あなたしか知らない


「それがきっかけで主人と出会ったんだけど、そりゃもう最初は酷いものだったわ」

「え? あんな素敵なご主人なのに、酷いなんて」

瑠佳は当時を思い出しているのか、クスクスと笑い始めた。

「友哉さんには誤解されたり、傷つけられたり、彼の口車に乗って入籍しちゃったり」
「は?」

「口で上手く説明できないくらい、いろんなことがあったのよ」

酷いと言いながら、瑠佳は楽しそうだ。

「それでも、とっても仲のいいご夫婦ですね」
「エラそうだけど繊細で、ズルいし子どもっぽいところもあるの。でもあんな人でも、私は大好きよ」

「あんな人って……」

さすがにその言い方はと思ったが、瑠佳は気にしていないようだ。

「だって、私は彼に完璧なんて求めていないもの。ありのままの彼が大好きなの」

「瑠佳さん」

聞いている祐奈の方が照れてきた。これは立派な惚気だと気が付いたのだ。

「恥ずかしい話をしちゃったのはね、あなたに西尾さんと向き合ってもらいたかったからよ」

笑顔だった瑠佳が、真面目な表情に変わってきた。

「私が彼と?」
「そう。あなた、春にはカナダに帰ってしまうんでしょ?」
「はい」

瑠佳の声はどこまでも優しくて、祐奈は泣きそうになってきた。

「後悔はない? 彼が会いたがっているのに、このまま会わなくてもいいの?」
「え? 会いたがっている?」

「ごめんなさい。勝手に私がお呼びしたわ」
「ここにですか?」

「あなたが嫌なら言って。お断りするから」

ノックが聞こえた。静にドアが開いて、凌が顔を見せる。

祐奈は驚きと戸惑いが混ざり合って、なにから考えればいいのかわからなくなった。
胸の中には瑠佳が言った『あんな人でも、私は大好き』という言葉があるだけだ。

そんなふうに相手のことを言いきれる幸せが、祐奈も欲しかった。

「祐奈、少し時間をもらえないだろうか?」

凌の申し出に、思わず祐奈はコクンと頷いた。


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