旦那様は甘えたい
「…じゃ、行ってくるけど。本当に自重しないとそのご自慢の顔焼くからね椿。遊び半分で手ぇ出したらぶっ飛ばすよ」

「だからいちいち怖ぇのよ発想が。心配しなくても大丈夫だっつーの」

散々ごねにごねた竜胆さまは、最後の最後にも椿さんに釘を刺すよう睨みをきかせる。呆れ顔の私たちではあるが、竜胆さまの発言が虚仮威しではなさそうな事も残念ながら十分理解しているので、椿さんに至ってもここは大人しく首肯した。

人里に降りるから、と簡易的な妖力で見た目を弄ったのだという竜胆さまはパーカーとデニムを身にまとい、どこから見ても街中に溢れかえっている青年そのものに見える。いや、注視して見ればやっぱり顔面が整いすぎているんだけども、それにしたって通常時よりはマシだ。

「それじゃあよろしくお願いします」

「うん、いい子で待ってて」

きゅっ、と抱きしめられた体温が離れて、翻った背中が鳥居を潜ると直ぐに竜胆さまの姿は見えなくなった。この辺はもう常識の範疇を超えているというか、竜胆さま、もしくは彼ら兄弟ならばまあそんな感じなんだろうとざっくりアバウトに納得する。

「よーやくうるさいのが出ていった。アイツ旦那っつーより小姑かモンペみたいなとこあるよな」

がりがりと頭をかいた椿さんはうんざりしたように口をすぼめている。それになんとも言えぬ苦笑を返して、踵を返した私たちは一先ずダイニングテーブルに腰を落ち着かせることにした。

「はあーっ、それにしたって竜胆がこうも人間に執着するとは思わなかったな。飛鳥って実は人間じゃなかったりしねーの?」

「いや百パーセント地球産の人間ですよ。産まれも育ちもこの村の産地直送ですから」

「ま、だよな。妖力も魔力も微塵も感じねーし」

からからと氷の入ったガラスを傾けて麦茶をあおった椿さんは、だからこそ驚きなんだよなぁと頬杖を着いて私を見る。

「竜胆のやつ、まじで不能なのかってちょっと心配になるくらい女っつーか他人に興味持ったこと無かったんだよ。今まで献上されてた女達だって、まあ捧げ物として選ばれるくらいだから見た目が良かったり何かしら秀でたところがあるヤツらが多かったわけ」

気立てのいい女、積極的な床上手、天真爛漫に引っ込み思案な泣き虫、図鑑が出来るんじゃないかって位に沢山の女性がこの神社に贈られてきたのだと椿さんは語る。
中でも俺のおすすめは…と話の雲行きが怪しくなら始めたところで一旦ストップをかけながら、それでも私は大人しく椿さんの話に耳を傾けた。
だって彼の疑問は、そのまま正しく私の疑問そのものでもあったから。

「…なんか、美味しいものを食べすぎて食傷気味になった、って感じなんですかね。取り敢えず胸焼けしそうだし箸は箸置きに置いとこう…みたいな」

「まって飛鳥は食べ物ですらないの?そこで自分を箸置きに当ててくるのってどういう心境なんだよ。まず歴代供物と同じ土俵に立とうぜ?」

「いや今の話聞いてる限りじゃ私土俵どころか観客席にすらたどり着けてませんよ。私が今回選ばれた理由知ってます?貧乏だからですよ?なんかそんなふわっとした理由でここまで来てるんですよ私」

なんで村長今回だけそんな勝ち抜けみたいな選び方で供物選んだんだよ。あれか、リニューアルオープン初日はちょっと冒険しちゃいましょう、みたいな心境で選ばれたのか私は。

「ここに来たことに後悔とかは全く無いですけど、なんかむしろ今の話を聞いて竜胆さまに申し訳なくなってきました…。ビュッフェ行って高級ケーキとかローストビーフとかが並んでる中での萎びたポテト状態ですよ私。しかも塩がほとんどかかってなくてほぼ芋って感じの…口の中ボソボソするやつ…」

「いやいや考えすぎ考えすぎ!それに今までの女たちなんて竜胆にガンスルー決められてたんだから、味変で成功したってことじゃんそれ。ほら、アイツ素朴っぱいの好きなんだよ多分。…よくわかんないけど」

「ポテトでも役に立てますかね…」

「たてるたてる!俺だってジャンク大好きだし!ポテトは萎びて柔らかくなってる派だから!」

「いや、椿さんの好みは別にいいです」

「飛鳥お前俺に対する態度改めるって言ったよな??」

おい、と前のめりに身を乗り出した椿さんにほっぺたを掴まれて、すみませんと形にもなってない謝罪をする。赤みがかった瞳がじっとりと非難の色に濡れて私を見つめていたけれど、やっぱり椿さんの印象はどグソ野郎から抜けきれていなかったみたいだ。だって発言の節々が下衆。

「まあ面白い子だとは思うけどね、お前。妖の俺らに全くビビらず言葉を投げて、その癖本質は下心なんてまるでない奉仕の精神しかねぇんだからさ」

頬を離れた長い指が、するりと私の鼻梁をなぞる。はたと驚いて固まった私に、警戒心もまるでねぇの、と声を潜めた椿さんが細く笑った。

「ふつーは怖がるもんだぜ?何されるか分かんねぇんだし。俺に関しちゃ散々竜胆にも用心しろって言われたろ」

椅子を引いて立ち上がった彼は、その長身を活かすように更に私へと顔を近づける。
目の前いっぱいに広がる顔。竜胆さまよりほんの少しだけ意地悪な顔が、愉しそうに瞳を三日月形にして私を見下ろす。

「頭からぱっくりいかれても知らねぇよ?…それか、指先一本一本まで丁寧に舐めしゃぶって貪り尽くすのも吝かじゃねぇけど」

「…つばきさん」

「俺らのことなーんも知らねぇんだから、ちょっとくらい痛い目みして体に覚えさせた方が良いのかね」

ひとつ、ふたつ。彼は長い睫毛を瞬かせ、ゆっくりとまばたきをして妖艶に笑む。
ゆらゆらと揺れる黒炎を押し込めたような瞳に、ああ、やっぱり二人は兄弟なんだと。状況もはばからず私はくふくふと小さく笑った。

「…え、この状況で普通楽しそうに笑う?」

「ふはっ、すみません。でも椿さんと竜胆さんの言ってることがあまりにも同じだから」

「同じ、って…」

きょとん、と首を傾げた幼い顔。そういう所も良く似ていると、再び込み上げた笑いを呑み込んで私は軽く咳払いをする。

「正直言って私、椿さんのことそんなに好きじゃないんですよね」

「えっ!?」

「人のやぶ蛇好んで突くし、軽薄だし、オマケに手が早い。端的に言えば性悪っていうか下半身直結って言うか、まあとにかくいけ好かない野郎って言うのが基本的印象でして」

「思ってたよりもひでぇ」

「はは、はい。でも気遣いが案外丁寧な事とか、振る舞いにそぐわず心配性でツッコミ気質な所とか面白いところもいっぱいあって。それで何より、竜胆さまのことを大事にしてる」

「…っ」

大きく見開いた椿さんの瞳。それが直ぐにバツが悪そうに逸らされて、私はしたり顔で笑みを深める。

「煽って、カマかけて、椿さんに意識を向けさせるように言葉と仕草を選んで迫って。今までの女性たちもそうやって試して来たんですか?」

「…おまえ、性格わりぃの」

「お互い様ですよソレ」

椿さんは一度大きなため息をついて、乱暴に椅子へと腰を下ろした。そのまま乱雑に前髪をかきあげると、軽薄さの抜けきった真摯な双眸が値踏みするように私を見る。

「ご兄弟のお眼鏡には叶いましたかね」

 にんまり。そう言って笑った私に、椿さんはきゅっと顔を顰めて嫌そうに言った。

「…きゅーだいてん」

「ははっ、そりゃ良かった」

ぶすっと唇を尖らせて、さっきから随分と子供っぽい姿に私はふくふくと肩を揺らす。笑うなよと眉間の皺を深めた彼に、これ以上機嫌を損なわれては面倒だと笑い声を冷ややかな麦茶で喉奥に流した。

「過保護過保護って、特大ブーメランなセリフでしたね」

「っあーうるせぇな!しょうがねぇだろ!こんな事になったのは半分くらい俺のせいなんだからよ!」

「いや十割百パーセントアンタのせいですよ」

「うるせうるせ、聞こえねぇなァ下々の声は」

心配するくらいなら女癖をなおせばいいのに。そんな私の真っ当な疑問に、下半身直結は伊達じゃねぇんだよと嫌味な回答が返ってくる。いやめちゃめち根に持たれてるじゃんそのワード。

「俺たちの顔が良すぎるばっかりに、供物できたはずの女共がまァ竜胆をかっこうの獲物みてぇに狙い出すんだわ」

「あー、まあ…。自画自賛なんて馬鹿に出来ないくらいの造形美ですもんね、お二人」

「女の方から嫁にしてくれって竜胆に詰めよんだよ。それこそ夜這いしかける勢いでな。あいつもそうやって迫られんのが嫌でわざわざ離れに案内してんのに、まあそういう女っての執着が強い。竜胆がそのうち一人でも受け入れるって話ならそりゃ問題もねえけど、女共があまりにも打算を孕んだ目で逃げ回るアイツに迫ってるもんだからさ。こりゃちょいと検問所を作ってやらねーとやべえなってさ」

「それがお色気大作戦ですか」

「…うん、まあ決して間違っちゃねえんだけど。もう少しなんか言い回し変えてくんね?なんか俺がやってる事めっちゃアホっぽく聞こえるから」

じゃあ奥さんをふるいにかけよう大作戦ですか、と聞けば。もう何でもいいわと若干項垂れて言われてしまった。
しかしまあ私の予想は概ね辺だったようで、今までは結構上手くいってたんだぜと椿さんはつまらなそうに呟く。

「声をかけりゃふらっと寄ってくる奴が大半だったしな。中には俺と竜胆の区別も付かねえ奴もいた。まあ趣味と実益を兼ねた仕事っつーの?」

「やっぱり趣味も兼ねてるんですね」

「そりゃな。でもここまで尽く失敗したのは飛鳥が初めてだ。お前まじ変な奴な。俺ちょっと信じられねえもん」

「え、なんなんですかこの試合には勝ったのに勝負に負けた感じ。なんで私ちょっと憐れに思われてるんです?」

「だって俺だよ?チューくらいクラっと来るぜ普通」

「すっげぇ自信」

え、これ私が悪いの?なんかちょっと椿さん落ち込んでるというか、自信を無くしたように項垂れているんですけど。
なんかすみません、と腑に落ちないながらも謝罪をすれば、全くだぜとこれまた理不尽に怒られた。本当に解せない。

「でもまあ何となくこうなる気もして飛んだよな。竜胆があからっさまに懐いてる時点で今までの女とは明らか違うし」

「はあ…、その点に関しては私もよくわかってないんですけどね」

「もともと顔見知りとかでもねぇんだろ?」

「はい。だってこの神社基本的には立ち入り禁止ですし。それにあんだけ印象に残る美形と接点持った時点で記憶には一生残りますよ」

「だよなあ」

よっぽど顔が好みだったのか、と呟いた椿さんに私は全力で首を振った。そこまで…?と若干引かれるくらいには全力で。

「んじゃやっぱりお前が変な奴だからかね」

「それって褒められてるんです…?と言うか変ってなんなんですか変って失礼な」

「褒めてるに決まってんじゃん。俺結構あんたのことお気に入りだよ?飯もうめぇし気も利くし、変な度胸があっておもしれえもん」

「ええ…、全然嬉しくないですそれ」

「贅沢なやつ」

ふっと気の抜けた笑みで椿さんは笑った。唇の端をほんの少しだけの持ち上げて、微かに細められた瞳は白熱灯の明かりのせいかキラキラと眩しいくらい。
彼の指先は竜胆さまとは正反対に酷く熱かったのを覚えているけれど、この温かな瞳は正しく炎みたいだなんてぼんやりと思った。

「…兄弟ってのはやっぱり好みも似るもんなのかねえ」

「え…、まあ。お二人とも甘いものがお好きですよね」

「うーん当たらずとも遠からず。でもやっぱそうかー、似ちゃうのか。こりゃちょっと面倒っつーか大変なことになりそうっつーか…」

「何一人で慌ててるんです?」

「ん、まあ飛鳥にも分かりやすく説明してやると…」

そう言葉を区切った椿さんはおもむろに立ち上がると机の外周を回って私の側へと歩み寄る。なんだ?と訝しんで眉を顰める私とは対照的に、彼は挑戦的と言うか、どこか楽しそうに笑っては私の座る椅子の背もたれへと手を伸ばした。

「えっ、ちょ…」

驚きも束の間。椅子に座った私は呆気なく椿さんが両腕で作った小さな空間から身動きが取れなくなる。
今度はどんなろくでもないことを企てて、と抗議の意味も込めて睨みつけた先には、思っていたよりも随分と真剣な眼差しがあった。

「つばきさっ…」

「さっき散々やっちゃった手前、そうそう信じて貰えるとも思ってないけどさ。でもやっぱちゃんと言っときたいっつーか」

すりっ、と机に面した側の右手が頬に伸びて、そのまま熱を残すように滑らかな指先が唇に届く。親指がやわやわと感触を確かめるように動いたかと思えば、そのまま形を確かめるみたいにゆっくりと縁をなぞられて肌が粟だった。

「俺、竜胆のことすげー大事だけど。獲物の取り合いに関しちゃ手ぇ抜いたこと無いんだわ」

うっそりと。こんな表現がぴったり当てはまってしまうくらい、椿さんは緩やかに笑って瞳を眇める。
ひくりと喉が悲鳴を上げて、それでも声一つあげることが出来ないのは、この場の空気全てを目の前の彼が握ってしまっているから。

「…なあ飛鳥。お前、俺のお嫁さんでもいいんじゃねーの」

ふっ、と影が近づいて。椿さんの長い睫毛が伏せられたのがスローモーションみたいにゆっくりと見えた。
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