ガソリンスタンドの佐藤くん

「ガソリンスタンドの佐藤くん」

荻窪駅から徒歩15分程度、車の流れも多い青梅街道ぞいに、
24時間営業のガソリンスタンドと、路地を挟んで小さなミニストアがある。
このミニストアは、家族経営者をしていた。
大型スーパーがないこともあり、この駅から離れた街道沿いに暮らす住民からは、わりと人気で愛されている。
ミニストアと言うだけあり、生鮮食品も雑貨も少ないながら、すべて揃う。
60歳近い社長と奥さん、アルバイトは、荻窪駅近隣に暮らす30代から50代の女性4人、ワタシ、山口サキは、無料の求人雑誌を見て、このミニストアにアルバイトとして働きはじめた。
一言で言えば、アットホーム感であふれている職場だ、20歳を越えたばかりのワタシは、無遅刻無欠勤で社長や社長婦人、バイトの女性たちからも可愛がられている。
自分で言うのもなんだが、愛想も良いし、おしゃべり好きだ。
それが年上アルバイト女性たちと違和感なく仲良く働けるポイントかもしれない。
ここのミニストアに勤務する女性スタッフは、個性的な人材ばかりだ。
山田さん、田代さん、山口さん、鎌田さんである。
一番長く努めている山田さんは、リーダー的な存在である。
よくしゃべる田代さんと山口さんは、荷下ろしが済み、社長が二階の自宅に戻った途端に裏作業場で休憩準備をはじめる。
「お茶、休憩しましょ」と、ペットボトルのお茶とお菓子を用意する係だ。
本来、休憩時間ではないのだが、毎日の恒例行事になっている。
新参者の私に仕事を教えてくれた鎌田さんは、35歳で、このミニストアの中では、若い方である。
未婚の母で小学一年生の女の子がいる。
淡々と仕事をこなす真面目な女性だ。
このミニストアのスタッフ全員に言えることだが、勤続十年以上で皆、社長と社長夫人をディスっている。
それが私にしてみると面白い。
私以外の4人は、14時または、15時に勤務を終えて帰る。
私のようにロング勤務ではない。
最近の私は社長夫人に頼まれて、閉店の20まで勤務することが多い。
私は、18時で仕事終了となり、その後は、社長夫人もしくは、社長が店番をする。
しかし、ここ数カ月、社長夫婦は多忙で、特に社長夫人は中学生の娘、二人の母親だけに、学校行事で店を留守にすることも多いし、社長は町内会の会合等に出席や、それなりに付き合いも多い。
ミニストアの裏手は、住宅街で差ほど来客数は多くない。
それでも閉店の20時まで店を閉める訳にもいかず、社長夫人は度々、フリーの私に閉店作業を頼んでいた。
ある夜、社長夫人は私に聞いてきた。
「いつも、サキちゃんに閉店まで頼んじゃって申し訳ないわねぇ。
最近、娘の学校関係や町内会が多くて嫌になっちゃうわ。
毎回、サキちゃんに、お願いするのも申し訳ないし、閉店まで作業できそうな人を募集しようとおもっているの。
サキちゃんのお友達で週3から4日程度働けるような人、いないかしら?」
私は、腐れ縁でもある高校時代からの友達、ミヤビのことが頭に浮かんだ。
ミヤビは現在無職であり、失業保険で暮らしている。
ミヤビは、このスーパーマーケットに近い古びたアパートに独り暮らしをしている。去年派遣を辞めて、今は、失業保険で生活していた。
すっかり失業保険のメリットにズブズブにはまっているミヤビは仕事を探すわけでもなく、何かしら資格の勉強するわけでもなく、悠々自適な生活。
夜明けまでネットをして寝る。
昼過ぎ起きてダラダラとした生活をしていた。
それでも失業保険が切れることもあり、ミヤビは「何かしらバイト探さないとなぁ」つぶやいていた。
私も他人のことを揶揄するほど立派な人生を歩んでいるわけではない。

実際に嫌な環境の職場であれば、あっさり辞めて、職場を転々としてきた。
現在のミニストアがたまたま居心地良くて自分に合っているから続いているだけの話だ。
しかしミヤビは、私の上を行く飽き性と言えるだろう。
ミヤビは私の友人と言うこともあり、すぐに採用となった。
私が勤務して半年後、ミヤビも、このミニストアで勤務している。
私もミヤビが勤務してから、よりミニストアの勤務が楽しくなった。
仕事終わりにカフェに行くことや、暇な時は、無駄話をすることもある。
その話題は、もっぱら隣のガソリンスタンドに勤務する佐藤くんの話である。
佐藤くんは、ほぼ毎日、水曜日意外は、このミニストアに来店する。
時間は午後15時過ぎに来店して、毎回、決まった物を購入するのだ。
飲み物はアクエリアスと缶珈琲、食事は大きなコッペパン、愛読書はヤングマガジンとビックコミックスピリッツ、そしてレジで必ず最後に「ラークマイルドひとつ」と、つぶやく。
佐藤くんのルーティンは変わらない。
毎回同じでブレない。
さすがに毎日レジを通しているワタシは「あとラークマイルドですよね」と一声かけたいところだが、それは出来ない。
何故なら佐藤くんは不愛想で話しかけるなオーラを誰よりも放っている。
明るい茶髪の前髪が重たく目つきも比較的悪い、色黒の焼けた肌に右耳だけ金色のピアスをしている。
身長は差ほど高くない165cm超えというところだろうか。
華奢で細い制服の折り曲げた袖からは、程よい腕の筋肉が見える。
第一印象は、とにかく愛想なくて話かけにくい、ヤンキーのような雰囲気だ。
そんな佐藤くんに私は、出会った頃から恋をしている。
正直のところ、このミニストアで勤務続ける理由は、佐藤くんに会えることだ。
ロクに会話もしたことがない佐藤くんに片思いをしていた。
佐藤くんの存在を知ったミヤビは、怪訝そうな顔で否定的な言葉を言う。
「えぇ、、、私、絶対やだ。佐藤くんって怖くない?なんか暗くて嫌い、、、」
ミヤビの言うこともわかる。
佐藤くんは万人受けするタイプではないし、とにかく無言だ。
ガソリンスタンドのスタッフは、お昼12時代と13時代に集中して仲間数人でミニストアに昼飯を購入するのだ。
佐藤くん以外は、皆、愛想が良い。
毎日、顔を合わせていることもあり、挨拶をし、楽しそうな雰囲気だった。
だが、佐藤くんは常につまらなそうな顔つきで、制服は誰よりもオイルで汚れている。
黄色のワイシャツに緑色のタータンチェックのズボン。
緑色のタータンチェックの蝶ネクタイをしている。
とても可愛いガソリンスタンドの制服だが、佐藤くんの制服は黒いエンジンオイルが付着して汚れがとれないし、手も腕もオイルはついている。
ミヤビがミニストアに勤務して約三ヶ月が過ぎた。
私は、ミヤビから衝撃的な言葉を聞く。
バイトが同時刻に終わる日は、ミヤビとカフェで、お茶をしてる。
そのカフェは、1階がテイクアウトスペースで2階は食事やお茶ができるスペース。
2階の壁はガラス張りでガソリンスタンドがよく見える場所だった。
あまり客も入ってなく、2階のスペースは貸し切り状態で私達にとっては心地良かった。
私とミヤビは毎回窓際の席に座り、ガソリンスタンドを眺めていた。
ガソリンスタンド中央の給油場所、ほとんどのスタッフは中央に集まり待機しながら楽しげに会話をし、時折悪ふざけをしていた。
佐藤くんの姿はガソリンスタンド端、右側のオートボディルーム。
一台の車を相手に、一人で黙々と作業をしている。
佐藤くんの場所は、いつ見ても変わらない。
日の当たらない薄暗いオートボディルームに一人で黙々と作業をしていた。

ガラス張りのカフェからは、佐藤くんの働く姿が全て見える。
佐藤くんの仕事姿を知ることができる場所だった。
佐藤くんの働く姿をみる度に佐藤くんは、何故、仲間と騒ぎ悪ふざけをしないのか不思議に思えた。
ミヤビと私は、時折ガソリンスタンドを眺めながら珈琲を飲んでいた。
いつものように恋話を添えて。
ミヤビは、少し間をあけて、かしこまったように話はじめた。
「あの、あのね、、実は、、言いにくいことなんだけど、、」
「どうしたの?急に、あらたまって」
私は、ミヤビの態度にクスッと笑みをこぼした。
ミヤコも私の顔を見てクスッと笑いながら、小さい声で話続けた。
「ガソリンスタンドで働いている、中山くん知っている?」
「えっと、、中山くん?誰だろう。
会っているのかも、知れないけど、、、
印象ないなぁ、、、
あっ!!わかった!!ラッキーストライクのタバコを買うヒトだよね?」
私は、うる覚えな記憶を辿り中山と言う男を思い出した。
ミヤビは露骨にテンションが高くなり、笑顔を見せる。
「そっ、そう、そう、その中山!」
私はミヤビのテンションに圧倒されつつも、冷静に聞いた。
「えっ?中山くんのこと好きなの?」
ミヤビは頬を赤く染めて、ニヤケた表情を隠せない様子で話した。
「好きと言うかね、、告白されて、今、とりあえず付き合っている感じ、、かな」
私は、ミヤビの衝撃的な事実に言葉を失い、口を開けて唖然とした。
ミヤビと私の間には沈黙が続いた。
その数秒の間に私はミヤビと中山がすでに付き合っている事実に驚き、なんとも言えない屈辱感を抱いた。
私は佐藤くんと出会い、半年以上も名前と休憩時間、愛用しているタバコ程度しか知らない。
だが、ミヤビはミニストアで働きはじめて、わずか三ヶ月程度で、ガソリンスタンドの中山と付き合っている。
もちろん私は中山など眼中にもないし、好きでもない。
だが、ミヤビより早く中山と言う男と出会っている。
この感情は告白をしてない、恋愛感情のない相手から一方的にふられたような感覚だ。
中山からすれば、私ではなくミヤビに魅力を感じたわけだ。
なんと言えばよいのだろう。
ワタシはミヤビに女性として負けていると言われているようだ。
もちろん自分自身のことを可愛いと思うほど自信過剰な人間ではない。
だが、正直、ミヤビとは大差はないと思っている。
この際、本音で言えば私はミヤビよりも頑張って働いているし、他人を惹き付ける魅力があると思っていた。
私の中に胸に秘めた邪悪な感情は、突き刺されているような感覚。
正直、ワタシは、ミヤビの告白にショックをうけている。
だが、このショックな出来事は、私にとって最高の協力者となった。
同時に中山にも私が佐藤くんに恋をしていることが知れてしまった。
中山はミヤビに頼まれて、佐藤くんの情報を仕入れてくれる。

きっと、お互い先に付き合って申し訳ない気持ちから生まれる優しい気遣い。
もちろん、ミヤビと中山が付き合うことに誰の許可もいらない、
私に気遣いする必要もない。
それこそ同情心を持たれることが情けないと感じてしまう。
とは言え、佐藤くんのことを何も知らない私にしてみれば、中山の佐藤くん情報は、実にありがたくテンションが上がる。さすがに同じ職場だからこそ、仕入れられる佐藤くん情報だった。
佐藤くんはガソリンスタンドの社員であり店長と言う立場だ。
ガソリンスタンドのオーナーは50歳の男性である。
オーナーは都内に数店舗のガソリンスタンドと車の整備工場を経営している。
ほとんどオーナーがガソリンスタンドに顔を出すことは一ヶ月に一回から二回程度で佐藤くんに、経営的なことも任せていた。
佐藤くんの年齢は27歳。
血液型はO型であり、
誕生日は八月十日。
吉祥寺のガソリンスタンドの寮に住んでいる。
中山が必死で仕入れた佐藤くん情報に私は真剣な眼差しで目を輝かせて聞いていた。
もちろんサトウくんのフルネームも知ることができた。
「佐藤拓哉」
「拓哉」まさに佐藤くんにお似合いの名前である。
私の中で「拓哉」は、カッコ良い人に多い名前だと思っている。
それは、何の根拠もない話ではあるが。
私は何度も頷きながら
「拓哉、拓哉、素敵」呟いていた。
そんな姿を見たミヤビは、笑いをこらえられずにクスクスと声を漏らした。
中山を含めスタンドのスタッフは、正直なところ、佐藤くんと差ほど仲良いわけでもなく親しくもない。
サトウくん情報を仕入れる理由を周囲に言えない中山は、わりと苦労していると笑い話でミヤビに言っていた。
中山よりも長く働いているスタッフの佐久間は佐藤くんともわりと親しく話すことも多く、中山は佐久間から間接的に佐藤くん情報を仕入れている。
しかし佐久間は中山に、
「おまえ、佐藤のこと好きなの?」と、冗談半分からかわれている。
私にとって最大級の朗報は、佐藤くんに彼女がいないということだ。
佐藤くんに彼女はもちろん、女性の話題にも興味を示さないと言っていた。
人気のアイドルタレントの話題も、若くて可愛い女の子が面接に来ても、佐藤くんのテンションが高くなることはないと言っている。
中山からすれば佐藤くんは、とにかくとっつきにくいタイプであり、気軽に声をかけることは出来ないそうだ。
職場の仲間も気軽に声をかけにくい佐藤くんに、部外者である私は余計に声をかけにくい。
だが、実際に話かけると冷たいわけでもなく、それなりに話題にものってくるらしい。
とは言えテンションは高くないから話題は広がらないそうだ。
数年前にガソリンスタンドの前で交通事故が起こった。
自転車に乗っていた子供と車の接触事故だった。
子供は軽くだが車にぶつかり自転車ごと地面に叩きつけられた。
そんな出来事がガソリンスタンド前でおこり、スタッフは慌ただしく救護活動や救急車に連絡をした。
しかし修理作業の佐藤くんは無関心で我かんせず。
佐藤くんは、どことなく感情表現が薄く、冷血感が漂う。
ガソリンスタンドのスタッフ達も、佐藤くんは掴みどころがなく、何となく接しにくい人間であることは確かだ。
中山からの情報で佐藤くんの簡単なプロフィール、佐藤くんの性格的なことも少なかれあきらかになった。
聞けば聞くほど、私は佐藤くんと結ばれる可能性が低いことを感じる。中山も私が佐藤くんに好意をよせることをミヤビから聞いた第一声目は、
「マジ?佐藤さん?佐藤さんじゃない人にすればいいのに。
佐藤さん、性格的に難しいと思う」とテンション低く落胆して呟いたそうだ。
ミヤビも、佐藤くん情報を聞けば聞くほど、私に聞く。
「何故、佐藤くんがいいの?
好きになる魅力あるかな?」呟いた。
たしかに佐藤くんは性格的に問題がありそうだ。
だが恋は理屈ではない。
私は佐藤くんの容姿に一番先に魅力を感じた。
冷たくて不愛想でちょっとヤンキー感漂う容姿にキュンときた。
知れば知るほど佐藤くんに恋をしている。
愛想の良い男よりも、不器用な男に私は魅力を感じる。に魅力を感じる。
それは少女マンガで出てくるような不愛想なわりに動物には優しいヤンキーのような男に。
実際、佐藤くんが動物に優しいか知るよしもないが、佐藤くんの魅力は、私自身が一番良く知っている。
人見知りが強くて周囲に適当になじめない性格。
だけど仕事に対して馬鹿真面目で一生懸命で周囲を見ていない人。
たいして佐藤のことを知っているわけじゃないが、佐藤くんは、きっと魅力がある人なんだと私は思っている。
佐藤くんとは反対的に中山は愛想の良い、お調子者タイプだ。
顔もベビーフェイスで性格も優しい。
第三者からすれば中山は好感度が高い男だと言えるだろう。
でも私は、私だけは佐藤くんに魅力を感じるのだ。
十二月暮れガソリンスタンドは忙しさが増していた。

師走に近づくにつれて車で規制する人も増える、洗車や点検作業も多くなる。
佐藤くんは相変わらず愛想なく、私の勤務しているスーパーマーケットに来店する。
佐藤くんの目の前でラークマイルドをレジに通す。
佐藤くんは知るよしもないが私は佐藤くんのことを結構知っている。
知っているからと言って私と佐藤くんの関係が変わるわけではない。

この日、佐藤くんは予定通り15時過ぎに昼食を買いに来た。
ワタシの楽しみには終わる。
ミヤビは中山とデートをしている。
ミヤビは中山と付き合い始めてから悪い休み癖がでる。
ミニストアを休みがちになり、何だかんだと私はミヤビのシフトの穴埋めをしている。
今夜も閉店まで一人で店番を頼まれた。
午後20時近く、周囲は真っ暗になり、ミニストアの蛍光灯がガラスに反射していた。
誰もいない店内はBGMがやけに響いている。
ワタシは誰もいない店内で商品の補充をしていた。
ミニストアの自動ドアが開き、来店客を教えるチャイムが店内に響く。
私は、さりげなき自動ドアに目をむて「いらっしゃいませ」と声をかけた。
そして思わず来店客を二度みする。
「佐藤くん!!!」私は心中で叫んだ。
オイルで汚れた制服を着た佐藤くんが来店したのだ。
それは予想もしない出来事だ。
まさか佐藤くんの姿を一日に二度も見れるなんて最高にツイている。
私は心の中で「神様ありがとう」と呟いている。
補充をしつつ棚の隙間から、さりげなく佐藤くんを目で追っていた。
佐藤くんは店内、奥側の棚からトイレットペーパーとティッシュペーパーを持つ早々とレジにやってきた。
足りなくなったガソリンスタンドの消耗品を買いにきた。
そしてボソッと小さい声で呟く。
「領収証ください、宛名は、マエカブで、イデマツ」
私は心の中で突っ込みを入れた。
「知っているよ!毎日来てんだから店名くらい」とは言え、けして突っ込めない。
高鳴る鼓動、早まる心拍数を落ち着かせるように平然を装い返事をした。
「はい、」
エプロンのポケットから、ボールペンを取りだそうと手を入れると、あるはずのボールペンがない事実に直面する。
そこからのワタシは、動揺を隠せないまま、レジ付近をキョロキョロみまわし、ボールペンを必死に探した。
レジ脇にポツンと1つ落ちているボールペンを発見したときは、「助かった!!」心で叫んだ。
奇跡的に佐藤くんが来店して消耗品を買いに来ている今、佐藤くんを待たせてイラつかせることは出来ない。
こんなチャンスなかなかない。
チャンスとも言えないような状況の中で私は無駄に焦っていた。
誰がいつ、落としたかも分からないボールペンを手に宛名を書こうと思った瞬間、血の気がなくなる。
「嘘でしょ、インクが出ない」
最大級のピンチに私は顔面蒼白。
今にも白目を向いて倒れそうな状況だ。こんな日に限ってボールペンがないなんて私と佐藤くんは縁がない。
と、言うより考える余裕などないほど、今、私は気を失いかけている。
ボールペンがなくバタバタして更にはボールペンのインクが出ない放心状態の私の様子を見ていた佐藤くんは察したように胸ポケットからボールペンを差し出して私に渡した。
「これ、」
佐藤くんの差し出したボールペンは、
どこにでもある百円程度の一般的なノック式の黒いボールペン。
私は佐藤くんが差し出したボールペンを受け取り、顔をあげて満面の笑みで、
「ありがとうございます!!」
声をかけた。
佐藤くんはニコッと笑顔を見せるわけでもなく相変わらず真顔で私を見ていた。
初めて佐藤くんの顔を直視できた。
きっと佐藤くんも同じだと思う。
数えきれない程、佐藤くんはミニストアに来店している。
私は数えきれないほど佐藤くんの商品をレジに通している。
しかし互い目と目を合わせることなどない。
ろくに目も合わすことなく、私は佐藤っくんの横顔や通りすぎる姿を目で追っている。
佐藤くんに気づかれないように佐藤くんを見つめていた。
今、カウンターを通して佐藤くんの顔を近くで見ることができた。
佐藤くんは、やっぱりカッコ良い。
伏し目がちで愛想笑いひとつないけれど佐藤くんは素敵で、ボールペンを差し出してくれた手は少し荒れていた。
私と佐藤くんしかいないミニストアは、時間が止まったように静かでBGMさえもワタシの耳には聞こえない。
私は領収証の宛名を書き終えて手渡し、
佐藤くんにお礼を言ってボールペンを両手で差し出すと佐藤くんは再び私に目を向けて言った。
「そのボールペン使っていいよ。スタンドの粗品だけど」
佐藤くんは最後に微かな笑みを見せて手を軽くあげ、ミニストアを後にした。痩せた後ろ姿、トイレットペーパーとティッシュペーパーを手に再びガソリンスタンドに戻って行く姿。
佐藤くんが渡した黒いボディのボールペンはスタンドの名前が金色でイデマツと印刷されている。
どこにでもある、価値のない粗品のボールペンも私にとって最高の宝物となる。
佐藤くんがくれたプレゼント。
最近、ミヤビの穴埋めで出勤して、少しイライラが増えていた。
でも好きな相手と想定外に会えるだけで全てが報われる。
ただ佐藤くんは店の消耗品を買いに来ただけでドラマチックでも何でもない出来事だ。
それでも私にはドラマになる。
私にとって佐藤くんと過ごした数分は私を優しい笑顔にする時間。
佐藤くんと出会い一年近く私と佐藤くんの関係は全く変わららない。
粗品のボールペンを佐藤くんからもらっても、相変わらずの関係だ。
そんな中で佐藤くんに会えるだけでは、満足できなくなっている自分自身もいる。
もっと距離を縮めたいと思いはじめている。
それは友達であるミヤビが中山と同棲生活をはじめたことが刺激になったかもしれない。
何も変わらない私と佐藤くんに対して、ミヤビと中山は日々変化している。
中山から声をかけられてミヤビは中山の部屋で同棲をしている。
ミヤビは働くことが嫌いで家賃の為にイヤイヤ働いている。
中山が100%家賃や生活費を面倒みることでミヤビは、切羽詰まって働く理由がなくなっていた。
だから、ミヤビはミニストアを休みがちになっている。
それに比べて私はミヤビのシフトの穴埋めをしているし、一人暮らしの生活の為に休むことも出来ずに働いている。
何にひとつ発展しない佐藤くんに恋をして、佐藤くんとわずかな時間を心待ちにしている。
佐藤くんが気軽に話かけてくれるわけでもなく私が佐藤くんに声をかけれるわけでもない。
相変わらず佐藤くんは愛想がない。
伏し目がちに通り過ぎて、目当てのマンガ雑誌を立ち読みしている。
私は佐藤くんに気づかれないように佐藤くんを見つめている。
何かアクションを起こさないと何も起こらない。
十二月が過ぎて年が明ける。
一月末ガソリンスタンドは改装工事の為に一週間休みになることをミヤビから聞いた。
改装中の連休を使いガソリンスタンドの仲間はスキー旅行に行く計画。
中山の彼女であるミヤビも一緒にスキー旅行に参加する。
ミヤビはスキーなんて興味ない、むしろインドア派なクセに。
私は順調で幸せなミヤビに少し嫉妬心を抱いている。
それは、ガソリンスタンドが改装の為に一週間も休むことが理由だ。
そしてスタンドが連休中にミヤビの為にシフトにフル勤務で入ることに。
ミヤビと中山は私に気を使ってだろう、私もスキー旅行に参加しないか声をかけてくれた。
しかしミヤビが休み人手不足になることで社長夫人に迷惑がかかる。
私は、オーナー夫妻に可愛がられている。
私まで連休取るなど言えるわけもない。
そもそも、そのスキー旅行に佐藤くんは参加していない。
私にとって何のメリットもない話。
親友のイチャつきを心良く受け入れるほど私の心は満たされていない。
私にとってショックで不機嫌な理由は、スキーに行けないことではなく、
一週間近くも佐藤くんに会えないこと。
ガソリンスタンドは営業をしない。
さすがに佐藤くんもガソリンスタンドにいるわけもなく部屋でのんびりとしているはず。
私のささやかな楽しみがない一週間は、
まさに地獄でしかない。
月曜日からテンションが下がる。
ガソリンスタンドの前を自転車で通り過ぎるとガソリンスタンドは暗い。
チェーンがはられていた。
改装に伴う業者のワゴン車とトラックが止められている。
午後3時、いつもなら来店するはずの佐藤くんが来るわけもなく午後5時をまわった。
私は午後2時からラストまでの勤務。
私の仕事は何も変わらない。
いつものように一人で黙々と作業をしてレジないで納品書の整理をしていた。
自動ドアが開き、来店客をつげるチャイムが店内に響く、私は納品書から目をそらし、顔をあげて入り口の方向に目をむける。
いつものように「いらっしゃいませ」と声をかける。
黒いチノパンにカーキーのモッズコートをはおった、
茶髪の男が雑誌コーナーに向かった。
レジの前を通りすぎる横顔、右耳には、金色のピアスが光っている。
「間違いない、佐藤くん」
連休中だと思っていたガソリンスタンドで佐藤くんが来店した。
佐藤くんは連休中でもオートボディルームで一人作業をしていた。
想定外の出会いに私の鼓動は早くなる。
はじめて目にした私服姿。
モッズコートのフードファーがフワフワと暖房の風にさりげなく揺れている。
黒のチノパンに黒いタートルネック、シンプルでおしゃれ。
佐藤くんの茶髪と色黒の顔に合っていると佐藤くんに見惚れていた。
佐藤くんが雑誌コーナーで立ち読みしている後ろ姿を見つめながら。
私は、ふっと我に戻ったように束ねていた髪の毛をおろした。
それは、右耳だけ開けたピアスを隠す為。
もともとピアス穴をあけていない私が佐藤くんとお揃いにしたくて、最近りちぎに病院でピアス穴をあけた。
佐藤くんとお揃いの18金のフープピアス。
両方開けているなら普通だが右耳だけ金色のフープピアスをしている私は、完全に佐藤くんのマネをしている。
佐藤くんに気づかれたら、かなり恥ずかしい出来事だ。
ミヤビは私がピアス穴をあけたことを知っていて、開けてくれると言った。
ミヤビは市販のピアッサーを使い自分で両耳、計五ヶ所開けている。
右耳に二個と左耳に三個である。
ミヤビは、「えっ?!右耳だけ??開けてあけるよ!病院行くまでもないじゃん。」失笑するようにバカにしたが、慎重派な私は医師免許がない人間にピアス穴をあけてもらうことに不安を感じた為、わざわざ病院で3000円支払い開けた。
今日、佐藤くんは帰宅するだけなのだろう。
時間を気にしている素振りもなく、マンガ雑誌を読むことに没頭している。
十分近く立ち読みをした佐藤くんは満足したのか、缶珈琲を手に取りレジまでやって来た。
別に缶珈琲なんて自動販売機でも購入できるのに長時間立ち読みしたことに、多少の罪悪感をもっているのだろう。
私は佐藤くんと珍しく視線が合った。
普通の私は目と目を合わせて接客している。
しかし佐藤くんと目が合うことに動揺し気まずさを感じる。
普段のような接客ができなくなる。
やはり心の動揺を隠しきれない私は、
思わす右耳付近の髪の毛を無意識に耳にかけてしまった。
佐藤くんの目線が私の右耳付近を見ている。
私は、慌てて髪を戻したが完全に佐藤くんは私の右耳のピアスを見ていた。
普段、束ねている私が髪をおろしていることに佐藤くんは違和感を抱いて目を合せたのかもしれない。
しかし結果的に髪をおろすことで私が右耳のピアスをアピールしているような行動になってしまった。
だとすれば最初から髪を束ねたままでいた方が違和感ない。
またも私は佐藤くんの前で心神喪失状態になった。
当たり前だが佐藤くんは、特に何を言うわけでもなく缶珈琲を購入して黙ったまま、店内を後にした。
その日から佐藤くんは定時の三時代には、来店しないものの、ガソリンスタンドの改装中にも関わらず毎日ミニストアに来店した。
食事的な物を購入したり、飲み物を購入したりマチマチだ。
ガソリンスタンドが連休中でも佐藤くんの仕事は残っている。
ガソリンスタンドの前を通りすぎると、
オートボディルーム周辺だけ薄明かりがついていることがわかる。
きっと修理を待つお客さんの為に佐藤くんは一人で作業をしているのだろう。
私は佐藤くんの容姿だけじゃなく、男らしさ、人間らしさ、内面に惚れている。
仲間のスタッフが休暇を満喫している時でも佐藤くんは一人働いていた。
そして私もミヤビの代わりに連日閉店まで仕事をしている。
お互い貧乏くじをひいているところが妙に親近感をおぼえる。
私は佐藤くんと話したい、もっと親密になりたいと思うようになっていた。
ミニストアで数分、会うだけじゃ満たされなくなっている。
佐藤くんに気持ちを伝えたいと思っている。
何の根拠もない。
佐藤くんと連日あっているだけで自分勝手な妄想が広がる。
気持ちを伝えても良いような気がしている。
自分が望んでいるような結末にならない可能性のほうが高いだろう。
それでも私は佐藤くんと進展したいと思うようになっていた。
来店しただけで緊張しているのに。
絶対的に気持ちなんて伝えること出来ないと頑なに思っていたのに。
恋愛は、不思議なものだ。
ただ会う回数が少し増えただけで人は、少し図々しくなり強くなる。
そして欲望がうまれる。
今のままで満たされない自分がいる。
とは言え、直接、佐藤くんにレジで告白する勇気などないし、度胸がいる。
店内に客が誰もいない絶妙なタイミングが必要になる。
まして告白をして、その場で佐藤くんが「ごめんなさい」とされる場合もある。
それは最悪すぎる。
ドキドキと夢をみれるわけでもなく、一年近い片思いは、一瞬に終わる。
だからと言ってミヤビ系列で中山に気持ちを伝えてもらうことは嫌だ。
私は悶々と考えていた。
改装工事は今週で終わる。
来週からガソリンスタンドは、通常営業をする。
だから今週までに私は佐藤くんに告白をする。
私にとっての決戦は明日の日曜日。
もし日曜日に佐藤くんが来店しなかったら、それは、それで私と佐藤くんの間に縁がないと言うことだ。
恋愛の女神が気持ちを伝えるな!と、忠告している。
そう考えれば私の中であきらめがつく。
日曜日、私はソワソワしていた。
ガソリンスタンドの前を通ると、オートボディルームは明かりがついている。
間違いなく佐藤くんは今日出勤している。
後は佐藤くんが何時に来店するのか。
改装中は佐藤くんの来店時間は、まちまちだ。
制服の日もあれば私服で帰りぎわに来店することもある。
来店する時間がわからないからこそ、私は仕事ができるのかもしれない。
閉店間際の19時40分。
「まさか今日に限って来店しない?」
少しあきらめかけていた時だった。
佐藤くんは私服姿で来店した。
私の心拍数は高鳴っていた。
佐藤くんは作業が終えて、帰宅前にミニストアに立ち寄った。
いつものように雑誌コーナーにむかい、立ち読みをはじめる。
私は大きく息を吸って、ゆっくり吐いた。
自分自身の呼吸を整える。
やけに長い立ち読み。
今日に限って長い。
十分以上、サトウくんは、雑誌コーナーにいすわる。
普通であれば少し迷惑な客である。
何度となく別の買い物客が来て、お会計を済ませる。
別の客を見送る。
そして再び店内には私と、ガソリンスタンドの佐藤くん。
二人っきりになる。
19時52分、佐藤くんが読み終えた雑誌を閉じた。
迷いなく缶珈琲と大きなコッペパンを手に取りレジに来た。
私は佐藤くんが持ってきた大きなコッペパンをレジで通す。
最後に佐藤くんは「あと、ラークマイルドね」と微かに明るい声のトーンで私に言った。
きっと第三者は微妙な明るい声のトーンに気づくことはない。
でも語尾に「ねっ」と佐藤くんが言うことは珍しいこと。
私はチャンス!と思いながらラークマイルドを手にとり、あらかじめ用意しておいた小袋のチョコを素早く袋に入れた。
「試供品です!どうぞ!!」
その試供品的な小袋のチョコの裏には小さなメモが貼ってある。
佐藤くんに気づかれることなく袋に入れることができた。
佐藤くんは私が素早く入れたこともあり、何の疑いもなく意思表示できることもなく小さな声で「どうも」と呟いた。
コンビニの小さな袋を手に佐藤くんは店内を出て行く。
この日、恋愛の女神は私に微笑む。
佐藤くんが想定外にパンや缶珈琲を購入したことだ。
もし佐藤くんが缶珈琲やタバコの一点だけならコンビニの袋に入れることは出来ない。
仮に入れる方が不自然だ。
袋に入れなければ直接試供品のチョコを手渡すことになる。
佐藤くんはメモがついたチョコを受けとるにしても「えっ?!」困惑する。
百歩譲ってチョコが不自然じゃないとしても、メモは目に入るわけだし。、
絶対に気が付く。
ましてふたつ折りにしたメモを自分の目の前で開き読まれたら最悪すぎる。
感の良い男なら察して後で読んでくれるだろうが、佐藤くんは恋愛に対して察するような男にも見えない。
そもそも小袋のチョコは試供品でもなんでもない。
メモを貼る為だけに私が自腹で購入した物である。
そして味気ないメモは前日の夜に何時間も文面を考えて何度も書き直した。
今日の為に大事にエプロンのポケットの中に入れた私なりのラブレター。
真っ白なメモに「お疲れさまです。いつも来店ありがとうございます。会えて嬉しいです。山城早紀」
電話番号とラインのアドレスを書き込んだものだ。
本来ならラブレターらしく可愛い便箋やメモを選ぶべきかもしれない。
しかし考えた結果、あまり思いが入り過ぎる便箋やメモは重い。
味気ない方が相手にも良いような気がした。
告白するぞ!と力が入り過ぎると相手は引く、ましてまともに会話もしたことがない相手である。
まして、言葉もまともに話したことがない相手だ。
だからこそ、言葉少なく連絡先を記載する程度で後は運に任せる。
きっと長々と文面を考えたところで相手には届かない。
佐藤くんは私のメモに気づいてくれたのだろうか?
佐藤くんが来店してから私は余韻に浸ることもなく閉店作業に追われた。
普段なら19時40分頃から閉店準備をするところを佐藤くんが52分まで店内にいたから閉店作業が少しズレ込んだ。
佐藤くんじゃなきゃ、きっと内心イライラしているところだ。
店内の電気を消して自動ドアのカギをかける。
今日が終わった。
裏口の扉を開けて私は溜息を零した。
本当にこれで良かったのだろうか?
佐藤くんは明日から来店してくれるのだろうか?
私の中で後悔がはしる。
佐藤くんに告白した余韻が私を包み込み、私は真っ黒な夜空を見上げた。
大きなコッペパンもアクエリアスもラークマイルドも駅前のコンビニで購入できる。
わざわざミニストアで購入しなくても良い。
大きな支障はない。
ただ出勤時に少し荷物になるだけ。
だから私と会いたくないと思えば、
会わない方法だってある。
ネガティブなことばかり考えていると切なくなる。
私は裏口付近に止めている自転車の前に立つとキーロックを解除した。
その時、暗闇から小さい声がした。
「あの・・・」
わずかな街灯が照らす薄暗い路地。
私は声の方向に目を向けると佐藤くんが立っていた。
想定外の展開と多少の恐怖感に私は、驚きを隠せず言葉がすぐに出て来なかった。
「えっ!!?あっ、」
佐藤くんは手渡したコンビニの袋を手にしたままだった。
私の中で呟く声「まさか、直接フラれる展開!?」
私と佐藤くんの間に数秒の沈黙。
そして佐藤くんは固まっている私に声をかけた。
「ちょっと時間ある?」
私の心臓の鼓動は早くてドクドクと心臓の音が聴こえてくるほどだった。
私は頷き、返事をかえした。
「あっ、はい」
私は自転車をおしながら佐藤くんが歩く方向に一緒に歩きはじめた。
青梅街道から外れた住宅街の路地は、やけに暗く静か。
それはまるで、この世の中に私と佐藤くんしか人間がいないような状況だ。
その曲がり角からゾンビでも出てきそうなほど静かすぎる。
時折、寒々しい蛍光灯の光が私と佐藤くんを照らす。
佐藤くんは私と歩幅を合わせながらも、私に話しかけるわけでもない。
私の顔をみるわけでもない。
気まずい空気感が2人を埋める。
何処へ行くのだろう。
何故、仕事終わり私を待っていたのだろう。
話たいことがあるからだ。
だけど佐藤くんは話かけてこない。
時間にすれば三分程度。
沈黙の空気感の中で辿り着いた場所は小さな公園だった。
「座ろうか・・・」
私は佐藤くんに言われるまま、公園のベンチに腰をおろした。
この真冬の寒空に薄暗く静かな公園。
佐藤くんは公園の入り口にある自動販売機で暖かなお茶を購入して私に手渡してくれた。
そして私の隣に腰をかけて座った。
数十分前に購入したラークマイルドを開封してタバコを一本取り出し口に加えた。
冷めた珈琲の蓋を開ける。
タバコに火をつけて空気を吐くと佐藤くんは私の顔をチラッと見て言った。
「わざわざ寒空で話すことでもないから、ラインで伝えれば良いことだけど、なんか伝えるの難しくて、ごめんね、こんなところで、」
私は佐藤くんの顔を見ながら愛想笑いをして返事をした。
「全然、今日、そんな寒くないし」
佐藤くんは無理に気をつかっている私にクスッと笑った。
味けない蛍光灯が照らす、薄暗い公園で見る佐藤くんは、ありえない程カッコ良い。
何故、夜は好きな相手をカッコ良く映すのだろう。
佐藤くんの魅力に包まれる半分、佐藤くんが今から伝える言葉に恐怖心を抱いている。
私はフラれるのだろうか。
佐藤くんは、少し溜息をこぼして話はじめた。
「オレね、今年の四月でガソリンスタンドを退職するんだよ。」
佐藤くんに見とれていた私は突然の報告に我にかえる。
「えっ!!!なんで?」
驚く私に対して佐藤くんは冷静だ。
「なんて言えばいいのかな・・やりたい仕事あってね、それで今のガソリンスタンドのオーナーに口を聞いてもらって、やっと、次の場所に行ける準備が出来たの」
私は別の意味でショックだった。
やっと佐藤くんに気持ちを伝えることが出来たところに想像をしていなかった展開に。

まさか退職することなんて想像もしていない展開だ。
だけど心の中では少しの希望が残っていて私を慰めている。
「退職しても、会ってもらえますか?」
佐藤くんは私に顔をむけて話した。
「そうだね・・会うことは難しいな」
さすがに私は返す言葉がなく落ち込む。
冷たくなった指先で暖かいお茶を手の平で握る。
完全にフラれる展開じゃないか。さすがに返す言葉が見つからない。
気の利いたセリフが頭に浮かばない。
私は愛想笑いをしてピンチを乗り越えてきたけれど、さすがに待ち伏せされて直接振られる展開に衝撃的すぎる。
佐藤くんと私の間に再び沈黙の時間。
そして佐藤くんは話を続けた。
「オレ、アメリカに行くんだよ。だから会うことができなくなる。
アメリカで有名なカスタムショップで技術を勉強して働くことになってね・・・
だから、もう日本に当分帰って来ないから・・・会うこと出来なくなるんだ。」

「えっ!アメリカに?」
驚く私に佐藤くんは話を続けた。
「うん。
今、整備士として車のメンテナンスをしているけど、車の改造やカスタムをする仕事したくてさ。
だけど日本じゃ、そんな仕事ないからね。
新車が売れてメンテナンスが限界なんだよね。
アメリカは数十年前の走らないようなボロ車を改造やカスタムが一般的でオークションとか高く売れる世界。
それで今のオーナーがアメリカにある有名なカスタムカー販売のオーナーと知人で口を聞いてもらうことができた。
オレも英語を勉強して、必要な資格もすべてとって、凄ウデの技術者がいるアメリカで、オレが使い者つかいものになるか分からないけど。
去年やっと顔合わせて面接できる段階になって来いと言ってくれたわけ。
こんなチャンスないから試してみたいじゃん」
私は佐藤くんの言葉にただ感心して、自分自身の小ささを感じていた。
「そうなんだ・・・すごい・・・」
佐藤くんは楽しそうな顔をしている。
私が想像できるような相手ではなくて、とても、大きく見える。
大きな夢を抱いて着々と勉強して準備をしていた相手に私は引き止めることなんて到底出来ない。
出来るはずがない。
私は恋人でもなく友達ですらない。
ただのガソリンスタンドの隣のミニストアで働く顔見知りだ。
私の働くミニストアに佐藤くんが顔を見せてくれることは残り二ヵ月。
ガソリンスタンドの仲間でさえ、まだ佐藤くんが旅立つ理由を知らない。
だから佐藤くんは私に言うべきか迷っていた。
しかし理由も告げずに付き合えないと無視をすることも出来ずに悩んだ結果、私を待ち伏せして今、公園で話している。
私は佐藤くんと残り二ヵ月でも一緒に過ごしたいと思っていた。
「二ヶ月、だけでも一緒に思い出を作ってもらいませんか?」
私は佐藤くんを見つめながら伝えていた。
佐藤くんは当然、驚いている。
「えっ?二ヶ月しかないんだよ?本当に四月になればさよならすることになるし。」
困惑している佐藤くんに対して私は本気で強気な態度でいる。
「私のこと嫌いじゃないなら、たった二ヶ月だけでも良い。私に思い出を作ってほしい。」
佐藤くんは困っているように言葉を返す。
「嫌いなわけないじゃん、気持ちは嬉しいけどさ。
でも、オレと一緒にいても楽しくないよ。楽しいことしてあげれないし」
私は佐藤くんの目を見つめたまま言った。
「楽しいか、楽しくないか、そんなこと私じゃないんだから分からないでしょ」
ありえないほど、私は強気だった。
佐藤くんは真剣な私の眼差しにクスッと笑みを見せて呟いた。
「そうだよね、楽しいか、楽しくないか、そんなこと、思い出を作る前に言うべきじゃないよな、、、
二ヶ月しかないけど、一緒に思い出をたくさん作ろうか?」
私は佐藤くんに大きく頷き、笑顔を見せた。
私と佐藤くんの二ヶ月は今日からカウントダウンをはじめる。
期間限定の私の恋は別れることを前提とした思い出作りになる。
私は佐藤くんをもっと知りたいと思っていた。
たとえ最終的に別れる二人でも。
知りたいと思っていた。
たった二ヶ月しか時間がないのにガソリンスタンドのスタッフとミニストアのスタッフで終わることは寂しい。
一年以上も私は佐藤くんを見つめてきた。
お互い言葉を交わすわけでもなく片思いをしてきた。
たとえ期間限定でも、もう、見つめるだけの恋は終わりだ。
それが最終的に辛く無駄な思い出作りだとしても二ヶ月、私は佐藤くんと同じ時間を共有したいと思っていた。
私と佐藤くんは互いの休日にデートをすることにした。
佐藤くんは私のアパート前まで愛車のレガシィで向かえに来てくれた。
ピカピカに磨いてある黒色のレガシィの助手席に座る。
外の気温は低く寒いけれど、車内は暖房がきいている。
時折、信号待ちで気分転換のミンティアを差し出す。
ミンティアの粒が想定外に多く佐藤くんの手のひらに広がり、ミンティアありがちなハプニングに私と佐藤くんは笑い合った。
佐藤くんは洋楽が好きだ。
カーステレオからは聴き覚えのある音楽が流れている。
ミニストアで呆れるほど見つめていた華奢な後ろ姿から私はハンドルをにぎる佐藤くんの横顔を見つめる。
佐藤くんはシートに深く腰をおろすと片手でハンドルを軽く握る。
時折、信号待ちで缶珈琲を飲んだ。
「タバコ、吸ってもいいかな?」
助手席にすわるワタシを見て呟いた。
「うん!全然、気にしないで」
運転席側のウィンドを少しおろして佐藤くはラークマイルドを一本、口にくわえた。
佐藤くんはハンドルを握りながら私に聞いてきた。
「ピアス、右耳だけ開けているじゃん?どうしてか、聞いてもいい?」
私は佐藤くんの質問に動揺した。
「佐藤くんが右耳だけしているから」とは言えない、いいや言うべきなのか。
結局、私は適当な嘘でごまかした。
「えっと、想像していたよりも痛くて右耳だけでやめたの」
佐藤くんは笑っていた。
「え?そうなの?ピアス穴開けるのって、そんな痛かったっけ?」
私は話を逸らすように佐藤くんに聞き返した。
「佐藤くんは、どうして右耳だけピアスしているの?」
佐藤くんは少し考えて答えた。
「そうだね、うーん、なんで、だったな?たぶん、片方だけが、カッコ良く思ってたんじゃない?それか好きなアーティストが右耳だけとかさ、十代の頃に開けたからね。
特に理由ないことしたがるし、若いときってさ、まぁ、忘れちゃったな」
私と佐藤くんは互いクスッと笑い合った。
こうして車内で二人が笑い合い、右耳だけピアス穴をあけて同じ色の金のピアスをしていると本当に恋人同士のように感じる。
これからも、この先も揺らぐことがない、普通の恋人同士に感じる。
私と佐藤くんが休みごとにデートできる回数は八回程度。
私と佐藤くんは偶然にも休日が一緒である。
きっと別れることが前提の二人に恋愛の女神からのプレゼントだろう。
私と佐藤くんは大黒ふ頭で夜景を見た。
佐藤くんと過ごす時間は楽しい思い出になるのだろうか。
きっと楽しかったなんて言えるわけない。
思い出が楽しいと思えるのは、思い出を振り返ることができる幸せな状況があるからこそ。
楽しい思い出が積み重なる。
私と佐藤くんは幸せな時間が終わるたび、毎回、切なくなる。
胸をギュッとしめつけるような思い。
言葉に出来ない切なさが押し寄せる。
幸せな時間を重ねるほど佐藤くんと、さよならのときがカウントされている。
大黒ふ頭、お台場海浜公園、海ほたる、山下公園、横浜中華街、ベタなデートスポットばかり出かけた。
でも全てロマンチックで幸せすぎて、その度に切なく苦しくなる。
佐藤くんと四回目のデート。
横浜の夜景を眺めて互いの手と手が触れると、何も言わずに手を繋ぐ。
目と目が合い佐藤くんは私にキスをする。
それでも、その先は、何も起こらない。
一緒に朝まで過ごすことは私と佐藤くんの間になかった。
キスの後、唇が離れる。
目と目が合い、きっと、互いに伝えたい言葉がある。
お互いに、その言葉を分かっているのに。
声に出すことは出来ない。
だから、ただ黙って、見つめ合うことしかできない二人。
キスの後に、取り繕うように見つめて。
再び夜景を見つめる。
佐藤くんは必ず最後に「そろそろ、帰ろうか」と呟く。
もし、戻りたくないと言えば、どんな言葉を返すのだろう。
わがままを言うことも出来ない関係。
最後のデートは、どうしたって訪れる。
どんなに眠らなくても、今日と言う一日は終わる。
佐藤くんとの最後のデートは江ノ島。
海が好きなワタシの為に佐藤くんは今まで海辺付近の場所を選んでくれた。
佐藤くんは車が好きで運転することが好きだ。
それは愛車のレガシィをみれば感じる。
外装も車内も綺麗だ。
十年乗っていると言っていたけれど、古さを全くかんじないほど新車のように清潔感がある。
そして乗り心地がとても良い。
きっと佐藤くんの運転に安心しているのだろう。
車内に微かに香るムスク系のフレグランスが私と佐藤くんを包む。
私は佐藤くんとのデートで一番好きな時間は車内で過ごす時間。
目的地まで向かうまでの時間が長ければ長いほど佐藤くんと時間を共有できる。
誰に邪魔されることなく、この狭い車内は二人きりの完全個室。
目的地に行くまで渋滞だとしても、全然嫌じゃない。
むしろ嬉しい。
車内で私と佐藤くんは、たくさん会話をした。
佐藤くんが何故、大きなコッペパンとアクエリアスや珈琲、毎回同じものを購入するのか?正直どうでも良いことが気になって私は仕方なかった。
理由は何てことのない。
ただ選ぶことが面倒なだけである。
佐藤くんは、あまり食に関して関心や興味がないと自分自身で言っていた。
特に仕事中は空腹を満たせる程度で十分で食事を選ぶことや食べる時間をかけるよりも他のことに時間かけたい主義なのだ。
それが佐藤くんにとって雑誌であり仕事だ。
佐藤くんはガソリンスタンドの中山とミヤビが付き合っていることを知っていた。
中山から直接聞いたと言うよりもスタッフルームでの会話を聴いて知った。
佐藤くんはポツリと私に呟いた。
「オレは、全く魅力をかんじないけどね?サキちゃんの友達にたいして失礼かもしれないけど。
それに好みは人それぞれだよね」
私は佐藤くんに聞いた。
「佐藤くんは、どんな相手に魅力を感じるの?」
佐藤くんはチラリと私の目を見るとテレながら逸らして笑った。
「えっ?聞きます?それ?そうだなぁ、断るとこができなくて、頑張って働いて、結局、貧乏くじを引いちゃうような子に魅力を感じるね」
私はクスッと笑みがこぼれた。
佐藤くんは話を続けた。
「オレさ、そんなにミヤビちゃんが店にいる日に来店してないけど、たまたま夜とか店に行くと、いつも、暇なのか、スマホいじってて、壁に寄りかかっているよね。
いらっしゃいませも声小さいし。
まぁ、愛想の悪いオレが言うことじゃないけどね。でも、そんな姿を見ると、まぁ、可愛くても魅力を感じたり好きになったりしないなぁ。」
たしかにミヤビは社長や社長夫人が店に降りてこないことを良いことに勤務時間に自発的に動くことをしない。
それどころか、やるべき仕事も中途半端で終えて帰るし、するべき引き継ぎもないから昼間のスタッフからは結構クレームがでているし、社長夫人からも私はミヤビの勤務態度に関して、やんわり注意してもらえないか、頼まれている。
だが友達だからこそ言葉を選ぶ。
ダメなときは、きっちり注意する、それが本当の友達関係だと世の中では、もっともらしい正論をいう人間が多いが、
世の中、そんな正論通りにいかない。
友達だからといって、相手に嫌われても良いなんて思えない。
正直、友達関係に波風を立てたくない。
私はミヤビの性格を理解している。
ミヤビは外面だけは良い。
しかもその外面は最初の一カ月程度である。
色気があり男にはモテる。
それを良いことにすぐに男に頼るし、働くことが大嫌いだから、いかに楽して生きるかを考えている。
きっと中山もミヤビの本当の姿を知ることになるだろう。
佐藤くんはミヤビと接する機会が少なくてもミヤビの性質を分かっている。
いつも周囲を見てないようで周囲をみている。
佐藤くんは店内に貼っているイラストのポップについて私に聞いてきた。
「もしかして、店頭や店内のポップはサキちゃんが作っているの?」
私は佐藤くんの言葉に少し驚きながらも頷いて答えた。
「えっ!うん!よく、わかったね?見ていたんだ?ポップ」
佐藤くんは私を見つめて言った。
「そりゃ、ほぼ毎日のように来店しているし、サキちゃんレジ内で作業していたじゃん?めちゃくちゃ上手だよ。
サキちゃんが働く前なんてポップ的な物なくてさ、段ボールにマジックで描いてた程度だったとおもうから」
私は佐藤くんの言葉に嬉しくなりテンション高く答えた。
「そうなの!段ボールにマジックで数字描いてて、いかにも八百屋って感じでね、正直ダサっ。て思ってて。恥ずかしいんだけど、私、昔、イラストレーターになりたくて、少しだけ目指してたこともあるの。
今、作るようになったら、社長たちにも喜ばれて、それで、ポップ担当みたいになったの」
一生懸命説明している私を見て佐藤くんは言う。
「なんで、イラストレーターになるの、辞めちゃったの?もったいない」
私は少し考えて答えた。
「なんでだろう、、学校に行こうとか、
そのときは、考えていたけど、バイトやめたりして、どうせ自分には長続きしないような気がして、だから、お金かけて専門学校とか、勉強することが無駄のような気がして、いつからか、イラストレーターになること忘れていた。
でも、結局やっぱりポスターとか作ったりして、家に帰ってまでポップ作ったりしている。バカだよね。」
佐藤くんは真面目な顔で私を見つめて言った。
「バカじゃないよ。そんなに夢中になれるの、素敵なことじゃん。
勉強することに、無駄な時間なんてないから。
どこかでかならず、意味あるものになるしさ、人生、一度くらい何かに夢中になって一生懸命になってもいいんじゃん。
なんてさ、、、
偉そうなこと言って、ごめんね。
オレも結構、説教じみたオッサンだね」
佐藤くんは笑顔を見せて、恥ずかしそうに笑っていた。
私と佐藤くんは目的に到着した。
目線が合い多少の言葉を交わせば、もっと佐藤くんを知りたいと欲が生まれる。
ひとつ叶うと、何か、ひとつ、また別の感情がうまれる。
手が重なり、唇が重なると心も重なる。
佐藤くんと離れたくない。
佐藤くんは目的もなく過ごしていた私に忘れかけていた夢を思い出させてくれた。
佐藤くんも私を見つめていた。
いつも目を逸らしていたのに。
意外と見ていた。
佐藤くんが言ってくれた言葉は、私に忘れかけた夢を思い出させてくれた。
どこかに忘れかけていた夢を、もう一度、追いかけたいと思いはじめている。
佐藤くんが自分自身の夢を追いかけるように私も人生一度くらい、本気で頑張っても良いと思っている。
無駄な時間なんてない。
たとえ別れる為に出会う二人でも、無駄な思い出なんてひとつもない。
人生に無駄な時間なんてないことを私は佐藤くんから教えてもらった。

佐藤くんは三月入り職場のスタッフ達に退職することを伝えた。
私と佐藤くんの関係を知らない中山は驚き、ミヤビにすぐに伝えた。
私は友達であるミヤビにも佐藤くんとの関係を報告していない。
ミヤビが中山に伝えることが想像できるからだ。
そうすれば佐藤くんが自分の口から報告する前に退職する情報が職場に漏れる可能性がある。
噂と言うものは、そんなものだ。
佐藤くんと私の期間限定の関係を知ったミヤビは、さすがに言葉がすぐに出てこなかった。
きっとどんな言葉をかけるべきか分からなかったのだろう。
「おめでとう」でも「良かったじゃん」とも違う。
ただミヤビは悲し気に言った。
「本当に二ヶ月、それだけで良いの?結局さようならしちゃうんだよ。
サキも一緒に、アメリカに、ついて行くと言っちゃえば?」
私も何度も一緒に佐藤くんについて行きたいと考えた。
でも、そんなこと現実問題できるわけない。
佐藤くんだって、きっと、不安でいっぱいだ。
まだ地に足をつけていない場所で過ごすことに私に目をむけている余裕なんてないはずだ。
佐藤くんは仕事にストイックだ。
自分自身が決めたことを必ずやり通す。
だからこそ佐藤くんの言葉に私は心が動かされた。
佐藤くん私に「一緒にアメリカ行こう」
そんなことを軽く言える男なら私は佐藤くんを苦しいほど愛していない。
好きになっていない。
何よりも佐藤くんも夢を叶えていない。
そんな気がした。
佐藤くんとキスをした後、何度も帰りたくないと私は思った。
このまま二人で朝まで抱き合って過ごしたいと願っていた。
でも佐藤くんと朝まで抱き合って過ごしたら私は自分の気持ちを押さえることが出来なくなる。
私は佐藤くんを絶対に失いたくないと思うだろう。
離れたくないと願うことだろう。
聞き分けの悪い女になることが分かっている。
きっと「アメリカに行かないで」と、わがままを言うことになる。
だから少し長いキスをして私は佐藤くんを感じる。
佐藤くんは優しく私を抱きしめる。
少し長く私を何も言わずに抱きしめる。
「このまま二人で過ごそうか」そんな声にできない言葉が私は佐藤くんに抱きしめられて伝わってくるから二人、またキスを交わす。
二人の影が夕日に照らされている。
どんなに眠ることを拒んでも必ず夜は明けるものだ。
最後のデートをしてから三日後に私は初めて自分の休日以外に休みをもらった。
佐藤くんと本当にさようならをする為に羽田空港国際線ターミナルまで見送りに来た。
佐藤くんはキャリーケースを預ける。
空港デッキで私と佐藤くんは、残り少ない時間、飛び交う飛行機を見つめた。
本当にさようならをする時間が訪れる。
分かっていたのに実感がわかない。
だから今、すごく胸が苦しい。
私は自分自身が思っている以上に佐藤くんを好きになっている。
好きな相手と別れることが、こんなにも苦しいものだと今頃感じるなんて。
佐藤くんに小さなコンビニの袋を手渡した。
「これ、食べられなくなるから」
小さなビニール袋には、大きなコッペパンとアクエリアスとラークマイルドが入っている。
サトウくんは袋の中を見るとクスッと笑って「ありがとう。一緒に過ごせて楽しかったよ。
素敵な思い出は、オレが作ってもらっちゃったね。」と呟く。
あいもかわらず佐藤くんはカッコ良い。
そして、あいもかわらず今日も私は佐藤くんを愛している。
佐藤くんが優しい瞳で見つめると、余計に切なくなり涙が溢れてきた。
胸がギュッと締め付けられるような痛みを感じている。
私は佐藤くんから目をそらして空を見上げた。
佐藤くんは私に気づいているように背後から肩に手をまわして私を包むように抱き寄せた。
強く抱き寄せるから佐藤くんの吐息を背中越しで感じる。
佐藤くんは顔を近づけて私の耳元で呟いた。
「大丈夫、ちゃんと帰ってくるから、、それまで、待ってて、」
私は佐藤くんの手に自分の手を重ねた。
そして、拗ねるように言った。
「いつ?いつ、帰ってきてくれる?」
「五年勉強したら日本に戻ってくる」
佐藤くんの息が耳元につたわる。
「五年なんて長いよ」
「五年なんて、あっと言う間だよ。」
「五年たったら何もかも変わる。」
拗ねる私に佐藤は優しく呟いた。
「変わらない。少なくてもオレの気持ちは変わらない。約束する。」
佐藤くんは私の耳にキスをした。
私はキスの温度を感じながら、ゆっくり振り返り佐藤くんに抱きつき佐藤くんの胸に顔を寄せた。
その瞬間、不思議と周囲の雑音も何も聞こえなくなる。
佐藤くんの鼓動だけが微かに聞こえる。
佐藤くんは強く抱きしめたまま言う。
「そんな、悲しい顔するなよ。オレ、辛くなって行きたくなくなるでしょ」
私は佐藤くんの胸に顔を埋めながら呟いた。
「なら、行かないでよ。バカ」
拗ねている私の顔を佐藤くんは手で包み込み、私の涙を手で拭うと、最後のキスをした。
一番甘くとろけるようなキス。
いつもより長いキスを交わして互いの唇がゆっくり離れる。
佐藤くんはオデコをくっ付けて言う。
「一緒にいたい大切な相手ができたから、帰ってくる。オレを信じて待ってろ」
私はゆっくり頷いて笑顔を見せた。
佐藤くんと私のタイムリミット。
佐藤くんは歩きゲートへ向かった。
最後に見つめ合い、一度も振り返ることがないまま。
一人残された私は佐藤くんを乗せたボーイングが飛び立つ姿を地上から見上げるしかできなかった。
何かを変えたくて、それでも、何も変わらずに私と佐藤くんの時間は流れる。
ガソリンスタンドの佐藤くん、貴方と出会えたことで私は変わる。
もう一度、夢を追いかけてみる。
ミニストアで働き続けながら専門学校に通いはじめた。
それなりに忙しくなり時間に余裕がなくなっているのに何故だろう。
私は満たされている。
自分の好きなことを夢中になって、人生、一度くらい、一生懸命になることも悪くないと知った。
ロサンゼルスのなれない環境の中で頑張っている佐藤くんからはメールが届いた。
ロサンゼルスのカスタムカーショップの「ガスルーキー」の職場仲間と写した写真が添付されている。
アメリカらしく仲間は腕にタトゥーが目立っていた。
その中に華奢な佐藤くんが笑顔で写っていた。
私と佐藤くんは、それぞれの場所で夢を追いかけている。
本当に五年後、佐藤くんが戻ってくるのか、そんな口約束が現実になるのかは、分からない。
五年、短いようで全てを変えてしまう。
それでも私はガソリンスタンドで働いていたオイルの匂いとオイルで汚れている佐藤くんをあいもかわらず愛している。

私と佐藤くんは羽田空港を最後に六年の月日が流れていた。
ワタシは二十六歳になった。

あの日、交わした甘いキスの余韻という魔法が何年も続くことは、やっぱり出来ないことを知る。
どんな甘い魔法も。
いつかは醒める。
私は夢だったイラストレーターの仕事をしていた。
だが、自分自身が描いていたような仕事内容ではない。
イラストクリエイターとは名ばかりで結局は電話応対や来客対応。
上司や先輩からの指示のもと自分の感情なく仕事をしている。
理想とのギャップを感じながらも、この仕事を四年も続けられたのは新人だった私を支えていた相手がいるからだ。
結局、人間は一人では生きて行くことができない。
クリエイターが揃う今の職場は、どこか殺伐としていて無感情な人が多い。
効率を重視するが、義理や人情など人間臭さがない。
自分の与えられた勤務時間を終えれば、皆、個人の時間でプライベート重視。
飲み会や食事会などはない。
まして仕事についてプライベートに語らうことはない。
昼休みも個々に食事をとる。
モニターやスマホを眺めながら黙食だ。
それが今の職場であり、今の時代当たり前なのかもしれない。
ミニストアで出会ったような喜怒哀楽でペットボトルのお茶を分け合い、お菓子を食べて笑いながら上司の文句を言う人はいない。
殺伐としている職場の中で私に仕事を教えてくれた先輩は関本一成。
年齢は私よりも一歳年上。
無感情な人間が多い中で一成も、効率性を重視するクールな人間だった。
それでも仕事上、会話をすることが多くなったこともあり、仕事終わりに食事に行く回数は増えて行く。
そして私と一成は、ある夜をキッカケにセックスをする関係に変わって行った。今、私の恋人だ。
佐藤くんがロサンゼルスに旅立ち、約一年メールでやりとりをしていた。
文字だけの繋がりの中で切れそうな糸を繋ぎとめていた。
私は佐藤くんが旅立ち一年後に今の職場に入社してミニストアを辞めた。
私は、なれない職場環境の中で自分自身に余裕がなくなり、何度も心が折れそうになった。
何度も辞めたいと思っていた。
きっと私と同時期に佐藤くんも壁を感じていたのかも知れない。
私は愚痴のようなメールに佐藤くんの返信は味気ないもので、返信は早くて三日後、遅ければ一週間後だった。
分かっている。
佐藤くんも仕事が忙しいことを。
私の愚痴に付き合える程、暇じゃないということも分かってた。
そんな時に職場の先輩でもある一成は、私の心の隙間を埋めてくれた。
ほぼ同年代の一成は先輩でありながら話しやすい相手だった。
私は仕事以外にも佐藤くんと私の関係も一成に相談をしていた。
一成はメール返信が遅くなった佐藤くんとの関係について言った。
「えぇ!?それは、もう相手に彼女いるでしょ?ロサンゼルスだよ?
たくさん魅力的な女性と出会うワケじゃん。
仕事忙しいだけでメール返信遅れないでしょ?一言でもマメにできるし。だって彼女だったんでしょ?
現にメール回数が減ってきているわけだしさ。
まさか、本当に五年待っているつもりでいるの?
五年待って相手が絶対に戻ってくる保障なんて、なにもないのに?
それって、人生の時間を無駄にしていると思うよ」
私は一成の言葉に溜息を零しつつも、納得していた。
「確かに、そうだよね。単純に仕事が忙しいだけじゃないよね。」
一成は私の目を見つめて言った。
「メールしないでごらんよ?
きっと、もう二人の関係終わるよ。」
食事を終えて、駅に向かう途中に一成は、静かな暗い路地で私にキスをした。
「オレの家来ない?明日、休みだし、飲み直そう」
私と一成は、その夜をキッカケに男と女の関係になり私は一成の言うように佐藤くんにメールを自分から一切送らなくなった。
一成の言うように佐藤くんからメールは届かない。
きっと佐藤くんも私に男がいることを悟ったと感じたのかもしれない。
辛うじて繋ぎ止めていた糸は切れてしまった。
私と佐藤くんの間の小さな溝は修復不可能なほど広がって行く。
そして私と佐藤くんの関係は最後の言葉を交わすこともなく自然消滅した。
佐藤くんがロサンゼルスに旅立ち3年目が過ぎていた。
私は佐藤くんの存在を忘れて一成だけを見つめていた。
一成は佐藤くんと真逆の相手だ。
白い肌で敵を作らない平和型。
それは簡単に妥協をしている性格ともとれる。
佐藤くんと決定的に異なるところは仕事にたいしての熱量である。
一成は仕事に対してストイックではない。
効率性を一番に考え、オンオフをしっかり分ける。
仕事をプライベートに持ち込むことはなく、自分自身のプライベートを大事にする人間だ。
与えられた時間内に仕事する。
仕事をプライベートに持ち越すことをナンセンスと思っている。
私のように勤務時間内に仕事を終えられないで持ち帰っていると一成は、呆れたように言う。
「出来ないなら出来ないと言えば良い。
プライベートに仕事を持ち帰ってまで会社の為に働く必要がない。
そんなことをしても職場が守ってくれるわけでもないし、
金を余計にくれるわけでもない。
ただ、自分の時間を切り崩すだけで何徳にもならない。
損得をちゃんと考えなきゃ。
ボランティアで仕事しているワケじゃないでしょ。
自分が楽になる仕事をしなきゃ。」
かなり強い言葉だが実際に一成の言う通りである。
一成は私と一緒に過ごす時間を大事にしてくれる。
だからこそ、私が仕事を持ち帰ることを嫌う。
一成と過ごす時間、私は思いっきり一成に甘えることが出来る。
金曜日の仕事終わりから一成の部屋に泊まり一緒に過ごす。
昼過ぎまでベッドの中、二人で抱き合いながら過ごし、昼過ぎから二人で映画やショッピングにでかける。
夜は予約したレストランで食事する。
一成はグルメで素敵なレストランを見つけると私に教えてくれる。
「一緒に行こう」と予約をいれる。
食事をする時間を楽しんでいる。
どこにでもいるような恋人関係に私は、ずっと憧れていた。
きっと佐藤くんと感じたかった恋を今、一成と感じている。
「待ってて」そんなこと言われても、私は待つつもりだった。
佐藤くんが隙間を作らなければ佐藤くんが残した余韻と文字だけで待つつもりでいた。
でも溝は生まれてしまった。
淡々と効率性を考えて仕事をする仲間という仲間もいない中で私は一成に依存していた。
一成は私のような努力型ではない。
飲み込みも良くてクリエィティブな仕事に合っている人材だと言える。
たとえ同じ仕事をしていても私は一成の倍以上の時間をかける。
それはキャリア的な差ではない。
人間には二通りのパターンがある。
天才型と努力型である。
きっと一成は天才型で私は努力型。
だから例え同期だとしても私は何倍もの時間を費やさないと同じ場所に立つことは出来ない。
そして仕事には向き不向きがある。
自分が望んだ仕事でも自分が好きで選んだ仕事でも。
その仕事が自分自身に合っていない。
自分自身に向いていないことがある。
私は今感じている。
きっと今の仕事は私に合っていない。
好きだけでは仕事は出来ない。
正直、仕事が面白くないと感じている。職場に行くことが憂鬱で仕方ない。
そんな時に一成は言う。
「仕事なんて、誰だって憂鬱で行きたくないよ。
面白いとかヤリガイがあるなんて思うワケがない。それが仕事でしょ」
仕事に面白さやヤリガイを求めることは、間違っているのだろうか。
佐藤くんのようにストイックに生きることが私には出来ない。
自分が選んだ仕事に自信がもてない。
あの時、夢を抱いて憧れていた私はいない。
それが年齢を重ねて働くと言うこと。
一成のクールさ私の温度を下げる。
真面目すぎて貧乏くじを進んで引く私に「もっと楽に考えなよ」と伝える。
いつから、私は一成と過ごすことを心地良いと思うようになったのだろう。
一成とキスをして抱き合って一成と満たされない感情を満たすように重なり合う。
最終的に私は一成と結婚するのだろう。
一成と付き合って五年目そんな気がしている。
土日は二人で過ごすことが当たり前になっていた。
昼前に目をさまして、また抱き合い、私と一成はベッドから出てた。
出かける準備をしたのだ。
一成の愛車のアルファロメオの調子が良くない為、予約した整備工場に持って行く。
「なんだろうな、エンジン音が変で、
ブレーキもイマイチ効き悪いような気がするんだよなぁ。
ディーラーに持っていても、ちゃんと見てくれないと言うか、新車買わそうとしていることがミエミエで。
オレこの車が好きだから買い替えたくないし、まだ乗りたいんだよね。
だから、ネットで評判の整備工場に持って行くことにしたんだ。
小さい個人店みたいなんだけど竹芝にある。
浜松町の職場から近くて驚いた。
サキもドライブ変わりに一緒に来てさ、
その後、いつものイタリア料理店で食事でもしようよ。」
私は笑顔で頷き、一成の愛車アルファロメオに乗り込んだ。
一成は整備工場のホームページをプリントアウトして私に手渡した。
「えっ!本当に職場に近いね?歩いて行ける距離かも」
一成は笑っていた。
「ねっ!?驚きだよね。休日に職場の近くに行きたくないけどさ。
でも、ここの整備工場わりとネットのクチコミ良くて特に外車に強いらしいよ。
かなり古いクラッシクカーも受け入れて修理してもらえるし、塗装とかもしてくれる。
でも個人店だから整備できる件数も限られていて予約で埋まってるんだよ。
半年待ちで順番が回ってきた」
私は、プリントアウトされた詳細を見ながらカズナリの話をきいていた。
「すごいね、そんなに予約で人気なんだね?」
「整備する人は頑固なおっさんかな?」
私は一成につられて笑った。
「そんなことないでしょう?ホームページあるくらいだし、竹芝ベースって、店名つけてるし、おしゃれじゃん。写真も建物も」
一成も頷いていた。
「だよな?まぁ、そんなに年配の人がやっている感じはしないけど、ガラの悪い兄さんあたりかな。」
私達は車内で勝手な妄想をして笑っていた。
一時間ほど走り、目的地の竹芝桟橋付近の整備工場に到着した。
黒を貴重とした二階建ての建物で敷地内のガレージにはアメ車が数台止まっていた。
ダメージ加工を施した木製看板や観葉植物など窓ガラス越しから見える店内の事務所はカリモク家具で70年代のアメカジテイストでおしゃれだった。
私と一成は想定外のオシャレさに少し戸惑っていた。
整備工場とはいえ個人店だから事務所兼建物は小さい。
一成はアルファロメオを敷地内のガレージに止めると店内の事務所へ入って声をかけた。
「すいませーん!今日、予約している関本です」
私は敷地内の観葉植物やオブジェを少し遠くから眺めていた。
一成の呼び声に反応し奥の整備スペースから黒のつなぎを着た華奢な男が出てきた。
つなぎ上半分をおろし、袖部分を腰に巻き付けて結んでいる。
Tシャツから見える焼けた腕は黒いオイルで汚れていた。
一成と事務所から出てきた男はアルファロメオの前に来た。
つなぎを着た男はボンネットを開けてエンジンルームを眺めて、隅々まで見て、一成に何か話かけている。
一成の少し後ろに隠れるように立つ私に、つなぎの男は気づいていない。
私は、つなぎを着た華奢な後ろ姿に懐かしい記憶が蘇っていた。
茶髪で少し重めな無造作ヘアにオイルで汚れた腕や手の平に右耳のピアス。
「もしかして」
私の心臓を締め付ける。
つなぎを着た男は一成に話しかけて顔をゆっくり上げた。
一成が私に振り返り声をかけた。
「サキ、事務所で書類かくからさ、店内に行こう」
一成の言葉に反応するように、つなぎの男が私の存在に初めて気づいた。
そして私の顔を見た。
つなぎを着た男は、間違いないガソリンスタンドの佐藤くんだった。
言葉もなく私の顔を黙って見つめた。
そして、すぐに伏し目がちに逸らした。
ここの整備工場は佐藤くんが経営していた。
当然ながら私も一成も知るわけがない。
ロサンゼルスから帰国したことさえ私は知らなかった。
佐藤くんとの再会に頭の中は真っ白になっている。
私と佐藤くんは今日まで別々の人生を歩んでいる。
佐藤くんは白々しい程に赤の他人を演じている。
「じゃあ、手続きしますから彼女も中でお茶でもどうぞ。」
佐藤くんが私と目を合わすことなく冷たく言う。
店内に入ると向かい合わせで座る。
佐藤くんは私と一成にお茶を入れてくれた。
佐藤くんが用意した車の修理の依頼書に一成は記入をする。
私は一成の横に座り、時折テーブルを挟んで向かい席に座る佐藤くんをチラッと見る。
佐藤くんはノートパソコンに目を移したまま私と目が合わせることがない。
重い空気感が漂う。
佐藤くんが声にせずも伝わってくる。
佐藤くんは私の薬指に目を向けた。
一成とお揃いの薬指のリングを見た。
私は今更ながら右手を左手の薬指のリングの上に乗せた。
一成は記入の途中で顔を上げて呟いた。
「あっ!車検証を車内に忘れた。今、持ってくる」
席を立つと事務所の扉を開けて敷地内に止めたアルファロメオに向かった。
目と鼻の距離でガラス窓からはアルファロメオの扉をあける一成が見える。
私は目の前に座る佐藤くんに声をかえた。
「帰ってくるなら教えてくれれば、」
佐藤くんは私と目を合わせることもなくノートパソコンにカズナリが記入した内容を入力したまま答えた。
「関係ないじゃん。
話かけて困るの、あなただよ」
キーボードを叩く冷めた音が私と佐藤くんの間を埋める。
佐藤くんは目線を一瞬だけ向けただけで冷たい言葉を私に言うだけだった。ろくに目線さえ合わせてくれない。
ろくに言葉さえ交わしてくれない。
それが全てを物語っていた。
何も知らない一成は車検証を車から持ってきて再び記入をはじめる。
書類上の手続きが終わり私と一成は事務所を出た。
一成は佐藤くんに「それじゃ、よろしくお願いします」
笑顔で振り返り伝えた。
佐藤くんは私と一成を見送る。
「ありがとうございます。なるべく早く仕上げますよ。そんな時間は、かからないと思うから」頭を軽く下げた。
佐藤くんが見送る前で一成は私の左手を繋いだ。
最悪な再会であり、最悪な展開だった。
今、私が勤務する職場の近くに佐藤くんの経営する車の修理兼住居がある。
話したいこと、たくさんある。
それでも何一つ聞くことは出来なくて。それどころか佐藤くんは私に冷たい。
まるで初めて出会ったときのように。
伏し目がちで無愛想で「お前になんか興味ない」そんな感情が伝わってくる。
私と佐藤くんの楽しかったニヶ月の思い出は、今となれば幻のように感じる。
何もなかったような。
たったニヶ月、それは夢だったような気になっている。
私と佐藤くんは縁がある。
でも、それは結ばれる縁ではない。
どう頑張っても結ばれない運命的な縁。
私は一成とのデートを楽しむことは出来ない。
佐藤くんと再会してから私の中には佐藤の存在が強い。
一人で過ごしたいと思っていた。
それはきっと佐藤くんのことを思い出したい夜だからだ。
一成に感情移入することができない。
ふたりでひとつになれること、感じているふりをして切なくなって虚しい。
いつも私を優しくも、クールに包んでくれるカズナリが今日に限って、
強引に私の中に入り込んでくる。
私の中で佐藤くんと出会った頃の思い出の時計の針が再び動きはじめている。
私は寝ても覚めても佐藤くんのことを考えている。
頭の中は彼氏である一成よりも佐藤くんのことが埋めていて、佐藤くんの整備工場は私が勤務している職場から数十分の距離だ。
会いたいと思えば会える距離。
仕事にも身が更に入らない。
依頼された作業に集中しているつもりでも、それは、つもりでしかない。
シゴト中に注意されることも多い。
私の初歩的なミスをフォローする一成にも迷惑をかけている。
悪循環が続いていた。
一成のアルファロメオの修理は一成が必要以上に急かしたこともあり、予定よりも早く終わり一成の素へ戻ってきた。
佐藤くんにしてみれば、そんなに時間がかかる作業では、なかったのだろう。
それか、私と関わる物から早く縁を切りたかったのかもしれない。
佐藤くんは一成のアルファロメオをサ綺麗に磨いて戻してくれた。
佐藤くんらしい、単純に修理だけで終わらせない。
佐藤くんは、いつだって中途半端な仕事をしない。
そんなことを思い出すと私は佐藤くんに恋をしていた理由を再認識する。
私は損得感情せずに、ただただ自分の仕事に一生懸命になっている愛想のない不器用で器用な佐藤くんを愛していたはず。
効率性を考えない、人間臭い佐藤くんを愛していた。
だから私も人間らしく生きていた。
貧乏クジを引いて笑顔だった。
いつから、涼しい顔をして生きることを選んだのだろう。
それを美学と捉えるようになったのだろう。
一成は綺麗に仕上がり戻ってきた愛車を当然のように勝ち誇り言った。
「コッチが急かせば早く仕上げることできるんだよ。
だから、実際予定よりも早く仕上げてくれたわけじゃん。
コッチが黙ってハイハイ待っていたら相手も適当にダラダラ仕事するからね」
私は一成の言葉を黙って聞いていたものの、正直、イラついている。
佐藤くんはダラダラ仕事をする人ではない。
なにひとつ、佐藤くんの分かっていないくせに。
佐藤くんの仕事ぶりは過去の私が嫌という程、見ている。
誰よりも、人一倍働いてる人だ。
ガソリンスタンドが連休になっても休むことをしなかった馬鹿真面目な人。
佐藤くんという人を理解しているからこそ佐藤くんの仕事を待っている人は
たくさんいる。
何ひとつ分からないのに。
一成と同様に私も佐藤くんのことをきっと分かっていなかった。
だから佐藤くんを待ってることが出来なかった。
そんなこと今頃になって分かるなんて私は馬鹿だ。
私は何でも中途半端で、
仕事にしても佐藤くんに対しても何でも時間のながれが解決してくれると思っている。
目をとじてれば解決すると、どこかで思っている。
佐藤くんのことも一成のことも中途半端でしかない。
一成との土日のデートも何か理由をつけては避けている。
嫌なことから逃げて何とかなると思っていた。
私は佐藤くんに会いたい。
どうしても会いたい。
佐藤くんが戻ってきたのに、佐藤くんとろくに会話もしないなんて納得できない。
私と佐藤くんは思い出を作った。
たった2ヵ月でも全てが嘘になってしまう。
私は夜二十時に仕事を終えて佐藤くんが働く整備工場まで一人向かう。
浜松町は、駅周辺は隙間なくオフィスビルが立ち並びコンクリートジャングル。
飲食店も多く会社員も多い。
駅から離れて5分も歩けば、やたら静かで路地も暗い。
とくに竹芝埠頭方面に行けば、建物も少なくなり運送会社や倉庫が多くなる。
佐藤くんの整備工場は、倉庫が立ち並び、閑散としている場所。
ポツンとサトウくんが働く整備工場兼住宅が見えた。
看板はシャッターが半分下りている。
隙間の整備ルームから明るい光が漏れていた。
電灯を消した周囲の倉庫街にホッと安心感を与えるように暖かく柔らかな光に感じた。
明かりが漏れるシャッターの隙間から私は、こっそりのぞくと佐藤くんが車のボンネットを開いて黙々と作業をしていた。
私は「佐藤くん」と、小さな声で呼ぶ。ひとりごとのような声で呼んだ。
ステレオからは小さい音量で洋楽のBGMがながれている。
佐藤くんは微かな私の声に気づいた。
覗き込んでいた車のボンネットから背中を起こしてゆっくり私の方向へ顔を向けた。
少し驚き呟くように私の名前を呼んだ。
「サキ!」
そして愛想なく言葉を続けた。
「何しに来たの?」
やっぱり笑顔は見せてくれない。
素っ気ない言葉に私の二言目は第一声よりも小さい。
「やっぱり、話したくて」
私は佐藤くんから目線をそらし伝えた。
佐藤くんは作業を止めて工具をデスクに置いた。
「とりあえず、もう少し中に入れよ」
佐藤くんの言われるまま、私は、頷き、整備ルームに数歩、前に進んだ。
佐藤くんは疲れたようにデスクに腰をおろしてラークマイルドを一本、口にくわえてタバコを吸い始めた。
そして缶珈琲を一本、私に近づき手渡した。
「飲む?」
佐藤くんとの至近距離で目と目が合う。
遠い昔、キスをして、たくさん思い出を作った相手とは思えないほどぎこちないニ人は、すぐに目線をそらした。
佐藤くんは私をチラリと見て呟いた。
「もうピアス、つけていないんだね、
指輪は、つけているわりに」
佐藤くんの一言が私の胸を、突き刺す。
佐藤くんを好きで、佐藤くんとお揃いにしたくて開けた右耳のピアス。
佐藤くんと合わなくなってから、耳にスリ傷をつくってしまった。
スリ傷が完治してもピアスを付ける機会がないまま、気づけば右耳のピアス穴は塞がっていた。
わざと外したわけじゃない。
だけど佐藤くんと離れてから右耳のピアスの存在を重要視してなかったことは、まぎれもない事実。
私は返す言葉が見つからなかった。
「わざとじゃない」どんな説明をしても今は全てが言い訳になる。
佐藤くんは、デスクに腰をおろしたまま、タバコを吸っていた。
不機嫌そうな顔は変わらない。
久しぶりに私に会っても愛想笑いのひとつもしてくれない。
私と佐藤くんの微妙な距離感は互いの心の距離感のように思えた。
話すことばさえ、見つけることができない二人。
佐藤くんは溜息まじりに煙をはき、愛想なく呟いた。
「なにか、話があるから彼氏に内緒にして、ここに、来たんじゃないの?」
私は佐藤くんの言葉に思わず感情的に反応した。
「内緒って、そんな言いかたしないでよ、ただ、佐藤くんに会いたいから、久しぶりに話したくて来たのに、冷たすぎるよ」
佐藤くんの言葉が私の胸の奥を突き刺さしている。
私は、今にも泣き出しそうな心境。
佐藤くんは、ずるい。
目を逸らしたまま私に突き刺す言葉を何度も言う。
私が嫌いで腹が立っているのなら目を見て伝えればいい。
そんなことさえ、私達は出来ないほど
全てが離れてしまった。
佐藤くんも感情的になっていた。
「今更、会いたいって、何なんだよ?
そんな風にオレがいない間も男に言い寄っていたの?
よく指輪したまま、オレに会いたいとか言えるな?
お前の神経が分からない」
私は佐藤くんに黙っていた感情をぶつけていた。
「じゃあ、何でよ!佐藤くんだって!」
売り言葉に買い言葉、私達は、はじめてケンカをしている。
佐藤くんは私に刺すような冷たい視線を向けた。
「はっ?!オレが何したんだよ。
「オレが女作って遊んでると思っているの?
向こうで仕事していたんだろう?
だから、メールする暇もなかったの。
勘違いしてんなよ。
あのさ、オレ、忙しいんだよ。
無駄な思い出話しているほど暇じゃないんだよ、ないんだよ、帰れよ」
佐藤くんは舌打ちして面倒くさい表情になり溜息を零した。
デスクを軽く足でけると私に背を向けて雑にスパナを取って作業をはじめた。
私は佐藤くんが手渡した缶珈琲をテーブルに大きな音を立てるようにわざと
突き返すように置いた。
そして佐藤くんがいる作業ルームから勢いよく飛び出した。
来るんじゃなかった。
止めることができない涙を流しながら、
私は一人、暗い倉庫がいを早歩きで駅にむかった。
自分でもセーブできないほど早歩きで。
佐藤くんの怒った顔を初めてみた。
私は言葉を言い返すことが出来ない。
こんな二人になるはずじゃなかった。
何故、いつも私と佐藤くんは、すれ違い、分かり会えないのだろう。
私の恋は一方通行でしかない。
やっと、分かり会えたのに。
六年過ぎてニ人は振り出しに戻っている。
振り出しどころかマイナスだ。
もう私と佐藤くんは分かり合うことができない。
あのときに二人で感じた思い出は無駄な思い出として終わってしまったのだろうか。
私は佐藤くんに謝りたかった。
だけど佐藤くんのひとつひとつの言葉が私の感情を不要としている。
バリケードを立てて、その先を進入禁止にしている。
佐藤くんと、まともに会話することさえ、許してくれない。
あの頃を乗り越えることができなかった二人は、今になって乗り越えることなんてできない。
一度さようならをした二人に都合よく、思い出は、優しく変わることはない。
私は佐藤くんに会えない寂しさを一成に求めた。
佐藤くんに会いたいと思ったのに私は指輪を外さないで佐藤くんに会いに行ったのだろう。
結局、佐藤くんの心をえぐるようなことをしているのは私自身だ。
佐藤くんの前で意図的じゃないにしても私は一成と手を繋いだ。
佐藤くんの心をえぐっていることに、目を逸らして平気な顔で佐藤くんに会っている。
私やっぱり、最低な人間なんだ。
すごく、あざとくて、すごく汚い女になってしまった。
苦しくて涙が止まらない。
私は一人の部屋に帰ることが出来なかった。
誰かと話したいと思っている。
こんな夜中にミヤビの部屋に向かう。
ミヤビと中山は相変わらず、同棲生活を続けている。
ミヤビと中山は長く生活をしている夫婦のような安定した関係だ。
中山はマンション管理会社に就職し、営業職をしている。
ミヤビは、相変わらず優しく何も言わない、中山の性格をよいことに専業主婦をしている。
専業主婦といっても、セカセカと主婦業をこなすわけでもなく、日中はネットやゲームをして過ごしていた。
結局、変わらないのはミヤビと中山の関係だった。
私が中山のいる時間帯にマンションに行くことは、かなり久しぶりのこと。
ミヤビとはラインや休日にカフェに行き、お互い愚痴や世間話をしている。
ミヤビと中山は夜十時過ぎているのに、心良く部屋に招いてくれたと、言うよりも私が部屋に来ることに、ただごとでは、ないと感じとり心配している。
正直、気遣いをしないミヤビが私の為に、珈琲を入れて、お茶菓子まで用意してくれている。
普段なら「適当に何か飲んで」と言うくせに今日は優しい。
中山まで妙に、かしこまっている。
そんな二人を見ていると私は数時間前の感情が少し落ち着いてきた。
そして私は、はじめてミヤビと中山の前で泣いていた。
佐藤くんの前で、抑えていた感情があふれでてきた。
やっぱり友達を前にすると溢れてくる。
ミヤビと中山が普段よりも優しいから私は弱さをさらけだしていた。
緊張のイトが途切れたように私は疲れていた。
ミヤビと中山を前に私は、佐藤くんがロサンゼルスから戻ってきたことも偶然再会をしたこと。
そして、今日の佐藤くんとの出来事、全てを話した。
子供のように泣きじゃくりながら話す私にミヤビと中山は聞いていた。
ミヤビと中山は佐藤くんが戻ってきたことに驚き、私と佐藤くんの展開に声をだしては、溜息をこぼし、喜怒哀楽な反応だ。
そして中山は言った。
「佐藤さん、ヒドすぎる。
まぁ、佐藤さんらしいと、言えば、
佐藤さんらしい態度だけど、机を蹴るって、そんなに感情的になるんだ?
オレ、あの人がキレたところ、見たことないし、想像しただけで、怖い、、目つき悪いし」
ミヤビも、中山の言葉に頷きながらも
本質をついてきた。
「でもさぁ、、
なんで、、会いに行ったの?佐藤さんのところに、わざわざ、サキから会いに行くことは、やっぱり一成さんより好きってことでしょ?」
中山は、確信をついてくるミヤビの言葉に空気を読めといわんばかりに「ミヤビ、」と名前を呼んだ。
たしかにミヤビの言う通りだ。
私の中で痛いところをつかれている。
私は本音で話はじめた。
「ミヤビの言う通り、私は佐藤くんのことが好きなんだよね。
佐藤くんに会ったら、やっぱり、、
気持ちが佐藤くんに行ってしまう。
だから、会わなくても良いのに、自分から、会いに行ってしまった。」
落ち込んでいる私に中山は、気をつかっているように話した。
「でも、佐藤さん、仕事で忙しかったから、メールできないって、自分が「待ってて」とか、言っていたわけじゃん?
それで、その対応は勝手すぎるよ。
しかも、そこまで怒るって。
本当に女と少し遊んでたんじゃない?本質、マジメだから確信つかれたから、キレたりしたんじゃない?
じゃなきゃ、逆ギレでしょ。
そこまで、、オンナのコを前に」
中山は私に気を使っているのだろう。
私をフォローしてくれるような言葉をかけてくれる。
きっと中山は女性にキレたりしない。
優しい男だと思う。
だからミヤビは居心地が良いのだ。
しかしミヤビは中山に説教をしていた。
「あんたじゃないんだから!佐藤さんは、女と遊んだりしないわよ。」
中山はミヤビに怒られながらも舌を出しておちゃらけている。
そんな中山を横目にミヤビは私に言ってきた。
「でも中山の言うように佐藤さん、自分勝手というか、自分本意なとこあるよね、かなりね。
だけどさ、
メールと滞ったことに理由はあると思うよ、本当に忙しくて、余裕なくて、大変だったんだと私は思うけどね。
でもさ、お互い会えない関係だと少しのズレが悪い方向に考えてしまうものだし、会えたり話せれば誤解だと、わかることでもね。
会えない関係だと誤解が誤解を生んで溝は広がって行く。
悪い方向に、だから遠距離恋愛って難しくて壊れて行くんじゃないの?」
ミヤビは、いつになく真面目に私に語りかける。
ミヤビは働くことが嫌いで仕事をしても長続きしないし、仕事も中途半端。
最初だけ、愛敬をふりまいてネコをかぶって手のひらを反す。
ずるいところばかり目につくけど。
でも、ここぞという時に胸にキュン言葉を言い、語りかける。
だから私は結局、ミヤビと長いこと友達関係なんだ。
そして中山も、そんなミヤビの良いところを知っているから今も二人で暮らしている。
お調子者の中山はミヤビの言葉に感心して、時折ミヤビをちゃかしている。
ミヤビは中山の行動に、ふてくされながらも、笑顔でそんな二人は、どん底にいる私には、いちゃついているようにしか感じない。
やっぱりは、二人は、お似合いで、うらやましいと感じた。
私はイチャついている二人に少し元気をもらえた。
ミヤビと中山のマンションを出たワタシは、自分の部屋に向かっていた。
ミヤビが真面目な顔で私に言った。
私の背中を押している。
「佐藤さん好きなら、もう、とことん行くしかないよ。
ケンカしても、嫌われようが、冷たい態度されてもさ、サキが納得するまで、佐藤さんに、ぶつかって行くしかないでしょ。
サキ、今の仕事してからサキらしさ、ないじゃん。
笑顔が少なくなってきたよ。
サキらしさ、取り戻さなきゃ。
やるだけのこと、やらなきゃ!ここで諦めたらサキっぽくないよ」
ひとり夜道をあるきながら、考えてみた。
ワタシらしく生きること。
佐藤くんと出会った頃は、消極的ながら、貪欲なところがあった。
佐藤くんと、もっと話したい、仲良くなりたいと思えば、突発的でも、行動を起こしていたはず。
佐藤くんに刺激を受けて、忘れていた夢を思い出して動きはじめていた。
短絡的かもしれない。
でも、すぐに相手に染まることも自分らしさの一つ。
今の私は中途半端でしかない。
言いたいことも、納得いかないことも、
妥協して生きている。
すべてが納得いかない。
やっぱり私は貪欲に自分勝手でも佐藤に恋をしている。
好きで好きで仕方ない私に戻っている。
再会してしまったんだもの。
偶然でも、また佐藤くんに出会った。
偶然じゃない。
きっと、運命が導いたはず。
一度、蘇ってしまった感情を抑えることなんて出来るわけがない。
それが私だ。
私は、どんなに冷たくされても佐藤くんが好きなんだ。
佐藤くんに冷たくされること、ずっと前に経験している。
愛想なくて、愛想笑いのヒトツもしてくれないサトウくんに恋をしていた。
だから、やっぱり、キライになれない。
私は久しぶりに一成にラインをして土曜日、誘った。
一成と社内では、忙しさもあり、業務的な会話しかしてない。
一成は感が良い男だ。
きっと私が何を考えているか、読み取っている。
今日のデートもグルメな一成と、何度も訪れたイタリア料理店だ。
たくさんの思い出を作った場所で夜景がきれいな場所でもある。
私は一成と楽しい時を刻んだ場所だ。
久しぶりに二人で食事をして、お台場公園を二人で歩く。
ワインでほてった身体に夏の夜風が心地良い。
一成は私が言おうとすることがわかっているように一成から言葉をかけた。
「話したいこと、あるんだろう?
分かるよ。
会社も今月で退社するって課長から聞いたし、
サキ、演技するの下手過ぎて何を考えているのか察知できちゃうんだよね。
オレと別れたいんだろう?
こんなことなら、整備工場に連れて行かなきゃ良かったな」
寂しげに笑うと、大きな溜息をついて一成は言った。
私は、ベンチに座り、お台場の夜景を眺めている一成の顔を見た。
まさか、一成が佐藤くんと私の関係を知っていたことに驚いた。
「えっ?どうして?分かっていたの?」
一成はクスッと笑いながら言う。
「わかるよ、二人とも演技下手すぎて。
ぎこちないほど、目も合わせないしさ。
えっ!?まさか?って感じだった。
オレ、前にサキから、ロサンゼルスに彼氏が行ったこと聞いていたしさ。
あっ、このヒト?って、直感的に思ったし、初対面同士の対応じゃないでしょ」
私は全てお見通しの一成に溜息を零した。
「そう、バレバレだったんだね、」
一成は、私をチラッと見て言った。
「だから、わざと手を繋いでやったんだけどね、無駄だったね。」
そして一成は話を続けた。
「嫉妬心だして情けないな、オレ。
そりゃ大好きだった男が目の前に突然戻ってきてさ、
関係ないなんて、思えるわけない、
辛いと思うよ。
あの頃は、良い思い出です!なんて思えないでしょ。」
一成は座っていたベンチから立ち上がり背筋をのばして、振り返りワタシに笑みを見せた。
「いいよ!アイツのことが忘れられないんだろ?
オレからサキを振ってやるから。
最後くらいは、カッコをつけさせてくれ。
ふられるのしゃくだからさ」
じゃあな!
今まで、ありがとうな!」
一成は、手を軽くあげて、一人、駅の方向に歩いて行った。
一成は最後の最後まで私に優しく涼しい顔をしてクールにさよならをした。
愛想笑いをつくり、私を傷つけずに別れをつげた。
それでも優しく冷静な一成よりも私はは愛想なしで冷たい佐藤くんを愛して、佐藤くんを選んだ。
佐藤くんに「帰れ」と言われても佐藤くんを選ぶなんて私は本当に佐藤くんが好きなんだ。
佐藤くんと出会った頃の記憶や思い出が私に佐藤くんとの楽しい思い出だけを残す。
つらい思い出なんか、なにひとつないように。
思い出は都合良く色を変える。
取り繕い繋ぎ止めていたイラストレーターの仕事も辞める決断をした。
それは職場で一成と会うことが気まずいからではない。
一成は、むしろ何もなかったように私に接してくれている。
私は夢だったイラストレーターの仕事が合っていない。
そう感じながら仕事をしている。
夢だった、夢を叶えたと、自分自身に言い聞かせて今まで、働いてきた。
だけど、理想と現実の差を知り、それでも、それが仕事と納得して、受け入れてきたけど、限界を感じていた。
いつからか、自分らしさをなくして、
声も小さくなって、笑顔よりも、ため息の数が増えていた。
とても疲れてしまった。
きっと仕事に負けない佐藤くんからしたら、また中途半端と呆れられるだろう。
でも私は私なりに頑張って、やり遂げた気がする。
佐藤くんが受け入れてくれなくても、
自分自身の気持ちは、全て伝えようと思っていた。
佐藤くんと、出会った頃より私は、少し大人になり、その分、図々しくなり度胸もついている。
それだけは自分自身を褒めてあげたい。
佐藤くんと最悪の展開、あの日から、ちょうど、一カ月が過ぎて夏の終わりを感じる季節。
最後の仕事を終えた金曜日の夜七時。
柔らかな南風が吹いている。
夜空は深い紺色に染めはじめていた。
夏も終わり秋が近ずいている。
日が落ちるのも早くなる。
私は倉庫街を再び歩いている。
でも正直怖い。
不安で今にも泣き出しそうな私がいる。
佐藤くんの冷たさを感じた日を思い出すと、佐藤くんは受け入れてくれるのだろうか?いや、受け入れてくれない確率のほうが高い。
「帰れよ、」
たった四文字の言葉で人間の心はズタズタに砕かれる。
いきなり門前払いをされるかもしれない。
ネガティブなことばかり、考えている。
佐藤くんがいるであろう竹芝ベースの看板が見える。
半分降りたシャッターから光がもれている。
佐藤くんがいると思ったら私の足が止まっていた。
もう敷地内、目の前にいるのに、あと、一歩が出ない。
私は大きなため息をこぼし、大きく深呼吸をした。
大きく深呼吸をしないと私の心臓は、止まりそうだった。
竹芝ベースの敷地内を前に立ち止まり、
私は不審者のように何度も深呼吸している。
そんなときだった。
「何してんの?」
私の背後から、つなぎを着た佐藤くんが声をかける。
私は驚き、慌てて振り返った。
「えっ!?佐藤くんこそ、びっくりした!!ど、ど、どうして?」
佐藤くんは、慌てることもなく冷静に
「だって、ココ俺の家だし、コンビニに買い物行ってきた」
佐藤くんの手には、コンビニの袋。
その中には、大きなコッペバンとアクエリアス、そして、缶珈琲とラークマイルド」
あの頃と相変わらず変わらない顔ぶれ。
黒色の繋ぎの袖を腰に巻き付けてTシャツ姿の佐藤くんは、華奢で細いのに色黒の腕は筋肉がついていて、オイルの汚れがついたまま。
あの頃と、変わらない右耳だけ金のピアスをしている。
私達、また、出会った頃のニ人に戻れるよね?私の心では声に出せない言葉が呟いている。
夜七時、夕暮れ過ぎ薄暗く静かな庫街に竹芝ふ頭で打ちあがる花火の音が聞こえてきた。
佐藤くんは、遠くを見つめながら呟いた。
「今日、竹芝ふ頭で花火大会だったな。オレの部屋で見る?」
私は、佐藤くんの横顔を見つめて、ヒトリゴトのように呟く言葉に大きく返事をした。
「うん」
事務所を通り、細い階段をあがると、二階は、佐藤くんが寝泊まりしている住居部分になっている。
家具も少なく簡素なフローリングの部屋は、窓の横にシングルベットと、テレビ、小さなキッチン、ニ人がけのテーブルにイスがニつある。
そしてカラーボックスが数個おいてある程度だった。
佐藤くんが寝るだけの部屋は、少し寂しく感じた。
室内の電気も蛍光灯で寒々しく味気ないけれど、薄暗い蛍光灯が花火鑑賞に最高なムードを高めてくれる。
佐藤くんは窓を全開にして窓枠の部分に手をかけて言う。
「ほら、よく見えるでしょ?花火。
混雑した場所に行かなくても、ココなら特等席だから」
佐藤くんは、打ち上げ花火をまっすぐ見ていた。
私も佐藤くんと同じく窓枠に腰を少しおろして花火を見つめた。
佐藤くんは買ってきたばかりのタバコを一本クチに加えて吸いはじめる。
窓を全開にした窓枠に、ふたり、腰をおろして打ちあがる花火を見つめる。
けして広い空間ではない。
ふたりでななめに腰をかけて、多少の隙間ができる空間だった。
近い距離感が私と佐藤くんの心を近づけてくれるような気がしている。
佐藤くんは、タバコを吸ったまま、花火を見つめて呟いた。
「この前、ごめん、ちょっとイライラしてて、完全、やつあたりしていた」
私の目を見ないで謝る佐藤くんは素直になれないながらも素直だ。
私は佐藤くんを見つめて謝った。
「うんん、私が悪かったの。
ごめんなさい。
佐藤くんの気持ちも考えないで、ただ会いたくて突発的に来ちゃったから」
佐藤くんは、やっと私の目を見つめた。
「あれ?ピアスしてんじゃん」
私の右耳に目をむけて言った。
私は、ふさがってしまったピアス穴を再度、開けてきた。
そして佐藤くんと出会った頃につけていた金色のフープピアスを付けた。
佐藤くんと勝手にお揃いにしたくて購入した金色のピアス。
私は少しテレたように笑って言った。
「また、病院で開けてもらった。
あの頃みたいに、お揃いにしたくて」

佐藤くんは、クスッと笑っていた。
「やっぱり、マネをしていたんだ、あの頃も、怪しいと思っていたけど」
私と佐藤くんは目を合せたまま、話を続けていた。
「私、今日が職場、最後で退職したの、
彼氏とも別れた」
佐藤くんは驚いていた。
「えっ?!仕事も辞めちゃったの?夢、叶えたのに、何で辞めちゃったの?
彼氏と同じ職場だと、やっぱり働きにくいから?」
私は、顔を横に振って答えた。
「違う、彼氏は全く関係ない。
私には無理だったの。
ずっと頑張ってやってきたつもりだったけど、合っていなくて、私、居場所がなかった。
それでも、自分なりに五年、頑張ってきたつもりだけどね。
でも、それは、つもりかもしれないけれど」
佐藤くんは私をを見つめて言った。
「つもりじゃないよ。
頑張ってきたんでしょ?なら、頑張ってきたんだよ。
自分で頑張ったと思えば、それでいいんだよ」
窓から見える花火は、、
メインとなる大玉を打ちあげていた。
ドーンと大きな音を響かせる。
日は暮れて漆黒色に空を染めた。
私は佐藤くんに言った。
「私、ここのアルバイトを応募しても良いかな?迷惑?」
佐藤くんと初めて再会した日に事務スタッフ募集の貼り紙が私の目に止まった。
まだ貼り紙は剥がされていなかった。
佐藤くんはクスッと笑って答えた。
「え?事務のバイトだよ?まぁ、バイト募集きてないし、
迷惑じゃないよ、嬉しいけど。
でも時給良くないよ?それにオレ、人使いが荒いよ。」
私は黙って笑顔で頷いた。
佐藤くんは立ち上がり吸っていたタバコをテーブルの上に置いてある灰皿に置き消した。
そして私に近づき言った。
「でも、面接は、するよ?」
至近距離、窓枠に手をかけて、接近して、真顔でつぶやいた佐藤くんに私は動揺しつつ、ゆっくり頷いた。
「もちろん、り、履歴書、書いてくる」
佐藤くんは更に顔を近づけて私にキスをした。
出会った頃よりも、濃厚な甘くとろけるようなキスをかわす。
それは、会えない時間をうめるように。
私と佐藤くんは官能的な口づけを交わした。
そして佐藤くんは唇を離すと私を見つめて言った。
「履歴書は必要ない。
面接は、オレと相性が合うか?それだけ」
打ち上げ花火の音も、気づかないうちに、、聞こえなくなっていた。
夏も終わり、、
聞こえてくる音は、静かな鈴虫の音色。
窓から見える風景は味気ない殺風景。
高い建物もなく広がる平地。
ひとつになり 重なり合う私達を見つめているもの、それは月明り。
薄暗い部屋を月明りだけが黙って照らしている。
私は佐藤くんの華奢な身体に抱きつき佐藤くんを感じている。
それは微熱のような甘く酔う時間。
華奢なのに、ほどよく筋肉がついている二の腕と肩甲骨に男らしさを感じていた。
佐藤くんの少し冷たくて、なやましい視線に見つめられると余計に感じる。
暗闇の中で息を潜めている黒ヒョウのような視線に。
二人が動くたびにきしむシングルベッドで私達は隙間を埋めるように、ひとつになり愛し合あった。
佐藤くんの胸に抱き寄せられている。
佐藤くんは私の髪を優しく触れながら
「事務、バイトじゃなくて、永久就職になるけど、覚悟ある?」
私は顔をあげて佐藤くんを見つめて言った。
「それって、採用されたってこと?」
佐藤くんはクスッと笑った。
「あたりまえじゃん、落とす理由がないでしょ。」
私は再び佐藤くんの胸に顔を埋めて、つよく抱きついた。
「絶対に、離れないからね。ずっとココにいるからね」
互いの肌と肌が密着して甘い余韻をかんじている。
私は佐藤くんに聞いた。
「なんで、この場所で整備工場やろうと思ったの?それに、すごくおしゃれ」
佐藤くんは私を抱きしめながら答えた。
「ここの場所、ガソリンスタンドの跡地なんだ。
以前、お世話になったスタンドのオーナーが、この跡地を紹介してくれて今でもイマでも修理客やカスタム希望者とか、紹介してくれている。
内装とかは、アメリカのショップをマネした感じかな。
クソ忙しくて毎日、大変だったけど、オレみたいに素人見習いに、ちゃんと仕事したぶんの報酬は、くれたし、技術的なことだけじゃなく、色々なこと、勉強させてもらったね、俺、恵まれているなって思う。
結局、色々な人に世話になって、今がある訳だし」
佐藤くんは私の目を見つめたまま
「サキとも出会えたし。
それが一番、オレにとって恵まれていることかな。
一緒にアメリカに行こうか?
今度は、仕事じゃなく新婚旅行で。」
佐藤くんは、いつになく優しい目線で、私を見つめて再びキスをした。
私は佐藤くんを見つめて笑顔で頷いた。
甘い甘い時間。
とろけるような甘い夜は終らない。
ガソリンスタンドの佐藤くん。
佐藤くんは、あいもかわらずカッコ良くて、私は、あいもかわらずに佐藤くんを愛している。
これからも、ずっとその先も、きっと私達の物語は終わらない。




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