異世界召喚 (聖女)じゃない方でしたがなぜか溺愛されてます

82 怒りの理由

細かい泡が立ち上る黄金色の飲み物が入ったグラスを私に渡しながら、アドルファスさんが尋ねた。

「何の話をされていたのですか?」

私とレディ・シンクレアとの間に漂う空気に何かを察しているのか、険しい顔つきをしている。

「あ、別に・・」
「ユイナさんが去った後のあなたが不憫だと、彼女に話していました」
「レディ!」

言い淀んだ私を尻目にレディ・シンクレアがずばりと言った。

「そんなことを話していたのですか。余計な心配です」
「アドルファスさん、彼女はあなたを心配して」
「わかっています。でもそれは私に言うべきことであって、ユイナに言うべきことではありません。第一、私はもうあの頃の私ではありません。己の境遇を悲観し、先の不安に押し潰されて逃げた五年前とは違う。たとえその先に何があっても私は今傍にいるユイナの手を離したくありません」

語気荒くレディ・シンクレアにそう告げる。

「アドルファス、場を弁えて。ここは王宮です」

アドルファスさんの声の強さにレスタード卿が窘める。周囲に人たちが何事かとこちらに注目している。

「失礼しました。│お《・》│ば《・》│あ《・》│様《・》の心配もわかりますが、これは私たちで話し合うべきことです。余計なことを話して彼女を虐めないでください」
「アドルファスさん、言い過ぎ」

レディ・シンクレアを「おばあ様」と呼ぶのは、彼がかなり怒っている現われだとわかる。

「そこまで言うなら、私はもう何も言いません。ユイナさんとの別れをあなたがどんな風に乗り越えるのか、とくと拝見させていただくわ。私の慰めは期待しないでくださいね」
「望むところです。我々はこれで失礼します。レスタード卿、彼女のことは頼みましたよ。行きましょう、ユイナ」
「ア、アドルファスさん」

さっと私の手を引きレディ達からさっさと遠ざかって行く。私は持ったグラスの中身が溢れないよう注意しながら、黙って彼の行く先に付いていった。
通り過ぎる人たちが何事かとこちらに目を向けるのも気にせず、アドルファスさんは会場の人目のつかない一角に辿り着くまで歩みを止めなかった。

「すみません、レディがあなたに嫌なことを言ったようで」

「レディ」呼びに戻ったので、いくらか冷静になったのがわかる。

「あなたを心配しているのよ。それに本当のことです」
「わかっています。それに、彼女の狙いはあなたに私への同情心を植え付け、帰ることを諦めさせることですから」
「え、そうだったのですか?」
「何年あの人の孫をやっていると? もちろん私のことが心配だという想いもあるのでしょうけど、私が気の毒だとあなたに思わせ、帰らないことを選択させようとしていた。だから怒ったんです。あなたの選択はあなたが自分で考え決断することで、他人が横からとやかく言うものではありません」

「私だってあなたと別れたくはない。あなたをより深く知ってしまった今は、なおさらです」

彼の体にそっと触れ、その胸に頭を預ける。体から伝わる熱が私を安心させてくれる。
いっそのこと、最初から帰る方法がないと聞かされていたら、今の状況は変わっていただろうか。帰れるのか帰れないのかわからない中途半端な状態で、体を重ねたことは軽率だったと誹られても文句は言えない。

「有限だからこそ、今を大事に。そう思っています」
「ユイナ」

本当は帰れなくてもいいとも思い始めている。このままアドルファスさんの傍で生きていく道も悪くない。
むしろ、それが私たちにとって幸福なのではないか。

でも、大勢の前で帰ることを望み、そのために魔塔の人たちが頑張ると言ってくれた。それを今更いいですと言っていいものだろうか。
それに、財前さん。帰りたいと願い涙した彼女のことを思えば、仮に帰るのが私ではなくても、帰る方法があるに越したことはない。

魔巣窟の浄化が無事終了したら、彼女も帰ることを考えてもいいはずだ。

そう考えて、先ほど魔塔主が私に言った言葉が気になる。まだ不確かだとは言っていたけど、もう少し詳しく話を聞いておくべきだろう。

「失礼いたします。レインズフォード卿」

知らない男性がアドルファスさんに声をかける。

「オットゲルト卿か、いかがした?」
「国王陛下が卿に折り入ってお話があるとのことです」
「陛下がか?」
「至急陛下の執務室へお出でいただくようにとのことです」
「今すぐか?」
「さようでございます」
「宴の最中にどのようなご用件だ?」
「それは、今ここで申し上げるわけにまいりません」
「彼女は?」

アドルファスさんが隣の私について尋ねた。

「レインズフォード卿のみお呼びでございます」
「わかった。すまないが、レディ・シンクレアを探して彼女と一緒にいてください。さっきのこともあるので、彼女といるのは気まずいだろうが」
「大丈夫です」
「なるべく早く戻る」

私のことを気にしながらも、アドルファスさんはオットゲルト卿の後ろに付いていった。
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