空色綺譚


その夜、照羽 力(てるはね ちから)は不機嫌だった。

何故ならばひそかに想い続けていた女性とのデートを邪魔され、その機会を失ったからである。
しかも理由が非常に馬鹿げており、彼女に理由を告げたところで信じてもらえるはずがない。

照羽力は四十才。
高身長、体重は標準である。
顔造形、体躯ともに整っている年齢相応の美男ではあるが、独身だ。

その照羽の眼前には透明で涙型のゼリー状の物体があるが、これは無機物ではなく有機生命体なのである。

美しい透き通る空色。

ファンタジー作品でよく登場するゼリー状の生物『スライム』に酷似している。
大きさは手のひらに乗るくらい。

その生物は照羽の前で焦ったように奮えたり、揺れたりを繰り返していた。
男の機嫌の悪い理由がわかっているからだ。
オロオロとしながら言葉を発する。

「で、でもさ。アンタが好きな女なら信じてもらえるんじゃな……ぐふっ」

その生物は最後まで喋ることはできなかった。
照羽が上から掌を抑えつけたからである。
今の照羽には言い訳や理由など、どうでもいいことだった。

「だまれ。おまえに何がわかる」

一瞬で無残にもぺちゃんこに潰れたが、指の隙間からすり抜け形はすぐに戻る。
柔らかい躯は無傷で痛みもないようだ。

スライムが照羽を見上げると、黒い影をおとした照羽の目だけが光っている。
その眼光の恐ろしさに震え悲鳴をあげた。

「おお、おれだってなあ、好きでこの場所に転生したわけじゃないぞ!」

スライムは精一杯に叫んだ。
照羽はそんなスライムを無表情に見つめていたが、やがて諦めのようなため息をついた。

「時間は戻らん。済んでしまったこと、といえばそれまでなんだがな」

非情で無表情な人間だが、その瞳の奥に悲しみのような暗く沈んだ虚無をみた気がして、スライムの胸がズキリと痛んだ。

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