秋恋 〜愛し君へ〜
その日から過酷な日々が始まった。俺たちはまずバスボーイからのスタートだった。バスボーイとはいわゆる皿下げ専門、バッシング係りだ。これがまたかなりの肉体労働で、腕はパンパン足はガクガク、毎日全身筋肉痛だった。ほとんど裏方の俺はホールとキッチンとの連携ミス等による諍いに巻き込まれ、厨房から怒鳴られることも多々あった。息抜きであるはずの休憩時間も、飯を食う以外は先輩たちのお茶を入れたり制服をクリーニングに持っていったり常に働いていた。家に帰れば覚えなければならないことが山ほどあるし体重が1週間で5キロも減ってしまった。下っ端の俺には接客なんて程遠いものだった。
ついこの前までの俺なら逃げ出していたのかもしれない。でもそうしなかったのは、彼女にぶざまな姿だけは見せたくないそんな意地とプライドが原動力になっていたからだ。
日を追うごとに体も慣れ筋肉痛もなくなった。脳にも余裕ができ、面白いほどいろいろなことが頭に入ってきた。接客もさせてもらえるようになった。
ホールでの仕事の流れにある程度ついていけるようになった頃、俺は酔っ払い客に絡まれた。あまりにもわがままな態度に我慢ならず、つい舌打ちをしてしまったのだ。それを見逃すはずがない。お前なんかクビにしてやるとまで言われ、騒ぎになったことがある。その時の黒服は笠原さんだった。客に何度も頭を下げ、大事に至らずに済んだ。事務所に戻りすぐさま笠原さんに頭を下げた。絶対怒鳴られるそう構えていた俺に彼は穏やかに言った。
「失敗はしてもいい、その責任を取るために俺達黒服がいる。でも二度と同じ失敗はするな」
それは俺にとって斜め45度アッパーを食うよりも痛い言葉だった。自分自身の甘さと、それよりも何よりも、何の力もない俺の立場と彼女との距離を改めて思い知らされたからだった。
それからは失敗もなく、と言いたいところだが、何度か失敗はした。それでも彼女との距離を縮めるために、落ちこぼれることなく必死にやってきた。その間いろんなことを経験し、頭を下げると言う意味の重要性も学んだ。そして顧客も得ることができた。中でも、人生経験豊かな年配客をつかんだ時は本気で嬉しかった。

そして気がつけば4年目の春を迎えていた。
女5人はいつの間にか消え去り、残った同期は勇次と2人だけになっていた。俺の周りでは様々な変化が起こっていたのだ。
笠原さんは驚異的なスピードでキャプテン兼人のサブマネに昇格した。そして、俺たちの制服の肩にはラインが入った。シェフウエイターに昇格したのだ。昇格と同時に、勇次は最上階にあるフレンチレストランに異動となった。そこは男性スタッフばかりで、勇次は移動当日まで不平不満を行っていた。だが俺の逆玉のチャンスだなという言葉で心置きなく移動していったのだった。もちろん、冗談で言ったのだが。
勇次が抜けてしまった後すぐに、新入社員が加わり新年度がスタートした。でも彼女への思いは変わらない。俺の片思いは今も続いている。
俺は出会ってからずっと近くで彼女を見てきた。飲み会やカラオケ、ボーリングとか言った誘いを断った事はないし、後輩との会話でも、彼氏とかより今は仕事が楽しいからなんて言っていた。男影の匂いもせず、浮いた話もない。俺にもきっとチャンスがあるそう信じていた。
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