災厄の魔女が死神の愛に溺れるとき

 アドリアンは目を瞠いた。幸せだと言って抱きついてくる恋人の振る舞いに戸惑った。

「え、本当に心からそう思う? 生への絶望は――」
 こんなに温かい人をこれ以上騙し続けられない。大きく息を吸ってからアドリアンの目を見た。

「うん、心から幸せ。アドリアンのおかげ。ここですごく幸せな思いをさせてもらったの、温かい部屋に美味しい食事は、フランと暮らしていた頃を思い出してとても幸せだった。あなたと過ごす夜は、私に女としての悦びを教えてくれた。もう充分すぎるくらいに、幸せをもらったから。知ってる? 最近の夢にはアドリアンが出てくるの。夢の中でまで幸せなの。こんなに嬉しいことってない。ありがとう、アドリアン。もう思い残すことはないから、どうかあなたのお仕事を全うし――」
 穏やかに語るルーナを見つめていたアドリアンは、強く彼女を抱き寄せて、その肩口で声を漏らした。

「嫌だ、ルーナの魂は刈らない」
「でも私が幸せを感じたらって――それに思い残すことはないっていうのは諦めて言ってるんじゃないのよ、これ以上ないくらいに満たされていて」
「でも君の本当の望みはそれじゃないだろう? 言って、どうしたいか声に出して」
 ルーナはぎゅっと口を引き結んだ。

「……ほっ本当は、アドリアンと、ずっと一緒にいたい……でも幸せを感じたらって言われて、それで本当に、ここ最近はこころから幸せを感じてて、だからっ」
「もともとはその予定でルーナのところへ行ったんだからそうするべきなんだと思う。でも俺はルーナを離したくない。俺と生きて。君ともっと幸せになりたい。たくさんの花をフランの墓に供えよう、家族を増やして、笑い声を響かせよう、だから俺と――」
 声を震わせる。

 アドリアンはルーナに一目惚れだった。薄汚れた状態の娘のどこに惹かれる要素が、と家来に聞かれたことがあった。アドリアンは即答で、『魂に惹かれた』と答えた。

 たくさんの人の魂を刈ってきたし、今際の際など幾度も立ち会ってきた。だがルーナだけはその身体から魂を刈り取る気になれず、その場でルーナの過去を覗き見た。そうしたら更にルーナという人物の今の笑顔も見てみたくなった。彼女の魂の一部を結晶化して己の生気で包んだものを彼女の身体に戻した。その上で連れ帰ってきた。身体を清めた姿のルーナはアドリアンの好みど真ん中で、その見た目にも心が射抜かれた。
 抱き潰したい気持ちを抑えて、毎夜、ただ抱きしめるだけの日々は結構キツかった。うなされて感情を乱し興奮する彼女を寝かせるため、何度も口付けた。

 幸せになって欲しかった。また笑顔になってもらいたかった。あんな理不尽な扱いを受け続け、絶望を抱えたまま死んでほしくなかった。だから、大事にして、愛した。

「でも……」
「君は『災厄の魔女』なんかじゃない。俺に幸せをもたらしてくれた。でも俺はまだ君を甘やかし足りない」
「私、いいの……ここで生きてていいの、アドリアンに甘えていいの」
 アドリアンを見つめる目からは大粒の涙がこぼれ落ちていて、伝う頬を親指で拭い、頬を両手で包んでルーナの顔をのぞき込んだ。

「ルーナじゃなきゃだめだ、俺と生きて欲しい。ルーナを愛してる。それでは生きる理由にならないだろうか」
 頬を包むアドリアンの両手首に自分の手を添えて、顔を横に振る。

「生きたい、アドリアンと生きたい……!」
 決まりだ、と言った声は、二人の間で掻き消えた。
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