ビター・マリッジ
No her, No life.Ⅰ
資料確認がひと段落ついてから、秘書の遠山が淹れてくれたコーヒーに手を伸ばす。
少し酸味の強いコーヒーをゆっくりと飲みながらぼんやりと思い出していたのは、妻の梨々香のことだった。
それは、昨夜。俺が帰宅してすぐのこと。
玄関の鍵を開けると同時にリビングからパタパタと廊下を駆けてきた梨々香が、俺が脱いだスーツのジャケットを受け取って、腕の中にぎゅっと抱きしめた。
何気なく横目で見ていると、梨々香はジャケットにさり気なく鼻先をつけるようにして、そこについた匂いを確かめている。
さりげなさを装った彼女の行動に、俺は少し焦った。
以前、何も知らずに秘書の纏う香水の匂いをジャケットに移して帰り、梨々香に誤解を与えたという前科があるからだ。
「何か匂うか?」
眉を寄せながら訊ねると、梨々香が慌てたようにジャケットから顔を遠ざける。
「あ、いえ。なんとなくクセになってしまってるというか……」
困ったように眉尻を下げて笑う梨々香の顔を見て、真横に口を閉ざした俺の眉間が寄った。