婚約破棄されたい公爵令息の心の声は、とても優しい人でした
 お父様が治めるこの領地は、土地の殆どが緑鮮やかに染められた農村地帯。昔は多くの人々が住んでいて、それなりに栄えていたらしい。だけど、時代の流れと共に若い人達は都会へ憧れを抱き、この地を去って行った。
 今はすっかり過疎化が進み、残っている領民は多くはない。
 それでも自然豊かなこの土地に愛着を持ち、住み続ける人達もいる。そんな領民達を支える為にも、お父様自らも農業に精を出し辺境伯でありながらも、肉体労働に勤しんだ。
 お母様は私達が幼い頃に肺炎で亡くなってしまった。元々体が弱い人だったから――。
 だからお母様の分も私とお姉様が農作業の手伝いをしてお父様を支えた。

 日照りも良く、雨にも恵まれるこの土地は多種多様な作物を実らせる。
 だけど、その自然の恵みは時には無慈悲なものへと成り代わる。
 十年前は大雨が何日にも渡って降り続け、各所で洪水が発生し多大な被害を被った。
 五年前はバッタの大量発生により、農作物が食い荒らされ大きな不作に繋がった。
 そして一年前、再び大雨による洪水被害が発生した。

 この地に住む限り、自然災害とは切っても切れない関係だ。だけど農業を生業としている人の多いこの地では、農作物が出来ない事には収入を得る事が出来ない。誰もが明日からの生活に頭を抱える事になるのだ。

 そんな時、いつも救いの手を差し伸べてくれるのはバーデン公爵様だった。
 多額の寄付金を提供して下さり、荒れた地を修繕する為に多くの人材も派遣してくれたのだ。
 他の誰もが私達を見放していたのに、公爵様だけは私達を見捨てはしなかった。
 私達にとって、公爵様は神様の様に尊い存在なのだ。

 私は十年前から年に一度、公爵様に『お返事はいりません』という一文を添えて感謝を綴った手紙を送っている。
 今もこうして前向きに生きていられるのは公爵様のおかげ。その感謝を忘れない様にする為でもある。
 私はまだ公爵様にお会いした事はない。
 だから、ずっとお会いしたいと思っていた。

 そんな訳で当然、断るという選択肢はあるはずも無く、私達は後日、顔合わせをする事になった。

 お姉様はヴィンセント様に会える事に胸を躍らせ、私は公爵様にお会い出来る事への期待に胸を膨らませた。
 お父様はそんな私達を見ては、不安そうな顔で深い溜息を吐いていた。
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