真夏の夜の夢子ちゃん
「俺、藤田洸平(ふじたこうへい)。S市に住んでるんだけど、この町にじいちゃんの家があって、夏休みになると遊びに来るんだ。」

「きみは…。」
この町に住んでるの?
名前は何ていうの?

そう聞こうと洸平は目の前にいる女の子を見て、言葉を飲み込んだ。
蛍の光が舞う様子を見つめる女の子の横顔が、あまりにも綺麗だったから。

不規則に光る蛍が、少し微笑む女の子の額や頬ををぽうっと照らす。洸平はその横顔をじっと見つめた。

惹き込まれる…。
そんな感覚。
見惚れるというのはこういうことなのかな、と思った。
聞きたいことはたくさんあるのに、言葉を発することがためらわれる。

するとその時、女の子が「あっ…」と声を出した。
その視線の先を辿ると、どういうわけか蛍の光が一つずつ消えていく。次第に暗闇が広がる。
うるさいくらいに鳴いていた虫の声も気づけば聞こえなくなっていた。

静かな暗闇。
何だか怖い。

ぽつんと洸平の頬に冷たいものが当たった。ぽつんと鼻の頭にも当たる。

…雨だ。

ぽつん、ぽつんと降り始めた雨はすぐに大降りになった。
確か、土手の上の道に屋根付きのバス停があったはず。
「雨宿りしなきゃ。行こう。」
洸平は女の子の腕を掴むと走り出した。

浴衣の袖の上から掴んだ腕はものすごく細くて、力を入れたら折れてしまうんじゃないかと思うくらいだった。
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