壊れる君と思い出が作りたかった。

 そのあと、屋上に連れて行かれて、イサムに告白されて、私はイサムの彼女になった。だけど、屋上から降りてきたあとも、何も変わっていない。

「イサムさん」
「やめろよ。さん付けするなよ」

 イサムを見ると少し不貞腐れているような表情をしていた。だけど、そのあとすぐ、その表情は微笑みに変わって、眩しく見えた。

「イサムくんでいいよ。無駄に留年してるだけだから」

 イサムにそう言われて、私はゆっくり頷いた。
 
「なあ」
「なに?」
「俺の心臓、もうあんまりもたないらしいんだよね」

 イサムがそう言ったあと、私は黙ったまま、歩き続けた。イサムは身体が弱くて留年したのは知っている。だけど、そんなこと、急に言われても実感がわかなかった。

「――ねえ」
「なに?」
「――こういうとき、なんて言えば、イサムさ……イサムくんの心は軽くなるの?」
「メルちゃん。俺はもう、何言われても大丈夫だよ。その優しさだけで十分だよ」

 イサムはまた優しく微笑んだ。そして、私の手を繋いだ。急に触られた右手はいきなり電流が走ったみたいに感じた。

 あぁ。頬が一気に熱くなる。

「余命ノート、本当だったんだ」
「そうなんだよね。残念だけど。――だから、今日、一つ夢が叶ってすごく、俺、嬉しいよ」

 イサムは本当に嬉しそうな表情でそう私に言うから、こんな私をなんで選んだんだろうってすごく不思議に思った。そして、そんなガラスみたいに透き通ったイサムに私は釣り合わないんじゃないかって、イサムの整った横顔のシルエットを見てより強く思った。

 なんで、私なんだろう――。


 図書室の当番で今日は5時半まで、このカウンターにいなくちゃならない。だけど、放課後開放しているこの図書室には誰一人として、寄付く気配はなかった。

 なんで、金曜日の当番になんてなったんだろう。私はため息を吐いたあと、白い天井を見て、ぼんやりとした。

 うちの学校はスポーツをやりに来る生徒ばかりだ。どのスポーツ系の部活も大体は県大会、全国大会の常連で強豪校と呼ばれているらしい。

 図書局の私にはそんなこと、関係なかった。図書局員は10人しかいない。そして、そのうち7人は幽霊部員だから、月、水、金の週3日しかこの学校の図書室は開いていない、この図書室のカウンター業務の当番は3人で持ち回りをしている。

「なに上向いて、ぼんやりしてるんだよ」

 声のする方を見ると、イサムが立っていた。そして、私のアホ面を見て、面白がっているのか、ニヤニヤしていた。

「ちょっと。来たならちゃんと気配出してよ」
「気配は出してたよ。それにしても、静かだな」

 イサムは貸し出しカウンターの一番近くにあるテーブルにバッグを置いた。そして、椅子を持ち上げ、カウンターの前に置き、椅子に座った。

 私とイサムはカウンター越しで向き合った。

「4年通って初めて、図書室来たけど、マジで誰も来ないんだな」
「なに? 冷やかしにでも来たの?」
「違うよ。メルちゃん。俺はただ、愛しの彼女に会いに来ただけだよ」

 イサムに告白されてから、一週間が経っても、イサムにそんな調子のいいこと、言われるとすごく恥ずかしくて、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚がした。

「メルちゃん、また顔赤くなってるじゃん。そういえば、3年生なのに引退させてくれないの? 図書局は」
「人手不足だからね。――イサムくん入る?」
「あと4ヶ月で卒業なのに入ってどうするんだよ」

 イサムは笑いながら。立ち上がった。そして、日本文芸の書架の方までいき、何かの本を探し始めた。

「てか、古すぎだろ。ラインナップ」
「こんな利用率だから、新しい本、買ってもらえないの」
「うちの学校、サルしかいないからな」

 そう言って、イサムはゲラゲラ笑った。イサムは一冊の本を書架から抜きとり、それを持ってまた、カウンターの方へ戻り、椅子に座った。

「なに持ってきたの?」
「サラダ記念日」

 イサムは右手に持っている俵万智のサラダ記念日の文庫を弱く振った。その本は見るからに日に焼けていた。イサムはサラダ記念日を読み始め、一気に静かになった。遠くから聞こえてくる吹奏楽部の管楽器の音階が、上から下へ、下から上へいくのを繰り返している。

 私は自分のiPhoneでTwitterのタイムラインを適当に指で流していた。だけど、別に必要とする言葉や情報なんてほとんど手に入らなかった。

「今日は何月何日?」

 急にイサムが聞いてきた。私はあまりにも急すぎてこたえることができなかった。
  
「何月何日?」
「11月16日」
「この味いいねって言って」
「いや、意味わからないんだけど」
「いや、言ってみてよ。メルちゃん」
「……この味いいね」

 私がそう言うと、イサムはニヤニヤした表情をしていた。私はそれですぐにイサムが次に何をするのかわかった。

「この味いいねと君が言ったから――」
「11月16日はサラダ記念日」
「おー、さすが。文学少女」
「なにこれ」
「今日は俺達のサラダ記念日」
「無理やりじゃん」

 私がそう言うとイサムは満足そうにまた、ゲラゲラと笑ったから、私も思わず、つられて笑った。


 5時半までイサムは図書室で私と一緒に過ごした。今日も結局、イサム以外の利用者はいなかった。

 まだ、どの部活も練習しているみたいだ。玄関を出て、二人でゆっくりと歩き始めた。すっかり辺りは暗くなっていて、冷え込んでいる。息を吸い込むとかすかに冬の匂いがした。

 カーキのアウターのポケットに両手を入れていても、たまに強く吹く風が冷たくて、そのたびに私は身震いした。

 ――冬至が近い。
 
 息を吐くと息は白かった。それなのにイサムはブレザーの上に厚手の白いパーカーを着ていた。ポケットに両手を突っ込んでいる。

「寒いな」
「うん」

 右側に見えるグランドは照明で白く照らされていた。その中で、野球部とサッカー部は練習をしていた。時折、大きな声が辺りに響いていた。

「元気すぎだろ。こんなに寒いのに」
「そうだね」
「――ちょっと前までは羨ましいって思ってたけど、今はなんとも思わないな」
「――そうなんだ」

 私はイサムの話が重く感じ、どうやって返せばいいのかわからなかった。イサムは残りの人生を意識していることをこういう何気ない会話の中で、この一週間、何度感じたかもうわからなくなった。

「優しいな。ホント、メルちゃんは」

 イサムはまるで私の気持ちを見透かしたかのようにそう言った。右側を向き、イサムの顔を見ると、イサムはいつものように優しい微笑みを浮かべていた。
 
「――イサムくん」
「なに?」
「どうして、私と付き合いたかったの?」
「――それは内緒だよ」  

 イサムは左手をパーカーのポケットから出し、そのまま、私の右肘の間に腕を通し、私とイサムはつながった。
 

 いつものように線路脇の路地を歩き、駅まで向かっている。イサムと手を繋いだまま、ゆっくり歩いている。二本の線路が路地と同じ目線で続いていて、路地の街灯でレールが渋く光に反射していた。

 先に見える踏切の様子が変だ。
 
「ねえ、あれ」
「思った」

 イサムもその違和感を覚えたみたいだ。予兆もなく急に鳴り始めた警報と、それに合わせて闇の中に赤色が点滅し始めた。
 
「マジかよ」

 イサムは私の手を離したあと、すぐに走っていった。踏切の真ん中で制服姿の女の子が座ったままだった。

「え、待って」
 
 私はイサムの後ろを慌てて、追った。遮断器の棒は完全に下がりきった。
 
 ――変だ。
 
 男の子は踏切の真ん中で体育座りをしたままで、すでに生きる気力がないようなそんな感じに見える。路地の小さな道の踏切だから、私達以外、誰もいない。だから、きっとこの異変に気づいているのは私とイサムだけだ。

 ――きっと。

 イサムは遮断器を無視して、線路の中に入っていった。

「イサムくん!」
「危ないから、メルちゃんは待ってて!」

 イサムの大きな声が辺りに響いた。依然として、制服の女の子は線路の上に座ったままだった。私は非常ボタンを押した。

 イサムと女の子が何かのやり取りをしているように見える。列車のライトが見えてきた。

「イサムくん。早く!」

 私の声がイサムに届いているのかどうかわからない。
 
 あー、終わっちゃう。

 私は何もできずにイサムと女の子を見守っているだけだった。イサムは両腕を使って女の子を無理やり起こした。女の子は思ったより華奢に見える。

 イサムは女の子を無理やり、引っ張るように反対側の遮断器の方まで歩き始めた。

 その直後、私の目の前を耳につく高音を立てながら通過した。




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野いちご、ベリカでの公開部分はここまでです。

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