記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜
後日談の番外編

王太子のその後

 
 その日、緊急の御前会議が開かれている頃、デーヴィド・アーレンスは、自室で待機していた。

 先日の夜会はデーヴィドに与えられた最後の機会だった。
 だが婚約者を御せず、大多数の貴族の前で醜態を晒してしまった。それ故国王に呆れられた彼は再び謹慎処分が下されたのだ。

 自室に備え付けられたソファに力無く座り、これまでの事を回想する。


 仲睦まじい国王夫妻の長男として誕生したデーヴィドは、幼い頃から聞き分けの良い子どもだった。
 乳母の、侍女の、教育者の手を煩わせる事が無い、大人から見れば扱いやすい子であった。

 それは、ひとえに両親に認めて貰いたいがゆえ。
 彼は幼心に努力を重ねていた。

 しかし両親の関心は2つ下の少女にあった。
 親友の宰相夫妻の一人娘であるカトリーナにみな夢中だった。
 娘がいない国王夫妻にとって、女の子は特別なように見えたのだ。

 その後宰相の妻が亡くなると、両親の関心は益々カトリーナに向いていた。
 そうして持ち上がったのが婚約話。
 デーヴィドでもヴィルヘルムでもどちらでも良かったが、カトリーナが選んだから決まったようなもの。

『カトリーナを頼むぞ』

 父親に言われ、デーヴィドはしっかり胸に刻み婚約者として努めた。
 父から託された、期待された。それが少年の心に残り、自分が面倒を見るのだと使命感もあった。

 だが相変わらず両親はカトリーナばかりを気にかけた。
 次第にカトリーナに対して憎らしい気持ちと愛らしい気持ちがごちゃまぜになり、いつしかそのバランスは崩れて、とうとうデーヴィドはカトリーナを無視するようになった。
 そしてその寵愛は、シャーロットへ向けられる事になる。

(どこで、間違えたのか)

 シャーロットといる時は楽だった。
 何も考えずただ享楽に身を任せているだけで良かった。
 王太子としての責務はカトリーナに押し付け、自身は好きなように行動する。

 両親に可愛がられていた少女の顔が悲痛に歪む時だけが、デーヴィドの苦しみを和らげていた。

 ……気がした。

 だが、今一人で過去の事を思い出せば浮かぶのは幼い頃から後ろを着いてきていたカトリーナの事。
 振り返れば拙い歩きで自分の後ろにいる事が嬉しかった。
 後ろに彼女がいて、自分は前を向いて進む。
 それが当たり前で、将来国王となっても変わらずそこにいるのだと、デーヴィドは身勝手な考えでいた。

 先日の夜会で、夫の隣で堂々とした姿を見せた彼女に眩しさを感じた。
 それは自身が望んでいた未来の姿。

 だが彼女の隣にいるのはデーヴィドではなく、彼女を守り愛する別の男。


『彼の隣は私にとって王太子妃になるよりも価値のあるもの。だから私はもう、デーヴィド様の隣ではなく、夫であるディートリヒ様と共に国を支えていく所存ですわ』

 真っ直ぐに見据え、堂々たる姿を見せたカトリーナは、もうデーヴィドを越え、遥か遠くまで行ってしまったような気がしていた。



「兄上、入りますよ」

 扉を叩く音がして、返事も待たずに第二王子──ヴィルヘルムが入って来た。

「終わったのか」

「ええ、つい先程」

 ヴィルヘルムは御前会議に出席していた。
 王太子ではなく一王子である彼が出席するとなった時点で、デーヴィドは己の行く末を察知していた。

「で、いつからだ」

「?何がです?」

「いつまでに……出て行けば良いんだ」

 半ば諦念を浮かべながらデーヴィドはヴィルヘルムに尋ねる。自身のこれからを憂いているのか、早く宣告してほしいのか。

 自棄になった兄にヴィルヘルムは訝しげな顔をしながらも、ソファに座ってから口を開いた。


「兄上は王太子の身分剥奪、臣籍降下処分が下されました。
 領地を持たない伯爵位と同時に貴族街の隅に婚約者殿と住むにはちょうど良い邸宅が与えられます。使用人は一名のみです。
 但し期間限定ですので生活に必要な知識は習って覚えて下さい。
 仕事は宮廷文官。一番下っ端からになります」

 ヴィルヘルムが告げたのはデーヴィドの今後の事だった。
 その内容にデーヴィドは眉を顰めた。

「……随分と甘い措置だな。てっきり廃嫡、平民落ちだと思っていたぞ」

「平民落ちさせて無力なあなたを傀儡として貴族に担がせない為ですよ。ああ、ちなみに継承権は常に最下位です。僕に子ができる度下がります。
 僕はまだ未婚ですからね」

 なるほど、と思った。
 ある程度の身分が無いとやられるし、与えても自分が奢るから。
 そしてヴィルヘルムが未婚の今は、予備としていなければならない。生かしはしないが殺しもしない。
 自分の行動の結果に乾いた笑みが漏れた。

「とまあ、色々理由は付けましたが。ひとえにランゲ伯爵からの温情ですよ」

 ヴィルヘルムの無機質な声音に、デーヴィドはぴくりと反応した。

「『自分が妻と婚姻できたのは彼のおかげ』だそうです。ただ、ランゲ伯爵夫人への接近禁止を願われました。
 それだけで王国の盾である伯爵がこれからも我が国に貢献してくれるなら願いを叶えないわけにはいきませんからね」

 確かに妻を傷付けた相手ではあるが、(こいねが)いながらも嫌悪されていた相手と婚姻させた恩人でもある。
 廃嫡し平民になり落ちぶれる様は寝覚めが悪いのだろう、とデーヴィドは自嘲した。

「……どこまでもお綺麗な奴だ……」

 自分の汚さを、器の違いを見せつけられたようでデーヴィドは苛立った。同時に、カトリーナが選んだ男がそんな男で良かった、とも思ったのだ。

「それから……僕の王太子教育終了と共に父上は玉座を退かれるそうですよ」

 その言葉はデーヴィドにとって意外なものだった。
 彼から見た父親の治世は決して悪くは無い。
 宰相や大臣たちの意見を幅広く取り入れ、奢らず己を律し民の為に尽くす姿を幼い頃から見てきたのだ。
 それにまだ40を過ぎたばかり。体力的にも衰えていない。引退するには早いのではないかと思った。

「まだ、国王としてやれるだろう……。なぜ……」

「……息子一人、まともに教育できない自分が、民を導く事はできないそうです」

「──……ぇ」

「息子を甘やかし、強く諌められなかったと父上は悔いてらっしゃいます。
 だから、僕が立太子した暁には同時に国王ですよ」

 苦笑した弟の言葉に、デーヴィドは信じられないと頭を振った。

「いつまで拗ねてるおつもりですか。
 これでも父上や母上は、カトリーナ様を優先しあなたを蔑ろにしていると思われますか?」

 ヴィルヘルムの声音は冷たく硬い。
 デーヴィドは緩く頭を振り項垂れた。


「兄上、あなたは間違えた。
 カトリーナ様との婚姻が嫌なら言えば良かったんです。そしたら僕に変わったのに。
 それに……兄上の婚約者殿は僕にも色目を使ってきましたよ。……カトリーナ様を捨てそちらに行く価値ありましたか?」

 ヴィルヘルムの言葉はデーヴィドに突き刺さる。

「……彼女は……。癒やしだったんだ……」

 カトリーナの事を考えないで済むから楽だった。
 若い肉体が持て余す欲を発散できたのも良かった。

 ただ、都合が良かったのを──愛だと思い込んだ。


「まあ、終わった事ですし、これ以上は色々言いません。ですが、一つだけ。
 道は引き返せませんが、曲がったり広げたりできるんですよ」

 ヴィルヘルムはにっこりと笑って兄の部屋をあとにした。



 その後程なくしてデーヴィドは与えられた屋敷に移り住んだ。
 いくつかの部屋と、食堂、炊事場、風呂場、手洗いがあるが、貴族の屋敷にしては規模の小さいものだった。
 仕事も始めた。
 人を使う立場から、人に使われる立場に変わった。

 始めは傅かれる事が当たり前だった彼からすれば全てを自分でこなさなければならない事に屈辱を覚えたが、辞めるられるはずもなかった。


 シャーロットとは形だけの夫婦となった。
 ヴィルヘルムとの会話の後、デーヴィドの処分を伝えたが。

『顔と身分だけが良かったのに、顔は曲がっちゃったし歯も折れてダサくなっちゃったわ。
 その上王子様でもなくなるとかありえないわ』

 そう言って嘲笑った。


(カトリーナは……顔に傷がある男を選んだのに……)

 ここでも彼女との違いを感じ、デーヴィドは溜息を吐いた。

 その後、シャーロットは与えられた家に帰宅せず、どこかを渡り歩いていた。元々平民から養女になった彼女はそのときのツテがあるようだった。
 それからデーヴィドは、書類上の夫としてシャーロットが買い漁った物の支払いをする日々が始まる。
 一度は自分が選んだ女性だから、と面倒見の良さをここで発揮してしまった。

(自分が彼女の人生を捻じ曲げたから……)

 だが婚姻から二年後、シャーロットは出掛けた先で亡くなった。

 この事がデーヴィドに憂いとして残り、彼はこの後長きに渡り後悔にまみれながら、今までとはガラリと変わった生活を送る事になるのだった。
< 33 / 44 >

この作品をシェア

pagetop