最初から最後まで
「俺としては、涙目になったつもりはなかったんだけどな」

 学がなんの気なしに肩を竦めてみせると、美羽はうんと嫌そうな表情で告げる。

「しかも極めつけは、イケメンの顔を少しだけ歪ませながら小首を傾げて、天使の翼を可愛らしくパタパタさせつつ『大変かもしれないんですけど、1日だけお願いできますか? どうしてもその日美羽を育児から解放して、自分だけの時間を使ってほしいんです』って言われたら、お母さんだって用事があっても断れないでしょうよ」

「天使の翼は美穂おばさんと美羽にしか見えないものだけど、なんなんだろうな。不思議すぎる」

 顎に手を当てて考え込む学の背後に回り込んだ美羽は、スーツのジャケットを脱がそうと手を出した。

「ほらほら、さっさと脱いでお風呂に入っちゃって。片付かないんだから」

「あ、うん。ごめん」

 身重の美羽の手を煩わせないように、みずからジャケットを脱ぐと、手早くそれを奪取しハンガーにかける手際の良さに、学は惚れぼれとしながらネクタイを外す。

 美羽は次を寄こせと言わんばかりに、学に手を突きつけながら話を続けた。

「小さい頃から見えてたよ。学くんがものすごく喜んでるときとか、困り果てて私に頼み事するときに、天使の翼がぼんやり見えるの。きっと徳の高いなにかに守られているから、そういうのが見えるのかと思っていたんだけど、それが私とお母さんだけにしか見えないのも変な話よね」

 学が外したネクタイを奪うように手にして、ネクタイホルダーに引っかける美羽の背中を学は見つめる。自分が守らなければならない細い背中を見ているだけで、愛おしさが自然と募っていった。

「美羽は俺だけの天使だよ。美しい羽が名前についてるし」

「ちょっ、なにを言って――」

 振り返った美羽の頬が、ぶわっと赤く染まる。

「綺麗な天使様、いつまでも俺の傍で笑っていてください。それだけで俺は、どんなことでも頑張れます」

 わざわざ片膝をつき、片手を胸に当てて利き手を差し出す学に、美羽はひどく困り果てた。

「……学くん、私が妊娠中だから浮気してるのを隠すのに、そんな芝居がかったことをしてるんじゃないよね?」

 学が浮気なんてことをしないのがわかっているのに、普段言わない口説き文句を言ったせいで、美羽は思わず訊ねてしまった。

「残念ながら、浮気なんてする暇ないよ。社長の傍らにずっと付き添って、仕事を覚えるのに必死。なんなら美羽のお父さんに聞いてみてもいいくらい」

 ニッコリほほ笑んだ学の背中に天使の翼が現われ、大きくその翼をはためかせた。

「俺は美羽しか好きじゃないし、とにかく美羽が一番。美羽に捨てられたら、きっと死んでしまう。お願いだから信じて?」

 泣き落としにも似た学の雑な説得に、美羽は内心ゲンナリする。ゲンナリしつつも、隠し事のできない学らしさを感じたせいで、苦笑いを浮かべた。

「私も学パパがいなかったら、こんなふうに幸せを噛みしめることはできなかったよ。私と美咲とお腹のコのために、いつも遅くまでありがとう」

「俺は愛の告白をしてるのに、なんか違う感じじゃない?」

 美羽に差し出した手がひょろひょろおろされたと同時に、学の表情が曇っていく。

「日頃の感謝の気持ちを言っちゃダメなの?」

「ダメじゃないけどぉ。美羽の口から愛してるの言葉が聞きたかった……」

 片膝をついたまま、子どもっぽくむくれる学。天使の翼は学のテンションに合わせるように、今は見えない状態だった。

「しょぼりしてるトコ悪いんだけど、今の学くんではときめかないわ」

「なっ!?」

「今日ね、幼稚園の帰りにお散歩してるポメラニアンがいてね、私に激しく吠えたのよ。そしたら美咲が両手を広げて私の前に出て『ママ安心して、僕が守るから!』って言ってくれたのよぉ。小さいのに男らしくて、キュンキュンしたわ」

 美羽がそのときのことを思い出してニヤニヤする。学はそんな美羽の姿を見ながら、ポツリと呟いた。

「美咲まだ三歳児なのに、末恐ろしいコ……」

「なんか言った?」

「美羽はもう寝てていいよ。俺がお風呂掃除やっておくし! ついでになにかしてほしいことがあれば、遠慮なく言ってくれ!」

 勢いよく立ち上がり、自分の胸をバシバシ叩いて頼りがいのあるところをアピールする学に、美羽は吹き出しそうになったが――。

「ありがとう。さすが学くん、なにかあったら声をかけるね」

 平和な世に生まれ変わったふたりの結婚生活は、こうして末永く幸せに続くのであった。

〜Happy End〜

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