婚約破棄されたい公爵令息の心の声は、とても優しい人でした
 気付けば、ヴィンセント様の表情は再び曇り出し、氷点下程の冷たい眼差しはマーガレットへと向けられている。

「心当たりはございません……」

 豹変したヴィンセント様の姿に、マーガレットはカタカタと肩を震わせ、今にも泣きそうな顔で答えた。……まあ、そう言うしかないわよね。

「そうか。ならば他の者に問おう。……イストン子爵令嬢。君はどう思う? ずっと近くで見ていたのだろう?」
「あ……? も、申し訳ありません! 私もよく分からなくて……」
「……ウィンザー子爵令嬢は?」
「え……? あ……あ……申し訳ございません! 私も分かりかねます!」

 名前を呼ばれる度に、顔色を青く塗りつぶして次々と床を眺め出す。
 そんな彼女達の姿に、ヴィンセント様は心底呆れた様子で大きく溜息をついた。

「お前達は、自分が何を言っていたのかもよく分からないというのか? それでよく私の事を無能だと蔑んでいたものだな」

 彼女達の口から小さい悲鳴が漏れる。
 だが、ヴィンセント様は彼女達からは視線を逸らし、今度は周囲の傍観者達へと視線を送った。
 誰もが目を合わせない様にと視線を泳がせる中、ヴィンセント様はだれにともなく話しかける。

「ここにいる者達は皆、誰一人として私の所へ挨拶に来ようともしなかったな。今日は公爵である父上の代理として来ているのにも関わらず……その意味を知らない訳では無いだろう?」

 その言葉に、誰もが言葉を失い青ざめていく。

 そう。国王陛下も王太子殿下もいないこの場で、一番偉い人物は公爵令息であるヴィンセント様だ。
 本人にその気があるかは別として、事実上の次期公爵でもあるのだから。
 それなのに、誰も声をかけてくる事は無かった。
 恐らく、挨拶をしたところで無駄だと思ったのだろう。自分の名前など知っている筈がないと。
 
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