面倒な恋人


これでもかというほど早く下着と服を身に着けて、バッグを掴んで靴を手にする。
そろそろと裸足でカーペットの上を歩き、ドアの所まで移動した。
なぜ素足かというと、ストッキングが破れていたのだ。もちろん、バッグに入れて回収している。

ゆっくりとドアを開け、身体を滑らせるように廊下に出てから慎重に閉める。

(音がしなくて助かった!)

ここまで、ほとんど息を止めた状態だった。
深呼吸してから廊下で靴を履いて、一目散にエレベーターホールに走った。

(起きてないよね。追いかけてこないよね)

昨夜、唯仁とお酒を飲んだホテルだというのはわかったが、どうやってこの部屋まできたのかは思い出せない。
エレベーターがチンと音をたてたと思ったら、目の前の扉が開いた。
すぐに乗り込んで、閉まるボタンをカチャカチャ押しまくる。

エレベーターは奥の一面だけは鏡張りだったから、サッと髪を直し滲んだアイラインを指先で拭う。
想像したより、酷くない。これなら顔を見られても誤魔化せるだろう。

(家に帰らなくちゃ)

ここから逃げたい。ここから消え去りたい。

着換えてから仕事に行かないと、休むわけにはいかない。一応、小学校の教師なのだ。

(ああ、教師が朝帰りとか……カンベンして)

ホテルからタクシーに乗るのがはばかられて、私は早朝の街を歩いた。
そして少し離れた場所からタクシーに乗ったのだ。

朝早かったおかげで、二十分もかからずにマンションの近くにタクシーが着いた。
少し離れたコンビニの駐車場に停めてもらい、車から降りる。

こんな時間にマンション前にタクシーで乗りつけたら、朝帰りだと宣言するようなものだ。
店の中に入って、二日酔いに効果のありそうな果汁百パーセントのジュースを買った。

(誰にも会いませんように)

ビクビクしながら、なんとかマンションの五階にある自分の部屋に駆け込んだ。
そして間抜けなことに、やっと今日は仕事に行かなくてよかったことに気がついたのだ。

(今日は土曜日じゃない!)

学校は休みだし行事もないから、わざわざ出勤しなくていい。
そんなことに気が回らないくらい、気持ちが動転していたようだ。

(どうしちゃったんだろう、私)

へなへなと廊下に座り込むと、もう動く気力もなかった。
シャワーを浴びたいが、力尽きた。

(寝よう……)

服がシワクチャになってもいい、メイクだって落とさなくていい。
今はとにかく忘れたい。

這うようにしてベッドルームにいって、布団に潜り込む。
無理やり目を閉じてから(次に起きたら子どもの頃に戻っていればいいのに)とファンタジーによくある設定を思い浮かべた。

自分のバカさかげんに嫌気がさす。
初めての相手が唯仁だという事実に叫びだしそうになったけど、唇をかんで声を出すのをこらえる。

どんなに後悔したって、愛されていない人に身体を開いてしまったのだから。

『人の嫌がることをしてはいけません』
『誰かのせいにしてはいけません』

眠ろうとする私の頭の中は、幼い頃に母がいつも言っていた言葉がリフレインする。

浅い眠りの中で、私は唯仁との思い出を辿った。






< 10 / 58 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop