惑溺幼馴染の拗らせた求愛
後編


 まるで、足元の床が崩れ落ちて奈落の底に沈んでいくような感覚だった。
 明音が他の女性を選ぶなんて最初から分かっていたことだし、覚悟もしていた。今更ショックを受ける必要なんてない。そう思っているのに、麻里の動悸は治まらなかった。

「”ヒラマツ”って、いつも行列ができてる和菓子屋か?」

 近隣の商売模様にさほど詳しくないジローですら、ヒラマツと聞いたらすぐにピンときたらしい。栞里はうんと頷いた。

「私も今日お得意さんから聞いて……まさかと思って商工会のご婦人方のところにそれとなく話を聞きに行ったんだけど……。皆さん、ヒラマツの奥様がそう話していたっておっしゃってて……」

 ”和菓子本舗ヒラマツ”は江戸時代から続く老舗の和菓子屋だ。餡子がたっぷり入ったどら焼きが有名で、デパートにもいくつか店舗を持っている。新しく始めた通信販売も好調そのもので、ヒラマツの店舗には常に人が集まっていた。
 槙島家と同じくこの街に古くから根を下ろしている老舗企業。家格の釣り合いも取れているし、誰がどう見てもお似合いの縁談だった。
 しかし、栞里はそう思ってはいないようだ。

「許せないわ。こんな縁談がきているのに麻里の気持ちを弄ぶような真似をして。明音くんに今度会ったら出禁どころか鼻にマスタードを突っ込んでやるんだから!!」

 栞里が興奮してそう言うと、ジローがぶっと吹き出した。根っからの善人の栞里には鼻マスタードよりえぐい仕返しの方法なんて思いつかなかったのだろう。
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