星のゆくすえ

囚われの娘

マーシャはリセラドの手を借りてフィオレから下りた。ずっと馬上で過ごしていたものだから、すっかり下半身は固まってしまっていることを、マーシャはうっかり失念していた。

「あ…!」
「シスター、大丈夫ですか?」

リセラドがふらついたマーシャを支える。その顔が赤いのを見てとった彼は、ハッとしてマーシャに聞いてきた。

「すぐに我が家で横になってください。お疲れでしょう」

マーシャが具合を悪くしたと思ったらしい。馬小屋のすぐ側にあるドアを開け、マーシャを招きいれた。
家の中は整然としていて物が極端に少ない。リセラドの後をついて台所や居間を通ったマーシャは寄宿舎の自室を思いだし、離れて一日も経ってないのにひどく懐かしくなった。
奥にある客室に通されたマーシャは、医者を連れてくるまで横になっていてくれとリセラドに言われた。完全に病人扱いだ。

(でも疲れているのも事実だし…昨日はあんまり眠れなかったし…)

緊張の連続から解放されたマーシャの身体は、もう限界を迎えていた。せっかくリセラドの役に立とうという思いも、睡魔の前に白旗をあげてしまう。

「騎士様…、何から何まで…ほんとうにありがとうございます」
「お気になさらず、ゆっくり休んでください」

すぐに戻ります。そう言いのこすとリセラドは、医者を呼ぶために出かけていった。リセラドが“すぐ”と言うのだから、事実、すぐなのだろうと考えたマーシャは外套を脱いで、慌てて持ってきた寝衣に着替えた。服は畳んでサイドテーブルに置いておく。

(どれだけご厄介になるのかわからないし、少しでも体力を回復しておこう)

マーシャはそう考えて寝床に潜った。目を瞑むれば、早速とろとろとした微睡がやってきて、マーシャを深い眠りへと誘った。


それからどのくらい経ったのか、マーシャはドアを乱暴に叩く音で目を覚ました。寝衣に外套を羽織って少し迷いながらも玄関へと向かう。

「どちら様でしょうか?」
「マーシャ様ですか? リセラド様が!」

寝起きで惚けた頭では、正しい判断は難しい。マーシャがリセラドの家に来ているなど、多くの人が知っているわけもないのに。加えて、マーシャを何度も守っているリセラドの身に何か良からぬことが起きたのだと、マーシャを勘違いさせるような緊迫した声。

ーー碌に確かめもせずドアを開けてしまうのは、どうしようもないことだったと言えるだろう。

ドアを開けてしまったマーシャは、突如として煙にまかれ意識を失った。


リセラドは無意識に早歩きをしながら家路へと向かっていた。かかりつけの医者は臨時休業中で、往診をしてくれる医者を探しまわりようやく見つけたのだ。
角を曲がればもう家だ。マーシャは待ちくたびれているに違いないと、リセラドはさらに足を早めようとした。

「! フィオレ!?」

リセラドの目に飛びこんできたのは、横倒れになって泡を吹いている愛馬だった。玄関のドアは開けたままになっており、何が起きたのかは明白だった。

「リセラド様、これはー!?」

狼狽える医者に、リセラド街の中央にいる騎士団に連絡するよう伝えると、自分は愛馬の元へ急いだ。
呼吸を確かめると、一時的に意識を昏倒させられただけのようだ。それでもこの優しく賢い愛馬を苦しめるのには十分だっただろう。
リセラドは奥歯を噛みしめると、マーシャがいないか家の中を徹底的に探した。幸か不幸か、元より小さな家であり、彼は早々に一つの事実に行きつき、絶望した。

「マーシャ…!」

彼が守るべきシスターは、“狼の目”の手に落ちてしまった。


マーシャは身体の半分を覆う、冷え冷えとした感触に目を覚ました。
口には猿ぐつわをされて、両手と両足はそれぞれ後ろ手に縛られている。マーシャの力では外せそうにもない。
空気は冷たいが、異臭のようなものはしない。何かの匂い自体が無く、マーシャは少しでも周囲の情報を得ようと躍起になった。
だがマーシャが捉えれられている場所は暗い。まだ昼なのか、それとも夜になったのか、判然としないのだ。

「お嬢さん、起きているかね」

突然後ろから声をかけられて、マーシャの身体が跳ねた。男の、妙に高い声は、そう遠くない記憶の中にある。

「そのままで良い、よぉくお聞き」

“狼の目”の手先だ。マーシャは自分の軽率さを恨んだ。だが悔いたとしても過去には戻れないのだ。マーシャは全身を耳にしたつもりで男の声を聞こうとした。

「大人しくしてくれるなら、こちらとしちゃ何もするつもりはない」
「…」
「我々の目的は“黄金の子”だ。それ以上でも以下でもない」
「…」

(また“黄金の子”? 何なの? いったい…!)

マーシャの脳裏に引っかかるものがあった。しかし一瞬の火花のようなそれは、思いあたるまでには至らない。

(…言われた通りに大人しくしていれば、油断してもっと情報を漏らしてくれるかも…そうすればきっと思いだせる…)

冷や汗をにじませながらも、マーシャは男の言葉通りピクリとも動かなかった。それに男は満足したように鼻を鳴らす。

「良い子だ…、すぐ終わるからそうして待っていてくれよ?」

言外に、もし抵抗するなら命の保障はしないと言っているのだ。マーシャはそう確信し、冷や汗が一段と増えるのを感じた。

男は言うだけ言うと去っていった。足音がわりかし長く響く。これはこの場所が、それなりに広いということを示している。マーシャは少しずつ増えていく情報を、まず頭の中で整理してみることにした。

(騎士様にこれ以上迷惑はかけたくない。何か一つでも思いださないと…!)

修道院にいた頃のマーシャなら、混乱して泣きわめいていただろう。だがリセラドに出会い、彼の真摯な対応と、それに対する感謝の念が、マーシャを冷静にしていた。

(“黄金の子”! まずはそれを思いださないと…!)
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