ビター・マリッジ
「いや、それだとお前がギリギリになるだろ。昼休みに俺のオフィスに顔を出せるか?」
「え?」
会社への到着時間を逆算していた私の頭の中が、幸人さんからの提案で一瞬こんがらがった。
「俺が出向いてもいいが、あまり目立たないほうがいいんだろ?」
続けてそんなふうに声をかけられて、ますます混乱する。
私が今働いているのは、四ノ宮グループとは関係ない金融系の一般企業だ。
大学を卒業後、父が四ノ宮のグループ企業のひとつを私の就職先に斡旋しようとしとくれたのだが、私はそれを断った。
私には姉のほかに七つ上の兄がいて、将来的には兄が父の後に四ノ宮グループの代表になる。
父のコネで四ノ宮グループの企業に就職するよりも、自力で四ノ宮グループとは関係のない企業に入って社会人経験を積み、いつか機会があれば父や兄の役に立てるようになりたい。そう思ったから、私は自力で今の会社の経理部に入った。
そういう経緯もあって、私が旧財閥である四ノ宮グループの娘であることは職場には伏せている。
結婚したことは社内に報告しているが、それが企業利益目的の政略結婚で、相手が菅原工業の副社長であるなんてことは、社内の誰にも言っていない。
そんな私の職場での立場をはっきりと幸人さんに話したことはないはずなのに……
幸人さんがまるで私の事情を汲んだみたいな言い方をするから、ひどく動揺した。