天秤は愛に傾く ~牙を隠した弁護士は不器用女子を甘やかしたい~

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素子の本社勤務実質一日目は、誠がほとんど離席していて顔を合わすことは無かった。
何しろ覚えることが今までとは違う。
まずは契約書面作成の流れなど説明され、誤字脱字チェックを任されながら文面になれていくよう指示を受けた。
この書面一つで多額の金が動いたり、それこそ権利義務の問題になるわけなので素子も緊張してしまう。
教育担当は五十嵐になったが、五十嵐自身も忙しいため、なるべく迷惑を掛けないよう必死にやっていればあっという間に就業時間となった。
だが誰も帰る素振りも見せない。

「帰って良いわよ」

五十嵐が近づいてきて声をかけた。

「でも皆さんまだお仕事をされているようですが」
「あぁ、今ちょうど忙しい時期なの。
急な仕事も入るし。
おかげで芝崎さんも今日の帰りは夜になりそうだしね」
「私が何か手伝えることは無いでしょうか」
「流石に一日目だし、しばらくは慣れて貰うことが優先かな。
だから今日は帰って良いのよ」
「はい、わかりました」

素子は荷物をまとめ、お先に失礼しますと周囲に声をかける。
みな、お疲れ、と言うだけで人によっては顔も上げずにひたすらキーボードを叩いていたりして素子は邪魔にならないよう部屋を出た。

まだ慣れない廊下を歩き、エレベーターで下りるとロビーでスマートフォンを確認する。
誠とやりとりするようになって、素子はマメに着信などをチェックするようになった。
やはり誠からメッセージが届いていて、その内容に素子は驚いた。
何故か誠が母親と連絡を取り、週末日曜の昼、実家に行くことになったと書いてあるのだ。
素子は急いでどう言うことですか?!とメッセージを送ると電話がかかってきた。
ロビーの端の方へ行きながら、通話ボタンをタップする。

「芝崎さん!あれは一体!」
『待って、こっちの話を聞いて』

急き立てる素子を、ゆっくりとした誠の声で落ち着かせる。

『素子のお母さんが本社に電話を掛けてきたんだよ。
弁護士の芝崎誠さんはいますかって』

素子はあまりの内容に絶句した。
母親の素子に結婚して欲しいと言う感情は日に日に酷くなっているのは離れていてもわかっていた。
だが、そこまで非常識なことをするとは想像もせず、素子には腹の底から怒りがわき上がる。
自分だけにその身勝手さが向けられるのならまだしも、あの言葉だけで本人が実在するか確認の電話をするなど言語道断だ。
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