エリート御曹司に愛で尽くされる懐妊政略婚~今宵、私はあなたのものになる~
 あのころ見ていた風景と同じような景色、しかし隣には菜摘はいなかった。どこにいても彼女の影を探し、苦しくなる。

 しかし彼女はもっと苦しい思いをしたのだと思うと、つらいと思うことさえおこがましい。

 ひとりカフェテリアでたたずんでいるとスマートフォンが震えているのに気が付いた。画面を見ると公衆電話からだ。

(今時公衆電話?)

 そう思った瞬間、相手が誰だかすぐにわかった。急がないといけないのに、緊張して通話ボタンを押す手が震える。

「もしもし―ー」

 応答したが相手は無言だった。相手の反応を待たずに、相手に声をかける。

「もしもし、菜摘?」

『あっ――』

「待って切らないでくれ。そのまま何も話さなくていいから俺の話を聞いてくれ」

 すがるような気持ちだった。半年間どこを探しても居場所がわからず連絡もとれなかった彼女が電話の向こうにいるのだ。

 顔が見られなくても、声が聴けなくてもそれでもよかった。ただ彼女の存在を感じられればそれでよかったのだ。

 菜摘は清貴の求め通りに電話を切らずにいた。しかし向こうから何かを話す様子もなかった。清貴は必死になって自分の思いを伝える。

「菜摘、今日が結婚記念日だって覚えていてくれたんだな。ありがとう」

『……っう』

 電話の向こうから声にならない声が聞こえてくる。彼女がちゃんと話を聞いてくれているだけでよかった。

「離婚届のことだけど、俺は出すつもりはない。だからこれからお前がどんなに隠れていようともずっと俺たちは夫婦だ」

『でも――』

 何か話そうとしたが途中で止ってしまった。それでもいい、今は自分の思いを伝えたい。

「菜摘、会いたい。会って抱きしめたい」

 心からの言葉だった。苦しくて切なくてどうにかなりそうだ。

『清貴』

 実に半年ぶりに名前を呼ばれただけで、清貴のスマートフォンを持つ手が震え目頭が熱くなる。

 まだこんなにも彼女を愛していると自覚する。

 そのとき電話の向こうから、駅のアナウンスが聞こえた。その途端「あっ」と小さく声を上げた菜摘によって電話が切られた。

「菜摘、待て! 菜摘っ」

 叫んだところですでに通話は切れていた。

「クソっ」

 思わずスマートフォンをテーブルにたたきつけそうになって、とどまった。これが壊れれば菜摘と連絡が取れなくなってしまう。

(冷静になれ、冷静に。菜摘から電話があったってことはまだあきらめなくていいってことだ)
 自分の都合のいいように解釈している自覚はある。しかしそうでもしないとおかしくなってしまいそうだ。

 目をつむり会話を思い出す。

「しま、広島……広島にいるのか?」

 親戚や友人などの伝手はすでに探している。その中に広島などなかったはずだ。そのときになって重大な人物をひとり忘れていたのに気が付いた。

 清貴はそれを確かめるべく、メールの受信フォルダを開いた。
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