誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
 *



 病院の最寄り駅に到着し、家へと向かう電車に揺られながらじっと乗客を眺めていた。
 多くの人がお休みだった土曜、都心方面から下る車内には幸せな人種が詰まっていた。
 ブランドものらしい服のショッパーを掲げた女の子たちに、野球の応援グッズを身につけたまま騒いでいる男の子たち。キャリーケースを片手に肩を寄せ合って寝込んでいる男女もいる。
 羨ましいな、と思う。
 休日を一緒に過ごす相手がいるということ。
 本当は、私もそういう人間になりたかった。休日に友達と疲れ果てるまで遊んで、笑い合いながら電車に揺られてみたかった。
 恋人は……別にいなくてもいいけれど、いたらいたで、とても幸せなのだろう。
 でも、人と関わるということは、摩擦も起きるから。
 私を好きな人ばかりじゃない、嫌いな人もこの世にはいるから。
 だから今、私は一人の世界を選んでいる。
 私はいつも、ないものねだりで。
 ……友達や恋人なんて、羨ましがる資格はない。
 また電源を落としたスマホを握りしめ、煌々とした車内の蛍光灯を見上げていた。
 明るい、光。
 植村くんの髪の毛みたい。
 私とは正反対の見た目に性格。自分勝手でいつもイライラされっぱなしだったけど、私をどんな時もまっすぐ見ていてくれたこと、本当にうれしかった。
 でも……。
 やっぱり、植村くんとはもう会わない。
 もう、植村くんに迷惑はかけられない。
 すでに迷惑はかけっぱなしだし。土日の調査に、一週間の謹慎。
 お母さんと、同じ。
 大事な人だからこそ、守りたいと思うんだ。
 アナウンスが流れ、次の駅の名前が呼ばれた。
 たくさんの人が住むベッドタウンなのか、乗客がどんどん降りていく。ふと、このまま帰ったらきっと植村くんと鉢合わせてしまうであろうことを思い出す。
 閉じかけた扉に滑り込み、私は駅を降りた。
 はじめて訪れる、他人の顔をした小さなホーム。
 壁沿いに並ぶ、やさしい丸みのついたベンチに腰をかけた。私の住む街の駅や、学校の最寄り駅なんかよりもきれいでセンスがある。
 でも、目の前に反対方向へと向かうホームがあるのは同じで、こうして死んだ目をして座っているとまた植村くんがやってくるような気がした。

〝——ひでーなぁ〟

 あの時は、最悪だった。
 ダサい。アホ。
 初対面の人にそんなふうに罵られて、久しぶりに腹がたった。なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないの、何も知らないくせに……って。
 でも……多田さんにも今までたくさんひどいことを言われてきたのに、初対面の植村くんに怒りを感じたのは。
 やっぱり彼の行動が、私を気にかけてくれるものだったからなのだろう。
 誰も私のことなんか見ていない。
 誰も私のことなんか気づかない——そう思っていた世界の中で、植村くんがただ一人、駆け寄ってきてくれたから。
 どんなにトゲのある言葉でも、そのすべてが私のことを見て、私のことを考えてくれた言葉だったから。
 だから私も、心を隠さず、自分の感情を曝け出すことができたのだと思う。
 そんな人に、またいつか出会えるだろうか。
 お母さん以外で、心を開ける人。すぐ閉じてしまう私の心を、勢いでこじ開けてくれるような人。
 そんな人、もう現れないかな……。
 膝の上に乗せたスマホに触れ、電源を入れた。
 じれったいくらいゆっくりと動き出す画面。ロゴがふわりと中央に現れて、パスコードを入れるとようやく目を覚ます。
 その瞬間、スマホごと揺るがす勢いで着信音が鳴った。
 画面を見なくてもわかる。こんな夜更けに躊躇なく電話をかけてくる人。
 文字の打ち方もわからない、どこまでも不器用な人。
 応答ボタンを押すと、名前も名乗らず、いきなり問いただす声が響いた。

「今どこ!」

 昨日の夕方聞いたばかりの声。なのに、どことなく懐かしく感じる。
 怒っている彼と、妙に落ち着いている自分。
 電波越しの温度差に、なんだか笑いそうになる。

「……遠いところ」
「ふざけんな! あと十五分でお前んちの駅前まで来い!」
「無理だよ。ここからそこまであと一時間はかかるから」
「……迎えにいくから!」

 ホームの時計を見ると、二十三時四十五分を回っていた。
 迎えに来たって、一時間の距離じゃもう間に合わないじゃない。
 なのに最後まで粘ろうとする、植村くんの気持ちに何かが込み上げてくる。
 あったかい、やさしい気持ち。

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