最初から最後まで
 てのひらの中で暴れるそれを、どうしたものかと考えながら握りしめたそのとき。

「ハサン、なにやってんだ。それはおまえの餌になるというのに」

 大きな翼をはためかせた人物が、バルコニーに降り立つ。月明かりに照らされたから、そのシルエットがハッキリと浮かびあがった。

 頭には大きな角を生やし、僕と同じ浅黒い肌をしているからか、金髪がやけに目立つ。瞳は明るい茶色をしていたことと話しかけられた声で、覚えのあるそれに導かれるように話しかける。

「も、もしかしてあのときの男の子……」

「実際は、この姿をしていたんだがな」

 見る人によって変化するという言葉どおりの姿に、唖然としてしまった。胸の中にいるマリカを隠すように抱きしめる。

「ハサン、なぜその女の魂を手に持ってるんだ」

「それは……。なんとなくです」

「おまえが俺と同じ姿になったことで、餌も同じになったんだぞ」

「餌?」

 僕が首を傾げると、彼は嬉しそうにほほ笑む。

「俺たちの餌は、人間の魂さ。だがどんな人間でも善の心を持っているから、そこのブラックボックスにぶち込んで、善の心をなくしてもらうわけ」

 そう言った彼の足元に、ブラックボックスが現れた。腰を落として手を伸ばすと蓋が自動的に開き、無造作に中へ手を突っ込む。するとそこから、灰色になった玉が取り出された。

「これ、ヨダレが滴るほどに美味いぞ。その女の魂をさっさと手放して、おまえも味わってみろ」

 言いながら口にひょいと放り込む。茶色の瞳が赤く染まり、彼の持つ禍々しさが一層色濃くなった。だから自分がおこなっていたことがわかってしまった。

「僕は今まで貴方のために、人の命を奪っていたんですね?」

「俺は怠惰の悪魔さ。その女のように生命力のない人間なら、近づいただけで命を奪うことができる。だがそれ以外の大勢の人間の命を奪うのは、どう考えても疲れるだろ」

「生命力がない……。つまり僕の存在が、マリカを死なせた?」

 てのひらに感じるマリカの魂が、より一層暴れる。僕の手から逃れるように暴れる様子に、胸がキリキリ痛んだ。

「ハサンおまえは、俺の眷属になったんだからな。悪魔として、弱い人間を狩るのは当然のことだろう?」

 目の前が涙で滲む。僕が迎えに来なければ、マリカは死なずに済んだのに――。

「うわあぁあぁああっ!」

 手にしたマリカの魂を口に放り込む。そのことに迷いはなかった。

「おまえ、なにやって! その女の魂に、善の心がたんまり残ってるんだぞ!」

 マリカの心を示すようなあたたかみを感じる魂を、ゆっくり飲み込む。胸の辺りでそれは止まり、内側から燃えるような痛みを感じた。

「天使様、こんな僕に力を分け与えてくださり、ありがとうございました」

「俺は怠惰の悪魔だ、天使なんかじゃない」

 彼には否定されたが、首を横に振った。

「いいえ、僕にとって貴方は天使様です。天使の翼をいただくことを目標にした五年間で、いろんな夢を見させてもらいました」

「俺は自分で餌をとるのがめんどくさくて、おまえに嘘をつき、千人もの人間を殺させた。そんな悪魔が天使なんて……」

「ただのジュース売りの僕が、こうして彼女に逢えたのも、翼を得たおかげです。なにもしなければ、逢うことさえ叶わなかった」

 そして逢ったことで、結果的にマリカの命を奪ってしまった。それでも――。

「僕は貴方に感謝します」

 胸の熱が火傷のような痛みとなって全身に行き渡ると、足先から赤い砂と化していく。それが徐々にのぼっていくのを見てから、天使様に視線を注いだ。

「天使様、どうもありがとうございました!」

 天使様に向かってゆったりと頭を深く下げたのちに、マリカをベッドの上に横たえて、ほほ笑みをたたえる唇にキスをした。自分が消え去る前に、彼女を感じたかったから。

 マリカの冷たい唇を察知した刹那、目の前が真っ暗闇に包まれ、なにも見えなくなる。

 こうして僕は、この世から抹消された。全身に痛みを伴う苦痛は、大罪を犯した僕らしい死に方だろう。
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