偽物のご令嬢は本物の御曹司に懐かれています
6.懐いた子犬とそのあとは?
「ちーちゃん。髪の毛洗うからこっち来て」

 冬弥君はニッコリ笑う。ご主人様に褒められたい柴犬が尻尾を振りまくってる幻の映像がその顔の向こうに見えそうだ。

「はぁい」

 軽く返事をしてバスタブから出ると背もたれの付いた高さのあるバスチェアに腰掛ける。わざわざ私のために用意されたものだ。

「じゃあ流すよ〜」

 冬弥君はシャワー片手に声を弾ませる。すっかり日課のルーティン。私の頭の先からつま先まで洗うのが楽しいらしい。口にしなくても顔に全部書いてある。

 ここは冬弥君の家。いや、少し前から私たちの家になった。いったい何人住めるの⁈ ってくらい広いこの家に初めて訪問したときにはそれはそれは驚いた。
 
 夏帆が最初に言っていた『いいとこのおぼっちゃん』は言葉のあやでも話を盛ったわけでもなかった。冬弥君は『そんなことないよ』なんて恥ずかしそうにしていたけど、実家の会社は地元では古くからある有名な会社。正真正銘本物の御曹司だった。

 そして、数年前に建て替えたと言うまだまだ綺麗で快適な家に住むのは二人だけ。お義母さんも一緒に住むはずが、急に再婚が決まり私と入れ替わるように出て行ってしまった。と言っても住んでいるのはすぐ近く。イタリアンレストランのある店舗兼住宅だ。相手はもちろんシェフの健二さん。冬弥君はかなり驚いていたけど、私はなんとなーくそんな気はしていた。

「ちーちゃん、痛くない?」

 私の髪を洗い終わり、ヘッドマッサージをしてくれる冬弥君は心配そうに覗き込む。

「うん。気持ちよくて天国に片足突っ込んでた」

 ただでさえ人に髪を洗ってもらうだけで気持ちいいのに、冬弥君の繊細な手つきと真剣な表情が相まってお花畑が見えそうだ。

「ダメだよ。一人でいかないで? あとで一緒にいこう?」

 冬弥君は子犬の顔のままそんなことを言えるようになった。そしてそれに翻弄されまくっているのだけど。

「は、はいっ?」

 顔を赤らめ返すと、冬弥君は口の端を上げて笑みを浮かべた。

「ちーちゃん……可愛い……」

 今、カチッと空耳が聞こえた気がした。
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