片恋慕夫婦〜お見合い婚でも愛してくれますか?〜
「職場まで……? それで、彼女は何て?」
「伊織さんと、別れてほしいって」
「は――」

 さすがの伊織さんも、白鷹さんの言動に驚きを隠せないようだ。
 だけど、問題はそこじゃなかった。

「……それから、伊織さんの弱みに付け込むのはやめろって言われちゃった」
「弱みって……」
「昨日、お母さんから全部聞いたの。昔のこと」

 その一言ですべてを悟ったのか、伊織さんは大きく目を見開く。

「ごめんね、私全然覚えてなくて……昔伊織さんと会ったことも、事故のことも。話を聞いてもまだぼんやりなんだ」
「……いや、仕方ないさ。そんな小さいころの話、記憶がなくて当たり前なんだ」

 確かにそうかもしれない。現に小さいころの記憶なんて、ほとんどが断片的なものなのだから。

「……でも、もし私が覚えてたら、伊織さんのこと苦しめずに済んだのかなって」
「苦しめる?」
「縁談も、伊織さんからの申し出だったって聞いたの。だから伊織さんが責任を感じて私と結婚しようとか――」
「違う」

 言い終える前に、伊織さんが言葉を遮る。彼にしては珍しく、強い口調だった。

「縁談を申し込んだのは確かにあの事故がきっかけだけど、それだけで緋真と結婚したわけじゃない。実際に緋真の両親からも、何度ももう時効だから気にしないでほしいって言われていたし、本当に形だけの縁談だったんだ」
「え? じゃあ、どうして……」
「単純な理由だよ。緋真と再会して、純粋に心惹かれたんだ。話をして緋真のことを知れば知るほどそう思い始めて……結婚してからだって、ますます惹かれてる」
「ほんと、に……?」
「事故のことは今でも申し訳ないと思ってる。でも、あの日あの場所で出会ったのが緋真でよかった。緋真じゃなかったら、こんな感情になんて――」

 伊織さんはそこまで話して言い淀む。
 そして、真剣な眼差しで私を真っ直ぐに射抜いた。

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