魔法使いは透明人間になりたい
……そんな配慮いらなかった。
自分勝手。出そうになった言葉を、唾と一緒に飲み下す。
存在を消されたせいで、もっと傷つく人がいるなんてわからなかったのかな。全員、必ず存在を知らなくなるならそれでもいい。でもわたしみたいに、中途半端に覚えている人が、一番傷つくことになる。
「なんであなたにかかってないのか、俺にもわからないんです。魔法が効かないなんて、はじめてで」
眉を下げて、困ったように笑う。
いつもそうだ、無茶振りされたときも、メンバーが意味のわからない行動をしたときも、佑は眉を下げて、みんながひと目見てすぐにわかるくらい、典型的な困った表情をする。
そんな姿を目の前で見たら、いくら自分勝手な行動をされても、嫌いになんてなれなかった。だってわたしは、長い時間とお金をかけて佑を推してきたから。簡単に嫌いになんて、なれない。
「……佑、さんは、透明人間になりたいんですか?」
佑は深くうなずく。
「普通に生きてみたいって、思ってしまったから」
やっぱり傷ついた。
佑が”佑”でいることが辛いなんて、聞きたくなかった。
それでも、どうしてそんな悪いことをするみたいに言うんだろう。
「いまは、透明になれてますか」
「あなたに出会うまでは。なにしてもバレないし、こんなものも被らなくてすむ。気楽です」
そう言いながら、佑はバケハを振り回す。
どうして今日は自分のことを隠すような格好をしていたんだろう。念願の透明人間になったのだから、そんな必要ないのに。
「あなたは、俺のことが好きですか?」
思いついたように、佑は言った。
「はい」
「それは、”松永佑”が好き? それとも、アイドルでもないただの俺?」
「それは……」
もちろんどちらもだと言いかけて、言葉に詰まった。
……わたしは、佑のなにを知っているんだろう。
わたしが知っているのは、”松永佑”だ。アイドルでもない松永佑など、1ミリだって知らない。
「……まぁ、そういうことですよ」
諦めたような声で、佑はつぶやいた。
それからソイラテを飲みながら、時が止まった店内を眺めている。その横顔の表情は、彼がいま何を考えているのか全く読み取れなかった。
わたしもソイラテを飲んだ。こんなに苦かったっけ。そう思ったと同時に、ふいにひとつひらめいた。
……そうだ、佑は、普通に生きたいと言った。
「……普通に生きたいって、なにをしたいんですか」
「人混みのなかを普通に歩いたり、お祭りとか花火大会に行ってみたり、普通の学生生活を送ったり? あんまり思いつかないけれど」
「しませんか、それ」
「……え?」
口走ってしまってから、もしかしてわたしは、とんでもないことを言ってしまったのだろうか、と後悔した。でも忘れてくださいとは言えなかった。
「……わたしは、松永佑が好きなのか、あなたという人間が好きなのか見極める。それで、あなたは透明人間になる。わたしと、ごく普通の一般人の生活をするんです」
目的なんてない。ただアイドルの松永佑を知っているわたしと、佑が偶然出会ってしまったせいで起きたまちがいだ。
今まで佑からたくさんのものをもらった分、返したくなった。いつもたくさん与えられてばかりで、わたしは佑になにも返せていない。
「変なの」
と、佑は失笑した。
「……気持ち悪い、ですか」
わたしが佑の立場なら、逃げているレベルで気持ちが悪い。でも、佑の表情をおそるおそる見てみると、思いの外すっきりしているように見えた。
「……いや」
「え? ほんとに?」
「はい」
佑は笑うと、うなずいた。
かくして、わたしと松永佑の、奇妙な逢瀬が始まることとなる。