私的な旋律
博樹が当直を終えて、互いのスケジュールの都合などからまともに瑛子と顔を合わせたのは翌日の夜だった。
おかえりなさいという瑛子の笑顔を見た瞬間、博樹の頭には「きちんと言葉で伝えればいい」という中川の言葉が浮かんだものの、気の利いた言葉など浮かんでこなかった。

少しでも瑛子の負担を軽くできたらと、夕食の準備を手伝おうかともしたが、着替えてくるとすでに瑛子はテーブルの上を完璧に整えていた。

「これは?」

博樹の席に、青いリボンでラッピングされたシルバーの小箱が置かれていた。

「プレゼントなの。私の初めてのお給料で買ったのよ」

ふふふ、と微笑む瑛子は少し照れているようで、でも誇らしい顔つきだった。博樹はその箱をそっと手にとり、リボンをゆっくりと外す。

「タイピンだ」

その銀色に輝く小さなアイテムに、心が弾まないはずがない。瑛子が初めてもらった給料でプレゼントしてくれたものが、宝物にならないはずがなかった。

「たまには使うでしょう?学会とか研修とか。」
「毎日使うよ。本当に嬉しい。ありがとう。一生大切にする。」
「大げさね」

クスっと笑いながら料理をテーブルに置いた瑛子を、博樹は思わず抱きしめた。

「本当に、ありがとう。」

そっと、でも強く、ぎゅうっと瑛子を腕に抱くと、瑛子は「よかった」と言ってまた笑った。
ネクタイピンが嬉しかったのではない。瑛子からのプレゼント、しかも彼女が一生懸命努力して手にしたお金で贈り物をしてくれたことが嬉しかったのだ。

「ねえ、知ってる?」

博樹の腕の中から顔を出した瑛子が言った。
何のこと、と聞く博樹に瑛子は言った。

「ネクタイとか首回りのアイテムって‘あなたに首ったけ’って意味があるんですって。」
「知らなかった。じゃあ、今度は僕が瑛子にネックレスをプレゼントしないと」
「そういうつもりじゃないわよ。ただ、私の気持ちを知っていてね、っていう話よ」

あなたに首ったけ、なんて言葉にすると、あまりにも情熱的過ぎて嘘くさい。けれど、プレゼントにそんな想いが込められていると知ったら、それはついにやけてしまいそうになるほど嬉しい。
ね、と笑顔を見せる瑛子に博樹も笑った。もちろん、自惚れさせてもらう、と言って。

食事の間中、博樹はプレゼントしてもらったばかりのネクタイピンを眺めてはわずかににやけていた。
言葉で伝えればいい、という友人の言葉は決して間違ってはいないが、今はただ、言葉以上に想いを伝えてくれるものがここにあることを、博樹は確かに感じていた。
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