湖面に写る月の環

37

小説にするには、少し自我が強すぎるというか。僕の知っている“人間”の行動を一切してくれないから、毎度毎度戸惑ってしまう。しかもそれが突拍子もない事ばかりだから、面白がる時間もなく、僕はただただ振り回されてしまっている。
「……小説、か」
僕は自身の右手を見つめて、目を細めた。いつもインクの付着した指先。中指にはぼっこりと出たペンだこがあり、爪には取れないインクがこびりついていた。……お金のない僕には無理だとわかっているけれど、やはり捨てきれない夢に縋るように毎日のように握っているペンは、塗装が剥がれ落ちている。
「……はあ」
(僕も、アイツくらい堂々と出来ればいいんだろうか)
自身を神と言い、探偵と名乗る少年。キラキラと輝かしいまでの相貌を持っておきながら、周囲を憚らないその姿勢は一種の尊敬の念すら浮かんでくる。
(普通にしていれば、クラスの人気者だろうに)
明るく、前向きで何事にも真正面からチャレンジするその精神。困った人に手を差し伸べているのを、密かに何度か目撃もしている。
(落とし物なんて放っておけばいいのに)
そう思ったのは、数知れない。しかし、だからこそ彼は真っすぐ自分の言葉通りに生きられているのかもしれない。自分に言い訳も誤魔化しもしていないのだから。
「……情けないな」
年上だから、なんだ。先輩だからなんだ。彼に比べて、僕はこんなにもちっぽけで情けない。
ぐっと握りしめた手に、爪が食い込む。だが、手のひらに広がる痛みなんぞ、心の臓を貫くものに比べたら僅かなものだった。
「……帰ろう」
僕はゆっくりと呟いて、歩き出した。自分の足がどこか他人のもののように思える。どうしようもない現実に、僕は俯いている事しか出来なかった。
――そんな僕を待っていたのは、『招待状』と書かれた一通の手紙だった。


「招待状?」
「うん」
ちゅう秋の言葉に、僕はぺらりと持って来た紙を見せる。そこには僕の名前と『招待状』と書かれた文字だけが書かれていた。
「差出人は岡名さんかい?」
「そうみたい」
「みたい、って……直接貰ったわけじゃないのかい?」
怪訝そうな顔をする彼に、僕はあの時の事を掻い摘んで話した。彼の婚約者がいる大学に行ったこと。しかしそこには彼も依頼主もしなかったこと。そして帰ったらこの封筒がポストに直接入っていたこと。
「また探偵くんと一緒だったんだね。やっぱり仲いいじゃないか」
「そういう訳じゃないって。寧ろ連れ回されているって言って欲しい」
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