終わりを願って恋が始まる。

第1話 好きと嫌いは紙一重

村松遥 その1

 桜舞い散るうららかな春。
 私はいたいけな少女のように胸の前で手をぎゅっと握る。精一杯の勇気を振り絞っていますよというパフォーマンスだ。
 場所も状況も完璧。あとは言うべき台詞を言うのみだ。小さく息を吸って、吐き出す空気に言葉を乗せる。

「先生、私と付き合ってください」

 私の一世一代の告白を受けても荻野先生は顔色一つ変えない。
 そういうところも私は好きだ。

「お前は俺を犯罪者にしたいのか」

 私が通う塾の講師、荻野要先生は推定だが四十歳を超えている。だからこの反応は想定済みで弁護士サイトで未成年との交際は犯罪になるのか、という相談ページを何件も見て知識を得ていた。実際の相談者はおじさんばかりで若干引いたけど。

「私はもう十七なので、真摯な交際であれば犯罪にはなりません。また性交渉をしなければ……」

 なぜ今まで気がつかなかったのだろう。頭の中の想定も、実際に口に出したことで一つの可能性が見つかった。

「もしかして先生、私とエッチしたいってことですか?」

 荻野先生は明らかに呆れのこもったため息をついたが、私に届く頃には春の爽やかなそよ風となって胸を高鳴らせる要因の一つに早変わりだ。

「先生と生徒という立場を使って無理やり強制をしたり、金銭の授受があれば犯罪になりますが私にそのつもりはありません。それでも心配であれば私、一筆書かせていただきます」
「さようなら」

 急いで一筆書くためのボールペンを取り出している間に荻野先生は去ってしまった。
 あーあ。やっぱりダメか。
 私はフライドポテトを口に放り、ふと周りに意識を向ける。人々の話し声、咀嚼音、ベルの呼び出し音。それらが乾いて聞こえるばかり。

「遥、脳内桃色すぎ」

 ドリンクバーから帰ってきた友人、山本まりの一声で我に帰りすぐに笑顔を取り繕う。

「そりゃあそうでしょ。好きなんだから」
「てか告白より先にデートとかでしょ普通」
「デートかぁ。確かに」

 まりはあきれながら、ホットのミルクティーをゆっくりと啜る。
 窓の外では寂しげな街路樹が冷たい風に晒され葉を落としていた。
 今は春じゃなくてほとんど冬な秋だし、ここはただのファミレスで荻野先生はいない。全部は私の妄想だ。

「てかさ、なんで好きなの?」
「え?」
「あんまり友達の好きな人のことディスりたくないけどさ、あの荻野先生でしょ」

 まりも私と同じ塾に通っている。つまり実際に荻野先生を見たことがあるということだ。
 私とまりはそれぞれ頭上に荻野先生のイメージを浮かべる。

「確かに身長は高いけど痩せすぎでヒョロヒョロだし」
「スレンダーでいいじゃん。モデル体型」
「髪型もボサボサで白髪もあるし」
「無造作ヘアー。シルバーのメッシュ」
「愛想ないし、笑ったところなんて見たことないし」
「ミステリアスで孤高な人」

 だめだこりゃ、とまりは笑い、私も得意げに笑った。
 どうやらみんなが見ている先生と私の頭の中の先生は大きく乖離しているらしい。というか、無理やり私が好意的にとらえようとしている節も大いにあるけれど。

「最近出てないね、クセ」

 え? ととぼけると机叩くやつ、とまりは指先でリズミカルにトントンと机の縁を叩く。

「あー、それね」

 私のクセは、ずっと子どもの頃からのものだ。日常で聞こえてくる音を頭の中でメロディに変換して、指先で奏でる。
 タンタタン。タタタンタン。
 今だって私の周りには音が溢れている。頭の中には音楽がある。
 だけど……。
 思考にモヤがかかるがすぐに「あれうざかったからよかった」とまりはいたずらっぽく言い放つ。

「ひどくない?」

 そう言うとまりはまた笑い、私もつられて笑う。箸が転んでもおかしくない時期とはよくいうが私はまりといるとなんでもおかしくて笑ってしまう。
 私の妄想に付き合ってくれたり、時には遠慮がなかったり。
 まりには随分と救われている。だからこそ、言えないこともある。

「それで結局、遥はなんで荻野先生のこと好きなの?」
「別に、ただの一目惚れだよ」


荻野要 その1


「よっ、犯罪者」
「まじでやめろ」

 帰宅して早々、草野潤平の軽口が俺の精神を削る。
 やっぱり相談しなきゃよかった、と思いつつそれは無理だっただろうなと過去の自分を慰めながら冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す。
 下手をすれば親子ほど年が離れた女子高校生に好意を寄せられるなんて、一人で抱えるにはあまりにも突飛で、ありえない事象だからだ。

「ジュース取って」

 潤平はビールが飲めない。理由は味が苦いから。その苦味もひっくるめてビールは美味いのに。

「子どもだなぁ」
「お前ほどじゃないよ」
「俺のどこが子どもなんだよ」

 俺の反論はすでに潤平の耳には届いていなかった。
 潤平とは保育園からの付き合いで潤平を一言で表すとすれば「変なやつ」だ。どれくらい変かというと、仕事、というか人間関係に疲れて突然地元に帰ってきた俺を家に住まわせてくれるくらいには変だ。
 俺の両親は健在だが、色々と折り合いが悪く家に帰れないと愚痴ると、じゃあうちに住めばと潤平が言ったのがすでに半年前になる。
 俺は現実的にも精神的にも、潤平に救われている。だからついつい喋ってしまったのだ。ま、言えていないことももちろんあるけど。

「よしっ」

 テレビ画面には派手な太い文字で『ホームラン』と出ている。潤平はいつも「実況パワフルプロ野球」をやっている。俺が家を出る時も帰った時もだ。
 潤平はある程度金が貯まると離職し、貯金が尽きたらまた働くというサイクルで生きている。今は人生三度目の無職期間だ。

「女子高生に言い寄られてる時点で立派な犯罪者だろ」
「言い寄られてないって。ただなんとなく、好意は持たれてるだろうなって」
「きも。自意識過剰かよ」

 潤平の口の悪さにももう慣れた。潤平は童顔だ。それに加えて長く働いたことがないから顔に疲れがなく、余計に若く見える。やっぱりどう考えても、潤平の方が子どもだ。
 子どもの戯言なんか軽く聞き流してしまいたいところだが、正直今は参っているのでいちいち精神が削られる。
 自意識過剰。そうであればどれほど幸せだろう。
 三十六歳にしての再就職は想像以上に厳しく、やっと決まった塾講師の仕事。なのに生徒と変な噂が流れでもしたら速攻でクビになる。
 それに、俺は彼女に弱みを握られている。下手に動くこともできない。

「どうしようか」
「いいじゃん付き合っちゃえば?」

 潤平は無責任に言い放ち、「あ、無理か」と自分で言ったことにケラケラと笑う。

「そうですね」

 俺はわざとテレビの前を通り過ぎ、座椅子に腰掛ける。ちらりとテレビ画面を見ると二頭身のキャラクターが空振りし目を回しながら地面に倒れていた。
 ざまあみろ。ちょっとだけ大人気なかったかな。
 三十六歳、独身二人。想像していた大人とは随分とかけ離れているが存外楽しいものだ。

「それでさ、どんな子なの?」

 カシュッと缶を開け、噴き出る泡を吸い取りながら思い出す。
 村松遥。俺に好意を寄せる高校二年生の女子生徒。そして……。
 口の中の苦味を黄金色の液体で流して俺は言う。

「俺が一番嫌いなタイプだよ」
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