたりしてごめん。辛かったでしょう」
 申し訳なさそうに目を伏せた海音に、惶牙は慌てて言う。
「俺はもう慣れてる。お前と一緒に食事したいと、望んでやったことだ。お前が気にすることはない」
 惶牙は海音の体が痩せてしまったのを見て、宥めるように続ける。
「なあ海音。生きるためには必要なんだ。気にせず食べろ」
 黙りこくった海音に、惶牙は優しく言う。
「何が食いたい? 魚のすり身とか、豆や野菜を煮込んだやつなら原型もだいぶなくなってるし食いやすいんじゃないか? シヴに言って作らせるか」
「ありがとう……でも、今はごめん」
 惶牙が心配してくれるのは嬉しかったが、本当に何も食べたくなかった。
「学校に行ってくるね」
「お、おい! 大丈夫かよ」
「平気。気晴らしにもなるかもしれないし」
 立ち上がって海音は支度を整える。
(シヴ様が留守でよかった。今の内に)
 逃げるように箱庭を抜けて、学校に向かった。
「おはよう、ございます」
「ああ、おはよ」
「おはようー」
 三日ぶりに現れた海音を、子どもたちはいつも通りの態度で迎えた。
 あの狩りの日の出来事などなかったかのように、あちらこちらでおしゃべりをしている。
(言霊に憑かれた時のことは忘れてるのかな)
 それならそれで構わないと、海音はあの日のことについては触れないことにした。
「海音、ちょっと」
 けれど昼休みになるが早いか、アキラが海音を呼んで外に連れ出した。
 いつもの場所ではなく、学校から離れた広場の隅まで来ると、恐る恐る切り出す。
「お前、マナトだったんだな」
 アキラは記憶が残っている。海音はすぐにそれに気づいて、目を伏せた。
「お前のご主人って、精霊様のことだったんだ。あの時現れた綺麗な兄さんがそうなんだろ」
 海音はどう言えばいいか言葉に詰まったが、頭を下げて告げる。
「ごめん。黙ってて」
「いや……」
 アキラは口ごもったが、頬をかいて気まずそうに付け加える。
「言われてみれば、そんな気もしてた」
「え?」
「だってお前、変なところいっぱいあったから」
 海音が顔を上げると、アキラは苦笑を浮かべて言った。
「俺、清華家の一族なんだ。この公国で清華家以外の商人っていうのは登録されてないと商売できないんだが、メディラ氏のことは親父もお袋も全然知らなかった。行商人だっていうのに商売してないなんておかしいだろ? セネカさんの家に暮らしてないってことは何となく気づいてたし」
 今度は海音が気まずくなる番だった。目を逸らす海音に、アキラは手を振って続ける。
「だ、だから驚きはしたけど、だからどうってことは……ないんだ」
 一瞬精霊の怒りを思い出したのか頬をひきつらせたが、アキラは海音の肩を叩いて言った。
「……最近態度悪かったろ、俺」
 海音が目を合わせるまで待ってから、アキラは切り出す。
「お前が公子様とか葵さんに覚えがめでたくて、ちょっと羨ましかったんだ。特に葵さんは一族の跡継ぎで、俺は将来その下で働くんだって思ってた憧れの人だったから」
「……ごめん」
「謝るなよ。俺の一方的な八つ当たりなんだからさ」
 海音が目を伏せようとすると、アキラは首を横に振る。
「お前が人より違う何かを持ってるのはわかってた。公子様や葵さんがそれを見逃さないのは、俺だって嬉しい」
 ふとアキラは頬を緩めて何気なく言う。
「だって友達だろ?」
 海音は目を見開いて、じわりと胸が熱くなった。
 アキラはもう友達でいてくれないかもしれない。精霊の怒りを受けたくないがために、海音を恐れの目で見るかもしれない。
「ありがとう」
 海音のそんな想像に、アキラは精一杯の言葉をくれた。それが何より嬉しかった。
「さ、昼飯行こうぜ」
「大丈夫。今日はいいんだ」
 その日の午後の授業は空腹で頭がぼんやりして、海音は机にかじりつくようにして何とか我慢した。怪我も治っていない体は予想以上に消耗が早かった。
 授業がひどく長く感じた。ようやく終わると、同級生たちに挨拶をしてふらふらと戸口へ向かった。
 とんと出口で誰かにぶつかっただけで、海音はよろめいて転ぶ。
 深く帽子を被ってはいるが、海音はその下にある美しい碧玉の瞳を目で捉えていた。
 立ち上がろうとしたが体に力が入らず、かくんと膝が折れる。
 目の前が真っ暗になってうずくまる。
「海音?」
 額に冷たい手が触れて、海音は見えない目を何度か瞬かせる。
「熱がある。それに痩せたね」
 ひょいと抱き上げられる気配がした。そのままどこかに歩き出そうとするので、海音は慌てる。
「あ、アレン様」
「ちょうど馬車を待たせてあるから。お家にはちゃんと伝令を送っておくよ」
 抵抗もあっさり抑えられて、海音は馬車に押し込められた。
「今晩は城で休んでいきなさい」
「し、城?」
 ぎょっとした海音に、アレンは少しも笑っていない声で言った。
「君に話したいことがあるんだ。……君、マナトなんだってね」
 今まで一度も聞いたことのない硬い声に気づいて、海音は口をつぐむ。
 公子は海音を真っ直ぐにみつめた。碧玉の瞳を悲しげに細めていた。
「海音。すぐにマナトをやめるんだ」
「……な」
「精霊は「悪」だ」
 憧れていた人の断定に、海音は言葉を失う。
「今晩、君に前のマナトの話をしよう。そうすれば君も私が言うことをわかってくれる」
 動揺で目を見張ることしかできない海音に、アレンは残酷な一言を呟く。
「前のマナトは殺されたんだ。……他でもない、公国の精霊にね」
 ガタンと馬車が大きく揺れて、海音の心も軋む音が聞こえた。
< 14 / 22 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop