秋恋 〜愛し君へ〜
シンガポールでの生活が一ヶ月を過ぎた頃、ブラウン宅にお袋から電話がかかってきた。
日本を発ってから一度も連絡していなかった俺を心配してのものだった。
夫人から受話器を受け取り、体調はどうだとか、天気はどうだとかそんな話をした。それはどこにでもある親子の会話だった。俺はお袋と話をしながら夫人に目をやった。そこには、今までに見たことのない寂しげな表情の夫人がいた。俺は自責の念に駆られた。息子としていくら可愛がっても本当の親子にはなれない。そんな気持ちがきっとこんな表情にしている違いない。そう解釈したからだ。
俺はお袋に、電話俺がするからもうかけてこないように告げた。今日はたまたま居たけれど、居ない時の方が多いから、そう補足をつけて。俺なりの二人の母親への気遣いだった。
お袋からの電話は俺からホームシックという文字を消し去った。俺は仕事が終わると公衆電話へ直行した。
「もしもし」
久しぶりに聴く樹の声は、スピーカーから流れでる『S.E.N.S』のあの透明感溢れる旋律のようだった。
「樹」
「秋ちゃん!」
俺は樹の声が寸分たりとも漏れ出さないように、受話器を耳に強く押し当てた。
「元気だったか?」
「うん、元気よ。秋ちゃんは?」
「俺も元気だよ。ごめんな、ずっと連絡しなくて」
「平気よ、心配しないで」
「平気だったのか…」
落ち込む俺の声に樹はすぐに反応した。
「そうじゃない、そういう意味の平気じゃないよ」
「わかってるよ」
「……」
「樹?」
「秋ちゃん、声、聴きたかった。凄く話したかった」
「俺もだよ」
「どう?シンガポール」
「いいとこだよ、治安もいいし」
「行ってみたいな」
「一緒に来よう、二人で必ず」
「うん」
俺たちは時間が経つのも忘れて話をした。気がつけば、大量に用意したコインは残り数枚になっていた。
「樹、俺頑張るから」
「うん、頑張って」
「じゃあまた電話する」
電話器はとうとう最後の一枚を飲み込んだ。
「頑張って」俺に対して樹は初めて口にした。自分を追い詰めたこの言葉を、樹はずっと封印してきた。そんな樹の言葉だから、俺にとって何よりも強いパワーとなった。
俺はここで働きはじめてから、自分のことに精一杯で、正直視野が狭くなっていた。それが二ヶ月を過ぎた頃、聴き取り辛かったシンガポール独特のクセの強い英語にも慣れ、気持ちにも余裕ができ、いろんなことがはっきりと見えるようになっていった。
シンガポールは日本人観光客も多い。日本人である俺を見つけると、必ず声をかけてきた。ほとんどは観光地や店についての質問だったのだが、何も見えていなかった頃の俺はどこにでもある観光パンフレットをそのまま音読したようなそんな案内しかできていなかった。大概の人にとって異国の地では、一つ一つが大イベントとなる。質問するということももちろんそうだ。実際俺がそうだった。食事に行く、買い物に行く、普段なら何でもないようなことも、言葉の違う国となると楽しみよりも不安の方が大きくなる。だから、同じ日本人である俺に聞くことで安心を得ようとしているのではないか。それなのに俺は、音読み案内で使命を果たしたと自己満足していた。観光客の表情を見ているとそのことがよくわかった。
服を買いたいのだけれどどこに行けばよいのかそう尋ねられた時、店とオープン時間、行き方を教える。でもそれだけではお客様の表情は変わらない。最後に私もよく利用するお店ですよ。私も一度だけですが行きました。私も○○○です。そう告げると、決まって表情が和らぐのだ。幸い夫人にあちらこちらと連れ回され、店には詳しくなっていたから、穴場スポット等案内する自信もついていた。観光案内所でも開こうかという勢いだ。
そんなこともあってだろうか、同じお客様が滞在中に何度も俺を訪ねてくれるようになっていたのだ。
日本を発ってから一度も連絡していなかった俺を心配してのものだった。
夫人から受話器を受け取り、体調はどうだとか、天気はどうだとかそんな話をした。それはどこにでもある親子の会話だった。俺はお袋と話をしながら夫人に目をやった。そこには、今までに見たことのない寂しげな表情の夫人がいた。俺は自責の念に駆られた。息子としていくら可愛がっても本当の親子にはなれない。そんな気持ちがきっとこんな表情にしている違いない。そう解釈したからだ。
俺はお袋に、電話俺がするからもうかけてこないように告げた。今日はたまたま居たけれど、居ない時の方が多いから、そう補足をつけて。俺なりの二人の母親への気遣いだった。
お袋からの電話は俺からホームシックという文字を消し去った。俺は仕事が終わると公衆電話へ直行した。
「もしもし」
久しぶりに聴く樹の声は、スピーカーから流れでる『S.E.N.S』のあの透明感溢れる旋律のようだった。
「樹」
「秋ちゃん!」
俺は樹の声が寸分たりとも漏れ出さないように、受話器を耳に強く押し当てた。
「元気だったか?」
「うん、元気よ。秋ちゃんは?」
「俺も元気だよ。ごめんな、ずっと連絡しなくて」
「平気よ、心配しないで」
「平気だったのか…」
落ち込む俺の声に樹はすぐに反応した。
「そうじゃない、そういう意味の平気じゃないよ」
「わかってるよ」
「……」
「樹?」
「秋ちゃん、声、聴きたかった。凄く話したかった」
「俺もだよ」
「どう?シンガポール」
「いいとこだよ、治安もいいし」
「行ってみたいな」
「一緒に来よう、二人で必ず」
「うん」
俺たちは時間が経つのも忘れて話をした。気がつけば、大量に用意したコインは残り数枚になっていた。
「樹、俺頑張るから」
「うん、頑張って」
「じゃあまた電話する」
電話器はとうとう最後の一枚を飲み込んだ。
「頑張って」俺に対して樹は初めて口にした。自分を追い詰めたこの言葉を、樹はずっと封印してきた。そんな樹の言葉だから、俺にとって何よりも強いパワーとなった。
俺はここで働きはじめてから、自分のことに精一杯で、正直視野が狭くなっていた。それが二ヶ月を過ぎた頃、聴き取り辛かったシンガポール独特のクセの強い英語にも慣れ、気持ちにも余裕ができ、いろんなことがはっきりと見えるようになっていった。
シンガポールは日本人観光客も多い。日本人である俺を見つけると、必ず声をかけてきた。ほとんどは観光地や店についての質問だったのだが、何も見えていなかった頃の俺はどこにでもある観光パンフレットをそのまま音読したようなそんな案内しかできていなかった。大概の人にとって異国の地では、一つ一つが大イベントとなる。質問するということももちろんそうだ。実際俺がそうだった。食事に行く、買い物に行く、普段なら何でもないようなことも、言葉の違う国となると楽しみよりも不安の方が大きくなる。だから、同じ日本人である俺に聞くことで安心を得ようとしているのではないか。それなのに俺は、音読み案内で使命を果たしたと自己満足していた。観光客の表情を見ているとそのことがよくわかった。
服を買いたいのだけれどどこに行けばよいのかそう尋ねられた時、店とオープン時間、行き方を教える。でもそれだけではお客様の表情は変わらない。最後に私もよく利用するお店ですよ。私も一度だけですが行きました。私も○○○です。そう告げると、決まって表情が和らぐのだ。幸い夫人にあちらこちらと連れ回され、店には詳しくなっていたから、穴場スポット等案内する自信もついていた。観光案内所でも開こうかという勢いだ。
そんなこともあってだろうか、同じお客様が滞在中に何度も俺を訪ねてくれるようになっていたのだ。