記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

婚約者だったあなたが選んだ人は

 
 王城主催の夜会は全貴族が招待され、会場は人だかりができていた。
 ランゲ伯爵夫妻も揃いの衣装に身を包み、互いの瞳の色の宝石を身に着け参加した。
 宵闇に煌めく濃紺のドレスには星空のように小さな宝石を散りばめている。
 お腹周りがふっくらしてきたカトリーナに配慮したゆったりとしたものだった。

 身重の妻を気遣い、片時も離れずエスコートするディートリヒも濃紺の衣装である。
 ゆっくりとした歩調で、常に妻の腰に手を回し妻に見惚れる男たちを牽制していた。
 愛され幸せオーラ満開の伯爵夫人は、隣でエスコートする夫に微笑みかけている。
 その姿は周囲を圧倒させるほど美しく、また艶めかしい。かと思えば少し大きくなったお腹に愛おしげに手をあてる姿は母性と女神性を感じさせた。

「これはこれは……」

「騎士団長」

 顎に手を当てて興味深そうに見ているのは、騎士団長ディアドーレ侯爵。その隣には最愛の夫人が夫の腕に手を添えている。

「初めまして、ランゲ伯爵夫人。私は騎士団長をしているディアドーレだ。こちらは妻のアリーセ」

「初めましてディアドーレ侯爵夫妻様。ランゲ伯爵夫人カトリーナと申します」

 騎士団長夫妻に挨拶をすると、早速アリーセがカトリーナに興味を持ったようで。

「まあ可愛らしい奥様ですわね。ランゲ伯爵も罪な男だわ」

 ふふふ、と口元を扇子で隠して朗らかに笑った。

「ええ、とても可愛らしい妻を迎えられて私も光栄に感じております」

 人目も気にせず妻と見つめ合うと、周りからざわめきが起きた。
 カトリーナの醜聞は過去となったが、久々の社交界復帰に貴族たちは興味津々であった。

『王太子殿下から婚約破棄をされ、醜悪伯爵に嫁がされ、泣き暮らしているだろう』

 カトリーナがいない間囁かれた噂は、ともすればいい気味だ、とほくそ笑まれていたが、実際は以前にも増して幸せそうに微笑む姿を見せつけられ、驚いた者が多数だった。

 その中には、王太子デーヴィドと、婚約者となったシャーロットの姿もあった。
 王族用の高くなった場所にある席に座った二人は、苦虫を噛み潰したような表情で見ていた。

 それから程なくして、国王ユリウスが立ち上がり手を挙げると、貴族たちは一斉に頭を垂れた。

「皆のもの、よく集まってくれた。まずは楽にしてくれ。
 今宵の夜会で発表する事がある。……デーヴィド、前へ」

 国王に促され、デーヴィドはシャーロットを伴い前に出た。

「この度婚約する事になったデーヴィドと、その婚約者シャーロットだ。
 二人とも、挨拶を」

「皆の者、我が愛するシャーロット共々、よろしく頼む」

 デーヴィドが挨拶をし、シャーロットが薄く笑みを浮かべ腰を落とした。
 周りの者たちから拍手が沸き起こる。

 カトリーナは先程の挨拶を正確に理解し、複雑な表情を浮かべた。



 それからは歓談の時となった。
 デーヴィドはシャーロットと共に挨拶に回っていた。
 彼らから離れた場所で、カトリーナは今度はリーベルト侯爵夫妻と談笑していた。

「カトリーナ様、今度ウチの宣伝に協力して下さいませんか?」

「宣伝ですか?」

「ええ、ハンドクリームの宣伝を、夫婦で」

 マダムリグレットのハンドクリームは、ランゲ伯爵家使用人の間で大好評で、それは使用人仲間を通じて他家にも徐々に浸透しつつあった。
 さすがに使用人たち全員に買う家は少ないものの、侍女から貴族夫人におすすめされ、更に夫人たちの間で拡がり、マダムリグレットはその地位を確立しているのだ。
 更に販路を拡げたいフィーネは、カトリーナに宣伝を手伝ってほしいと言ったのである。

「私は構いませんが……」

「ああ、カトリーナが良いのなら」

「では決まりですわね」

 この夜会はデーヴィドとシャーロットの婚約発表を兼ねているが、実際の注目はランゲ伯爵夫妻だった。
 誰よりも輝き、慈しみ合う夫婦の様は皆の目を惹き付けていた。

「カトリーナ様」

 フィーネと和やかに歓談するカトリーナに不躾な声を掛けたのは、彼女が注目を浴びるのが面白く無い女性だった。
 隣にいる男が一瞬強張ったような顔をしたが、女性は構わずカトリーナに近付いて行く。

「お久しぶりですわ、カトリーナ様。私の事を覚えていて?」

 その女性──シャーロットは、エスコートをするデーヴィドの制止も聞かずカトリーナに話し掛けた。

「……さぁ?どちら様でしたかしら」

 カトリーナは頬に手を当て、心底分からないという表情でシャーロットに目を向けた。

「まだ記憶が戻ってないの?まあいいわ。
 私、デーヴィドと婚約したの。未来の王妃は私よ」

 胸を張って答えるが、カトリーナは表情を変えない。
 今の彼女は、あの頃のようにデーヴィドに縋らなければならない程の者ではない。だから。

「この度はおめでとうございます。お二人の幸せを心よりお祈り申し上げますわ」

 ゆったり笑み、ドレスを摘み腰を落として礼をした。

「く、悔しくないの!?デーヴィドはあなたではなく私を選んだのよ!?
 未来の王妃は私のものよ!!」

 悔し紛れか、シャーロットは声を荒げて叫んだ。
 カトリーナは目を細めその醜態を見つめている。それは自身の過去の行いをまざまざと見せ付けられているようだったのだ。

(ああ……。気付かないうちの私はこんなにも醜く愚かだったのね)

「私は、王太子妃には相応しく無かったのですわ。かつての己は責務を投げ打ち、無様を晒しておりました」

 胸に手を当て、自身の過去を省みるように目を伏せた。そして隣に立つ夫を見上げる。

「ですが、夫との出逢いが私に気付かせてくれました。己の使命を理解し遂行する彼こそ、正しい在り方なのだと」

「カトリーナ……」

 微笑んだまま、カトリーナはシャーロットに目を向けた。

「夫の隣にいる事は、私にとって王太子妃になるよりも価値のあるもの。だから私はもう、デーヴィド様の隣ではなく、夫であるディートリヒ様と共に国を支えていく所存ですわ」

「……っ…」

 胸を張り、高らかに宣言するカトリーナは誰よりも美しく、誇り高く。
 ──その姿にデーヴィドは見惚れ、そして。
 己の手から大切な何かが零れ落ちたのを感じていた。

「シャーロット、行こう……」

「待ってよ、私はまだ……!」

 まだ叫ぶシャーロットを引き摺りながらデーヴィドは奥へと歩を進めて行く。

 その様を、カトリーナは姿が見えなくなるまでじっと見据えていた。

(さようなら、デーヴィド様。……幼い頃側にいて下さった事だけは感謝致します)


「カトリーナ」

 隣に立つ夫を見つめ、カトリーナは微笑んだ。

「君は綺麗だよ」

 夫からの唐突な賛辞に、カトリーナはたじろいだ。

「とても、美しいよ」
「な、ちょ、だ、まっ」

 なおも止まらぬ賛辞に、カトリーナは慌てふためいた。普段、ディートリヒから愛を囁かれる事はあるが今は人目がある場所。
 それもはばからずただ妻を見つめる夫の意図が分からず、どうして良いか分からなかった。

「君の美しさは内面からなんだろうな。己を反省し改め、王太子殿下の幸福を祈れる君は美しい」

 カトリーナは夫の言葉に瞳が揺れた。

「わ、私は、ただ、だんなさまに相応しい淑女でありたいだけですわ。……きっと、あなたなら許してしまうと思って」

「君を害するならば許さないがな。それに君は魅力的だから俺の方が飽きられないように努力しないと」

「ま、また、もう、すぐそうやって……」

 顔が火照るのが止まらず、カトリーナは扇子で仰いだ。
 頬の赤みが落ち着く間に一呼吸して、夫に寄り添う。

「私が愛するのはただ一人、ディートリヒ・ランゲ伯爵ですわ。貴方以外、いらないのです。だ、だから。……わ、私を離さないで下さいませ」

 言ったそばから再び赤くなる。そんな妻を見て、ディートリヒは微笑んだ。

「ああ。ずっと一緒にいてくれ。
 愛している、カトリーナ」

 手を取り口付けをし、愛を乞う夫にカトリーナは花が綻ぶような笑みを返した。

「私も、愛していますわ。ディートリヒ様」


 途端に周りからどっと拍手が沸き起こった。
 二人の世界に浸りかけていたがハッと我に返り、照れ笑いながら祝福を受けていた。




 この夜会の数日後。
 王太子デーヴィドの臣籍降下が発表された。
 突然の発表に世間は震撼し、様々な憶測を呼んだが、信憑性が高いのは婚約者となったシャーロットの素行不良であった。
 カトリーナとの婚約を破棄した以前より複数の異性と親しくしていたという噂、そしてその後王太子妃を望んだにも関わらず妃教育に向き合わず遊び呆けていた事、更には第二王子に擦り寄って行った事が公となり、追放されたと見られている。
 ただ、デーヴィドが見離さなかった為真実の愛たるや、と世間で話題になった。

 新たに王太子の座に就くのは、かねてより優秀だと噂されていた第二王子ヴィルヘルム。
 オールディス公爵とランゲ伯爵の推薦もあったと言うからこちらも王太子の件含めて色々推察がなされた。が、どれも推論に過ぎず次第に人々の話題は別のものへと変化した。



 ランゲ伯爵夫妻はその後王国の発展に注力した。
 最たるは『王国の盾』らしく和平を結んだ事である。
 隣国である帝国の将軍とも交流があり、調和を率先して行う事で母国の守りにも尽力した。
 アーレンス王国が長く平和であるのは夫妻の尽力の賜物だと言われている。

 二人は五人の子どもに恵まれ、そのうち一人は話し合いの結果オールディス公爵家へ養子に出された。
 夫妻の子ら、そして孫らも王国に仕え主君を支える礎となったそうだ。

 そして、伯爵夫妻は生涯互いを思いやり、仲良しであったことが語られている。
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