魔法使いは透明人間になりたい
②-2


 視界の中に入れないように、佑が座っている方はできるだけ見ないようにした。お客さんがひっきりなしにくるおかげで、変なことを考えることもなく、ただ時間は過ぎていった。

 でも。

「ごめん吉岡ちゃん、ちょっとテーブル拭いてきてもらっていい?」
「わかりました」

 佑が来てしばらく経ったころ、ぷつんとお客さんが途切れた。そのタイミングで社員の平井さんにそう言われて、わたしは消毒液と布巾を持ってカウンターを出る。視界の端っこで、佑が飛び込んでくる。

 お客さんが使っていないテーブルを拭いていく。幸か不幸か、佑の隣の席は空いていた。
 
 ……拭かないわけにはいかない。

 できるだけ視界には入れない。そもそも、向こうだって迷惑なはずだ。これは仕事、ささっと拭いて早くレジに戻ろう。

 その決意を心の中で唱えながら、消毒液を吹きかけてなるべくはやく拭き取る作業を繰り返す。意を決して、佑の隣の席に消毒液を吹きかけて、拭き取ろうとしたそのときだった。

「すみません」

 びくっと肩が揺れた。
 その声が、佑のものだったから。

「は、はい」

 もしかして、消毒液がかかった? これ色落ちするだろみたいなクレーム? ……いや、佑はそんなことを言うような人じゃない。間違えて水をかけられるドッキリをされたって、かけてしまった相手を心配するような人だ。

「単刀直入に言いますね」
 
 その声に、我に返った。視線のやり場に困ったものの、佑の顔をじっと見つめてしまう。バケハもマスクも外して、ただ銀の眼鏡だけの佑は、やっぱり佑だった。

「俺のこと、知ってるんですか」

 どくんと、心臓が鳴った。

「め、Merakの、……松永、佑」

 そう言うと、佑は少し困ったように笑って、眉を下げた。
 たくさん聞きたいことはある。あの脱退も引退もなんだったのか、いま何が起こっているのか。問い詰めたい気分になったけれど、ぐっと押さえる。

「あの、時間ありますか」
「へ?」
 
 佑の突然の言葉に変な声が出た。
 
「……そう、ですね。あと1時間くらいすれば、バイトも終わります」
「じゃあ待ってます。バイト、がんばってください」
「あ、はい……」
 
 軽く会釈して、わたしは佑の元から離れて別のテーブルに消毒液を吹きかける。
 
「ーーえっ」
 
 ……え?
 冷静になった頭が、さっきの出来事をリフレインさせる。
 時間ありますか? 待ってます?

 お、おかしいおかしい!
 なになにどういうこと?
 どういうこと!?
 
「ちょっと吉岡ちゃん、あの男の人になに言われてたの!?」

 頭が回らない。呆然としたままカウンターに戻ると、平井さんにすぐに問い詰められた。
 
「いや……その」
「口説かれたの!?」
「口説かれた!? 平井さんてば、なに言ってーー」
 
 でも、そういうこと、なのかな。
 ああだめだめ、相手はあの松永佑だ。
 Merakの、ーーアイドルの、松永佑。
 “そういうこと”なんて、あるはずがない。
 
「……そういうんじゃないと思うんですけど、話さない的なことは言われました」
「いやー! いいわね、青春!」
 
 平井さんは楽しそうにそう言うと、オーダーのドリンクを作り始める。わたしはレジに戻り、お客さんを呼ぶ。
 ……あと、1時間ある。
 接客をしながら、一体どんな顔で会えばいいのかと考える。

 開放感に溢れるはずのバイト終わりが、憂鬱で仕方がなかった。

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