円満夫婦ではなかったので
「私が事故で記憶喪失だったことはご存じですよね。先日記憶が戻りました」
園香が冷ややかに言うと、名木沢の顔に驚愕が走る。
瑞記から希咲経由で話を聞いているかもしれないと考えたが、そうではないようだ。
「……そうか」
名木沢が呟いた。表面上は早くも冷静さを取り戻したように見えるが、内心は分からない。
「私にとってあなたは信用出来ない人です。今後、私に関わらないでください。もし仕事で用があるのだとしても他の社員が担当します」
拒絶の気持を隠さず突き放す。かなり冷たく感じが悪い態度だが、園香としては、罵倒しないだけでも我慢しているのだ。
「では失礼します」
名木沢は返事をしていないが、園香は返事を待たずにその場を立ち去ろうとする。彼の前と足早に通り去ろうとしたとき、突然右腕の手首を掴まれた。
「待ってくれ!」
「ちょっと、何するんですか!」
園香は思いきり手を振り払い、名木沢を睨みつけた。
「わ、悪い。引き留めたくて手を掴んでしまったが乱暴だった」
「引き留めるってどうしてですか? 話すことなんてありませんけど」
園香は素早く周囲に視線を巡らせる。それなりに人どおりがあるから、名木沢も強引なことは出来ないだろう。
「誤解しているようだが、俺は君に対して悪意は一切ない」
「そうは思えませんけど。この前だって私が本当に記憶喪失なのか確かめに来たんでしょう?」
「ああ、その通りだ」
名木沢はためらわずに頷いた。
「やっぱり。少し観察して本当に記憶喪失だと判断したから、私を騙して初対面のふりをしたんですよね?」
「騙して?」
園香の言葉に、名木沢は戸惑っているようだった。
「そうでしょう? あまりに私のことを馬鹿にしていると思いますけど。はっきり言って不愉快です」
「どうしてそう受け取るんだ? たしかに俺は君の様子を確認するために、用事をつくって会いにきた。もし記憶が正常なら話したいことが有ったからだ。だが君は噂通りの状態だった。だから何も言わずに帰った」
名木沢の口調は頑固な子供に根気よく言い聞かせるようなゆっくりしたものだ。
そんな対応すら馬鹿にされたような気がしてカチンと来たが、彼の言い分も理解出来た。
彬人だって、真実を話せずにいたのだから。